2010年12月

断捨離

2010年12月17日

 昨日(12月16日)、NHKテレビのクローズアップ現代で断捨離(だんしゃり)というテーマで番組を放映していました。断捨離とは自分とモノとの関係を問い直し、暮らし・自分・人生を調えていくプロセスだそうです。面白かったので調べてみました。
 山下洋程子(やましたひでこ)さんが、提唱している片づけ術・人生の生き方術だそうです。

山下洋程子(やましたひでこ)早稲田大学卒
 ヨガ・運命学(三木雅晶氏に師事)を学び、見える世界と見えない世界が繋がっている事に気づかされる。形ある環境の力が人間に大きな影響を与えていることを学び、40代以降経験を踏まえ、【クラター(がらくた)コンサルタント】として本格的にセミナー活動に入る。
 

 山下さんは、大学在学中に入門したヨガ道場で心の執着を手放す行法哲学「断行・捨行・離行」に出合います。その後、モノの片づけを通して誰もが実践できる自己探求の手法として、住まいと心のガラクタの片づけ術「断捨離」を考案されました。2000年頃からクラター(ガラクタ)・コンサルタントとして「断捨離セミナー」を全国各地で開催しています。
 「片づけ」「整理・収納」「掃除」という概念の組み立てから、実践による意識変容までのメカニズムを明解にしたセミナーが話題を呼び、受講者は年々広がりを見せているほか、ブログやホームページからも多くの情報を発信し、ファンを増やしています。著書に、『新片づけ術・断捨離』(マガジンハウス社)、『ようこそ断捨離へ』(宝島社)等があります。

断捨離(だんしゃり)とは

 断=入ってくる要らないモノを断つ
 捨=家にはびこるガラクタを捨てる
 離=モノへの執着から離れる

 掃除をしたり、モノを捨てたりすると、なぜか心も軽くなる、というのは誰もが経験していることです。「断捨離」とは、皆が漠然としている「そうじ」や「片づけ」を再定義し、自分の「内在智」(心や体を快方向に導くセンサー)を磨くための行動へと落とし込んだ手法です。
 その結果、自分の心をご機嫌に、ついでに運気も向上させてしまおうという方法論でもあります。簡単に言うと「今、自分の手元、周囲にあるモノは本当に今の自分に必要なのか?」と自問し、答えを見つけることだそうです。

山下さんのルールは実にシンプルで、次のとおりです。
 1、使うか(今の自分にとって必要・快適)、
 2、使わないか(今の自分にとって不要・不快)、
  これだけで、いいみたいです。えっ?まだ捨てられない?
  大丈夫です。そんな人には次の方法...
 3、誰かにあげる(売る・寄付する)
 4、3R(リサイクル・リユース・リメイク)、なんてこともできるはずです。

                      (山下洋程子ブログ引用)

 

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ふたご座流星群

2010年12月16日

 昨日の朝の散歩の時、ラジオでふたご座流星群が見えると言っていたので、空を見ながら歩きました。すると5時45分頃東の空を天頂から下へ金星ぐらいの明るさの流れ星が一瞬見えました。大変きれいで感動しました。流れ星の見える間に願い事をすると叶うと言われていますが、そんなことをする時間的暇はなく、あっという間でした。たまたま、下を向いていた妻は見れませんでした。大変悔しがっていました。その後、最初ほど明るくない流れ星を二つ見ることが出来ました。これを妻も見て安心をしていました。流星が3個も見れたラッキーな朝でした。

ふたご座流星群とは

 1月のしぶんぎ座流星群、8月のペルセウス座流星群と並んで、三大流星群に数えられているのがふたご座流星群です。決して派手ではありませんが、毎年コンスタントに1時間あたり20個から30個の流星が見られるという堅実な活動を見せることで知られています。

 流星が流れてくるように見える中心点を「放射点(あるいは輻射点)」といいます。その放射点が「ふたご座」のα星、カストル(ふたごの兄)のそばにあるので、ふたご座流星群と呼ばれています。

 ふたご座流星群が出現するころは、月明かりなどを別にすればひじょうによい時期です。まず、冬なので大気の透明度が良く、他の季節に比べて暗い流星を見つけやすくなります。夜の時間が長いので、それだけ観察する時間も長くとることができます。さらに、この時期のふたご座は宵に東から昇り、深夜には天頂付近に見えています。放射点が一晩中地平線の上にあるので、どの方向にも流星が流れやすくなります。

 近年は流星の数が増えていて、しかも明るい流星が目立つようになっていることも見逃せません。実際に見える流星の数では、ペルセウス座流星群を上回るようになってきているほどです。

 また、ふたご座流星群の大きな特徴として、小惑星に起源を持つこともあげられます。ほとんどの流星群は、彗星が尾を伸ばしながら軌道上に残したチリが地球とぶつかることで見られます。しかし、ふたご座流星群の場合、チリを残したのは彗星ではなく、尾を見せない小惑星ファエトン(小惑星番号3200番)なのです
      gemini.jpg               

 (インターネット【AstroArts】)引用

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正岡子規

2010年12月13日

 昨日は何か月ぶりかの昼間の行事のない日でした。待っていたかのように妻から柿木の剪定を頼まれました。10時頃から始めて昼までかかりました。結構、腕の筋肉を使います。腕の筋肉の持久性の落ちているのに気が付きました。腕がだるくなり続けて作業が出来にくい状況が再々起こり、休み休み行いました。年を取ったなーと悲哀を感じました。明日、いやいや明後日が筋肉痛でしょうね。

 また、「坂の上の雲」が始まりました。秋山真之の友人として正岡子規がよく出てきます。子規というペンネームは肺結核で吐血して以来使っています。子規とはホトトギスのことで、血を吐くまでさえずる鳥ホトトギスになぞらえたものだそうです。日本一ペンネームの多い人物が正岡子規といわれています。

正岡 子規(慶応3年9月17日(1867年10月14日) - 明治35年(1902年)9月19日)
 俳人・歌人・国語学研究家である。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。
 俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人である。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。

 子規の本名はというと正岡常規。墓碑銘には「處之助」「升」「子規」「獺祭書屋主人」「竹ノ里人」が登場します。「處之助」は幼名。学校へ行く年になって「トコロテン」とからかわれてはいけない、と外祖父の大原観山が子規4・5歳のとき、易の地風から「升」と改めました。これ以降、友人や母から「のぼさん」と親しみを込めて呼ばれています。

「子規」は明治22年、喀血した時より「啼いて血を吐くほととぎす」に使われています。明治11年、12歳の折り、初めて作った漢詩が「聞子規」というのも因縁めいています。
 
 「獺祭書屋主人」はかわうそ(獺祭)が捕った魚を並べる習性より、本をあたりに並べ散らかす様を号したもの。
 
 「竹ノ里人」は東京の住まいを呉竹の根岸と称し、そこで暮らしていたことからつけたものです。
 
 子規は雅号だけでも百あまり持っています。「筆まかせ」雅号の章には中の川の子規邸にあった桜の木から「老桜」と号したのが十歳ごろ。山内伝蔵より「中水」をもらったがあまり気に入りませんでした。十五・六歳の時、大原観山より桜の形容として「香雲」という号に変えています。
 
 「筆まかせ」に登場する雅号は他に「走兎」「風廉」「漱石」「士清」「子升」「常規凡夫」「眞棹家」「丈鬼」「冷笑居士」「獺祭魚夫」「放浪子」「秋風落日舎主人」「癡夢情史」「野暮流」「盗花」「四国仙人」「沐猴冠者」「被襟生」「莞爾生」「浮世夢之助」「蕪翠」「有耶無耶漫士」「迂歌連達磨」「情鬼凡夫」「馬骨生」「野球」「色身情仏」「都子規」「虚無僧」「饕餐居士」「僚凡狂士」「青孝亭丈其」「裏棚舎夕顔」「薄紫」「蒲柳病夫」「病鶴痩士」「無縁癡仏」「情魔癡仏」「舎蚊無二仏」「癡肉団子」「仙台萩之丞」「無何有洲主人」「八釜四九」「面読斎」「一橋外史」「猿楽坊主」。他には「桜亭仙人」「緩寛人」「於怒戯書生」「無茶苦茶散人」「四国猿」「弄球」「能球」など。
 
 子規の雅号の中に「漱石」があり、「筆まかせ」には「漱石は今友人の假名と変ぜり」とあります。また、ベースボールを「野球」と命名したのが子規と言われているのは「升(のぼる)」をもじって「野球(のぼーる)」としたからなのです。

 「名前/無用の雑学知識」(ワニ文庫)によると、名前の記録保持者は滝沢馬琴。戒名も加えて35というペンネームということで名前の横綱に挙げられていますが、正岡子規が日本一多いペンネームの持ち主と言えそうです。

参考資料/「筆まかせ」正岡子規著 改造社(子規全集)「子規の素顔」和田茂樹著 えひめブックス

               (インターネット 松山の謎・天の巻 参照)

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