定禅寺ストリートジャズフェスティバル 2011:09:12:07:28:45

2011年9月12日

 昨日(9月11日)は、ニューヨークの同時多発テロから10年、3月11日の東日本大震災から半年と言う日でした。色々と考えさせられる日でした。

 仙台市では毎年9月10日・11日と『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』を開催していました。今年はどうするかと早くから議論が有りましたが、日本国中、世界のあらゆる所から開いてほしい、参加させて欲しいという申し込みが殺到したそうです。そこで実行委員会は開催を決断したそうです。

 全国、世界中から700以上の団体が参加し、仙台市の表・裏のストリートは、音楽で溢れました。各公園や町のお店はオープンカフェーのような店が出店し気楽に物を食べながら音楽に浸るお祭りです。     10日と11日の地震の起こった2:46PMには、市内で演奏をしている全ての音楽を中断し、「A]ラの音を「鎮魂と復興」を祈念し1分間音だしをしたそうです。

 東北地方の歴史あるお祭りにも興味はありますが、この新しい市民の参加したお祭りにも興味が湧きました。自分達が作るお祭り素晴らしいと思います。音楽は人を繋げてます。お祭りと音楽を広島にも考えていかなくてはいけないテーマではないでしょうか。来年は是非仙台に行ってみたいと思いました。

「A]ラの音

 この音はオーケスラの音合わせに使われます。赤ちゃんの産声の音・梵鐘の音とも言われ音楽にとって大事な音だそうです。【鎮魂・祈り・再生】を演奏したそうです。

定禅寺ストリートジャズフェスティバル(じょうぜんじ)
 宮城県仙台市の定禅寺通を中心に、仙台市都心部各所の街角屋外をステージに催される無料の市民音楽祭である。例年、9月第2土・日曜日に開催され、前夜祭も含めた3日間、市内は音楽一色となる。

 定禅寺ストリートジャズフェスティバルは、「市民ボランティアが中心となって運営」「無料」「街が舞台装置」をキーワードとした都市音楽イベントである。仙台市都心部の至るところの「街角がステージ」となっているため、演奏者と聴衆の高さも同じで距離が近く、また、買物ついでに立ち寄れる気軽さも手伝って、市民から多くの支持を受け、仙台の初秋の風物詩として毎年規模が拡大している。聴衆は、オープンカフェやオープンバー、あるいはワールドキッチンなどで供される飲食物を片手に、自分の好きな音楽を自由に楽しむことが出来、聴き方の面でも開放されている。

 例年、前夜祭と本祭2日間で開催され、定禅寺通のほか、勾当台公園、一番町、西公園、青葉通、仙台駅西口ペデストリアンデッキなどや、タイアップステージに約100ヶ所のステージが設置され、700組以上のバンドで4000人以上が演奏する(いずれも延べ数)。参加バンド数・出演者数では日本最大の音楽祭となっており、参加する団体も、北は北海道、南は沖縄県と日本全国に及び、海外からの出演者もいる。

 ジャズ、ロック、ゴスペルなど、ポピュラー音楽を中心にジャンルを問わず演奏されるが、ステージやエリアごとに演奏者の音楽の傾向を集め、聴衆は好きな音楽を選んで楽しむことが出来るようになっている。また、プロ・アマを問わず全ての演奏家に出演機会が開放されている。

定禅寺ストリートジャズフェスティバル
 音楽家の榊原光裕の「本来音楽は野外でやるもの」という考えに基づき、「SENDAI光のページェント」期間中に定禅寺通の一角でシンセサイザーのミニコンサートを行ったところ、多数の観客が集まった。この経験から有志が集まって、街頭でJJFを開催することを企画し、1991年(平成3年)に現在のような「街角」「屋外」「無料」のスタイルで初開催された。また、フェスティバルの名称も、「屋外で行う」ということから「ストリートジャズ」を1つの言葉と捉え直し、「定禅寺(通り)」の「ストリートジャズ」「フェスティバル」から「定禅寺ストリートジャズ ・フェスティバル」(JSF) に改称された。

 一方、1989年(平成元年)4月1日の仙台市の政令指定都市移行に合わせ、'89グリーンフェアせんだい(全国都市緑化フェア)が地下鉄や宮城県庁舎などの工事が終わって再整備された勾当台公園を会場の1つとして開催された。勾当台公園は再整備により大きく変化し、イベント会場として利用できる「市民広場」などが設置された。ここに屋台を並べ、大規模なステージを築くことにより、JSFは定禅寺通りから外に向かって仙台市都心部各地にステージを増やしながら広がっていった。

 当初から仙台市市民文化事業団より助成を受けていたが、バブル崩壊後の失われた10年の影響で、1995年(平成7年)をピークに協賛・協力企業が減少したため、出演者が運営協力費を負担したり、ボランティアの手を借りたり、サポーターズクラブを結成して年会費を得たりして、JSFの開催を維持するようになった[3]。2000年(平成12年)の開催実績から仙台市を代表するイベントであると市が認め、2001年(平成13年)から仙台市経済局が所管して直接市から助成を受けるようになり、協賛・協力企業の数も増加するが、規模の拡大に対応するため2003年(平成15年)に運営協力費は値上げされた。年4000万円強の運営費総額の2/3は、この運営協力費と、当日会場を訪れた市民のカンパや協賛金によってまかなわれている。

 市はお金を出すが運営には口を出さず、現在もボランティア主体で運営がなされているが、運営費が足りないため、JSF期間中は様々な募金活動も同時に行われている。

                   (フリー百科ウキベディア引用)

 



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