2011年9月

ラグビーワールドカップ

2011年9月14日

 現在、第7回ラグビーワールドカップ2011がニュジーランドで開催されています。第9回大会は日本開催が決定しています。9月10日には日本がフランスと戦いました。力の差は歴然としていますが、後半、21対25と4点差に迫る善戦をしました。

9月10日(土)
    ×日本   21ー47  フランス●
★フランス 勝点5(ボーナスポイント1点を含む)

IRB ラグビー世界ランキング (2011-09-12)
IRBの発表による、公式なラグビー世界ランキング。毎週月曜発表。

ベスト20
1  ニュージーランド [NEW ZEALAND]  90.55
2  オーストラリア [AUSTRALIA]      88.84
3  南アフリカ共和国 [SOUTH AFRICA] 86.71
4  イングランド [ENGLAND]          83.99
5  フランス [FRANCE]               83.78
6  ウェールズ [WALES]              79.77
7  スコットランド [SCOTLAND]       78.83
8  アイルランド [IRELAND]          78.50
9  アルゼンチン [ARGENTINA]        77.30
10  サモア [SAMOA]                 74.54
11  イタリア [ITALY]               73.88
12  トンガ [TONGA]                 72.48
13  日本 [JAPAN]                   71.95
14  カナダ [CANADA]                71.56
15  フィジー [FIJI]                71.01
16  グルジア [GEORGIA]             70.30
17  ルーマニア [ROMANIA]           65.69
18  アメリカ合衆国 [USA]           65.00
19  ロシア [RUSSIA]                61.92
20  ナミビア [NAMIBIA]             61.24

ラグビーワールドカップ
 ラグビー(ユニオン)のナショナルチームの世界一を決定する大会で1987年以降、4年に一度、開催されている。優勝トロフィーは「ウェブ・エリス・カップ」。国際ラグビー評議会(IRB)主催。現在、運営管理はラグビーワールドカップリミテッド(RWCL)に委託されている。

 1987年5月(5/22?6/20)ニュージーランド・オーストラリアの共催で記念すべき第1回大会が開催された。
 キャプテンSHディビット・カークの巧みなゲームメイク、世界中のラグビーファンの度肝を抜いたWTBジョン・カーワン(現・日本代表ヘッドコーチ)の90メートル独走トライなど数々の伝説を残して開催国ニュージーランドが初代チャンピオンに輝いた。

 それ以降の4年に1度のラグビー世界No.1決定戦として開催され、今大会で7回目となる。
 参加国は20チーム、シードされる12チームを除く8枠の出場権をかけ世界5大陸の国と地域が予選に参加。3年間に及ぶ過酷な大陸予選が繰り広げられた。

今大会の決戦の舞台はニュージーランド
 世界最強と言われるニュージーランド代表「オールブラックス」の地で、優勝の栄誉ウェブ・エリス・カップを手にするのは?

 大会規模は開催ごとに大きくなっており第6回の大会収益は216億円を超え、今やスポーツイベントとしてはFIFAワールドカップ、夏季オリンピックに次ぐ世界で3番目に大きな大会となっている。 大会テーマソングは『World in Union』。アム:ノースハーバースタジアム(オークランド)

 ラグビーは観ていて難しく感じる方もいると思います。レフリーが、反則の時差す手の上げ方も最初は戸惑いました。サッカーでは攻める方向を指し示しますが、ラグビーではあなたのチームのボールですよと指示します。全く反対です。難しく感じますが、ラグビーを見ていると体と体のぶっつかる迫力はたまりません。2019年には日本で開催されます。ラグビーにも興味を持って欲しいと、少し簡単に説明します。

得点

    ラグビー得点.png

【反則】
 ラグビーはプレーヤー同士の激しい体のぶつかり合いがプレーの醍醐味でもあります。しかし、同時にこの激しいプレーは、常に怪我をする危険と隣り合わせです。そのため、ラグビーでは細かく反則行為が定められています。

・ノックオン
 ボールを所持していたプレーヤーがボールを前に落としてしまったり、パスを受けようとしたプレーヤーが受け損なって前にボールを落としてしまうことを言います。相手ボールでのスクラムで再開します。
・スローフォワード
 ボールを前に投げてしまった場合の反則です。相手ボールでのスクラムで再開します。
・ノットリリースザボール
 タックルを受けて倒されたプレーヤーが、ボールを手放さなかった場合の反則です。タックルを受けたプレーヤーはプレーの続行が禁止されているので、ボールは速やかに手放さなければなりません。この反則を犯せば相手チームにペナルティキックが与えられます。
・オフサイド
 ボールを持っているプレーヤーより前にいるプレーヤーは、プレーに参加することが禁じられています。ボールに触れることはもちろん、ボールより前で相手チームの妨害をしたりすることも禁止されています。このように、ボールのある位置より前からプレーに参加した場合の反則を言い、相手チームにペナルティキックが与えられます。
・オーバーザトップ
 モールやラックになった状態で、相手側に倒れこんでボールが出るのを妨げる反則を言い、相手チームにペナルティキックが与えられます。
・ピックアップ
 スクラムやラックになった状態で、ボールを拾い上げてしまうことを言い、相手チームにペナルティキックが与えられます。
・ノットストレート
 スクラムやラインアウトの時に、ボールを投げ入れるプレーヤーが両チームの間にまっすぐ投げ入れなかった場合を言います。相手ボールでのスクラムで再開します。

                (フリー百科ウキペディア引用)

 

 

 

 

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中秋の名月

2011年9月13日

 昨夜(9月12日)は、中秋の名月でした。広島地方はよく晴れて美しい月が見れました。しかし、残暑が厳しくて月見と言う気分になれませんでした。今年は十五夜よりも十三夜の月の方が月見の気分が出るのではないでしょうか。旧暦八月十五日が十五夜、旧暦九月十三日が十三夜だそうです。古来この二日を月を愛でてお祝いをしたそうです。

2011年の十五夜は9月12日(月)、十三夜は10月9日(日)
2012年の十五夜は9月30日(日)、十三夜は10月27日(土)
2013年の十五夜は9月19日(木)、十三夜は10月17日(木)
2014年の十五夜は9月8日(月)、十三夜は10月6日(月)

    003.JPG

 13日朝3:30頃撮影 早く目が覚め撮りました。あまり良い写真ではありませんでした。

十五夜(芋名月)

 「中秋の名月」は旧暦八月十五日の月のことを指しますが、「仲秋」は旧暦の八月を言い、七・八・九月を秋とし、それぞれを初秋・仲秋・晩秋と呼んだことから、八月の十五夜月を「仲秋の名月」や「中秋の名月」と称するようになりました。
 「中秋」と「仲秋」の意味は違っても、「中秋の名月」と「仲秋の名月」は同じ八月十五日の月を指す同じ意味になります。

 十五夜は名月とも呼ばれ、古来から観月の好時節(絶好期)とされ、月下に酒宴を張り・詩歌を詠じ・すすきを飾り、月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛って、神酒を備え月を眺めて楽しんだと言われています。

十三夜(豆名月・栗名月)

 旧暦九月十三日に行う月見の行事です。
 旧暦の毎月十三日の夜を「十三夜」と言いましたが、九月十三日の夜は特別で、古くからこの夜、月を観賞する習慣がありました。
 
 十三夜は新暦で、おおよそ十月中旬から下旬にあたり、八月の十五夜「仲秋の名月」に対し「後の月」とも言われます。
 また、十五夜を芋名月と言うのに対して、豆名月や栗名月とも呼びます。
十五夜と同じように供え物をして祝いますが、丁度旬の大豆や栗が主役で、その他に月見団子・柿なども添えました。
 
 十三夜の月祭りは元来日本固有の風習(秋の収穫祭の一つとして)と考えられいて、十五夜のように中国から伝来したものではないと言われています。
 
 古くは醍醐天皇の時代、延喜19年(919)の九月十三日に、観月の宴が催されたのが始めだとも言われ、広辞苑には「宇多法皇がこの世の月を無双と賞したことによる」と記されていますが、はっきりしたことは分かっていません。
 
 また、旧暦八月十五夜の月見をして、九月の十三夜の月見を行わないことを、片月見と言って嫌う風習がありました。
 十五夜の月見を行った後は、翌月に必ず十三夜も月見をして祝うものだとされました。
 
 十五夜には他人の畑の作物を無断で取っても良いとされる所がありますが、十三夜にも同様な風習が各地にあったようです。
 例えば長崎県の津島では、この夜の月を豆名月と呼び他人の畑から大豆を取っても良いとされていたそうです。
 また長野県には、この夜の天気で来年の農作物の出来を占う風習も残されています。

   (インターネット「Harvest Moon in mid-autumn」)引用

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定禅寺ストリートジャズフェスティバル

2011年9月12日

 昨日(9月11日)は、ニューヨークの同時多発テロから10年、3月11日の東日本大震災から半年と言う日でした。色々と考えさせられる日でした。

 仙台市では毎年9月10日・11日と『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』を開催していました。今年はどうするかと早くから議論が有りましたが、日本国中、世界のあらゆる所から開いてほしい、参加させて欲しいという申し込みが殺到したそうです。そこで実行委員会は開催を決断したそうです。

 全国、世界中から700以上の団体が参加し、仙台市の表・裏のストリートは、音楽で溢れました。各公園や町のお店はオープンカフェーのような店が出店し気楽に物を食べながら音楽に浸るお祭りです。     10日と11日の地震の起こった2:46PMには、市内で演奏をしている全ての音楽を中断し、「A]ラの音を「鎮魂と復興」を祈念し1分間音だしをしたそうです。

 東北地方の歴史あるお祭りにも興味はありますが、この新しい市民の参加したお祭りにも興味が湧きました。自分達が作るお祭り素晴らしいと思います。音楽は人を繋げてます。お祭りと音楽を広島にも考えていかなくてはいけないテーマではないでしょうか。来年は是非仙台に行ってみたいと思いました。

「A]ラの音

 この音はオーケスラの音合わせに使われます。赤ちゃんの産声の音・梵鐘の音とも言われ音楽にとって大事な音だそうです。【鎮魂・祈り・再生】を演奏したそうです。

定禅寺ストリートジャズフェスティバル(じょうぜんじ)
 宮城県仙台市の定禅寺通を中心に、仙台市都心部各所の街角屋外をステージに催される無料の市民音楽祭である。例年、9月第2土・日曜日に開催され、前夜祭も含めた3日間、市内は音楽一色となる。

 定禅寺ストリートジャズフェスティバルは、「市民ボランティアが中心となって運営」「無料」「街が舞台装置」をキーワードとした都市音楽イベントである。仙台市都心部の至るところの「街角がステージ」となっているため、演奏者と聴衆の高さも同じで距離が近く、また、買物ついでに立ち寄れる気軽さも手伝って、市民から多くの支持を受け、仙台の初秋の風物詩として毎年規模が拡大している。聴衆は、オープンカフェやオープンバー、あるいはワールドキッチンなどで供される飲食物を片手に、自分の好きな音楽を自由に楽しむことが出来、聴き方の面でも開放されている。

 例年、前夜祭と本祭2日間で開催され、定禅寺通のほか、勾当台公園、一番町、西公園、青葉通、仙台駅西口ペデストリアンデッキなどや、タイアップステージに約100ヶ所のステージが設置され、700組以上のバンドで4000人以上が演奏する(いずれも延べ数)。参加バンド数・出演者数では日本最大の音楽祭となっており、参加する団体も、北は北海道、南は沖縄県と日本全国に及び、海外からの出演者もいる。

 ジャズ、ロック、ゴスペルなど、ポピュラー音楽を中心にジャンルを問わず演奏されるが、ステージやエリアごとに演奏者の音楽の傾向を集め、聴衆は好きな音楽を選んで楽しむことが出来るようになっている。また、プロ・アマを問わず全ての演奏家に出演機会が開放されている。

定禅寺ストリートジャズフェスティバル
 音楽家の榊原光裕の「本来音楽は野外でやるもの」という考えに基づき、「SENDAI光のページェント」期間中に定禅寺通の一角でシンセサイザーのミニコンサートを行ったところ、多数の観客が集まった。この経験から有志が集まって、街頭でJJFを開催することを企画し、1991年(平成3年)に現在のような「街角」「屋外」「無料」のスタイルで初開催された。また、フェスティバルの名称も、「屋外で行う」ということから「ストリートジャズ」を1つの言葉と捉え直し、「定禅寺(通り)」の「ストリートジャズ」「フェスティバル」から「定禅寺ストリートジャズ ・フェスティバル」(JSF) に改称された。

 一方、1989年(平成元年)4月1日の仙台市の政令指定都市移行に合わせ、'89グリーンフェアせんだい(全国都市緑化フェア)が地下鉄や宮城県庁舎などの工事が終わって再整備された勾当台公園を会場の1つとして開催された。勾当台公園は再整備により大きく変化し、イベント会場として利用できる「市民広場」などが設置された。ここに屋台を並べ、大規模なステージを築くことにより、JSFは定禅寺通りから外に向かって仙台市都心部各地にステージを増やしながら広がっていった。

 当初から仙台市市民文化事業団より助成を受けていたが、バブル崩壊後の失われた10年の影響で、1995年(平成7年)をピークに協賛・協力企業が減少したため、出演者が運営協力費を負担したり、ボランティアの手を借りたり、サポーターズクラブを結成して年会費を得たりして、JSFの開催を維持するようになった[3]。2000年(平成12年)の開催実績から仙台市を代表するイベントであると市が認め、2001年(平成13年)から仙台市経済局が所管して直接市から助成を受けるようになり、協賛・協力企業の数も増加するが、規模の拡大に対応するため2003年(平成15年)に運営協力費は値上げされた。年4000万円強の運営費総額の2/3は、この運営協力費と、当日会場を訪れた市民のカンパや協賛金によってまかなわれている。

 市はお金を出すが運営には口を出さず、現在もボランティア主体で運営がなされているが、運営費が足りないため、JSF期間中は様々な募金活動も同時に行われている。

                   (フリー百科ウキベディア引用)

 

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