2011年10月

KK岡野工業 代表社員岡野雅行 2

2011年10月 7日

挑戦するから仕事はおもしろい 世界が驚嘆した金型技術の秘密
その2

 「考える」 ことは、自分で自分の可能性を見出すということだ。たとえば、自分が経験してきた仕事であれば、人は誰でも 「これならできる」 と思うだろう。反対に、経験したことがない仕事であれば 「できるかどうかわからない」 もしくは 「できない」 と腰が引けてしまう。
 しかし、ここが分かれ目だ。
 岡野氏は、技術的に難しくて人ができない仕事を選んでやっていく。もちろん自分にだってその製品を作った経験はない。だが、頭からできないと決めてかかることはしない。岡野氏の江戸っ子らしい意地が、ここで出てくる。
 
 「俺がよ、みんなと違うところがひとつだけあるんだ。人が 『ダメだ、できねえ』 っていうことをやりたがる。みんながやらないことをやってきて、みんなができないことをやろうとする。あいつは変わりもんだ、誰もやりたがらないことをやるなんざ、どうかしてる。そんなことを言われても、俺にしかできねえことをやり続けてきたんだよな」.
 
世界発の注射針の開発へ
 誰しもができないことで、岡野氏だからできたこと――。それは、今までの岡野工業の歴史をふりかえると、とても一度の掲載で語りきれるものではない。しかし、あえて例をあげるなら、やはり医療機器メーカーテルモの 「ナノパス33」 の開発エピソードを紹介しよう。
 
 「ナノパス33」 は、「マイクロテーパー針」 という販売名の注射針である。
 注射針といえば、誰にとってもあまり好まれる響きではないかもしれない。誰もが、子どもの頃にインフルエンザワクチンの予防接種などで、あの痛みを経験しただろう。「注射は痛い」 というイメージは変えようがなく頭に残っている。太い針は痛い。注射に使われる針の直径は通常0.4ミリもあり、その後、0.3ミリの針も登場してきてはいるが、大同小異で決定的な改良とは言えなかった。
 だが、岡野氏が開発した「ナノパス33」 の直径は0.2ミリ。液が通過する針穴の内径はなんと0.08ミリという、常識を覆す細さを実現した。名実ともに 〔世界で最も細く・痛みのない注射針〕 をこの世に生み出したのだ。
 さらにこの針にはもうひとつ革新的な仕掛けがあった。先端の外径0.2ミリ/内径0.08ミリという細さの中で、根本から先に行くほど細くなるというテーパー形状にする工夫を実現したのである。この形状にすることで、液が針の中を通る際の抵抗がぐっと低くなる。.
 「溶接して板をひっつけてるわけじゃないし、針の中もちゃんと研磨してあるから、液がうまいこと流れるんだよ」
 
 一枚の金板を丸めるだけ。溶接しないから出っ張りがなく、テーパー構造により液がスムーズに流れる。無理に流し込まなくていいからさらに痛みが減る。 ・・・岡野氏の金型・プレス技術があってこそ実現した、まさに “夢の注射針” だ。
 「ナノパス33」 は、日常的に注射をしなくてはいけない糖尿病の患者たちに、劇的な変化をもたらした。インシュリン注射のたびに味わっていた痛みからも、「痛いと知りつつ針を刺す」 というストレスからも開放されたのだ。患者のクオリティオブライフ(QOL) が重視される中、これはとてつもなく大きなことだった。
 
誰にもできないことに挑む
 「ナノパス33」 にはある開発秘話がある。テルモの社員で、新規注射針の開発担当だった大谷内哲也氏は、2000年に岡野工業を訪ねた。数え切れないほどの会社や工場に0.3ミリを超える細さの注射針の開発を打診してきたが、どこも引き受けてくれなかった。「うちにはできない」 「そもそも技術的に不可能」 と断られ続け、最終的にたどりついたのが岡野工業だった。
 当時のテルモは業界ナンバー2の地位に甘んじていた。トップは二プロ。株価、技術力etc・・・テルモは二プロを超えることがどうしてもできなかった。大谷内氏はそれに歯がゆい思いをし、そして信じていた。「この針を開発できれば、テルモは飛躍する」。もちろん自社の躍進だけではない。痛くない注射針を作ることができれば多くの糖尿病患者の人々が注射の痛みから解放される。「注射は痛いもの。仕方ない」 という常識をくつがえしたい――。大谷内を突き動かしていたエネルギーに、岡野氏は敏感に反応した。
 「よし、やろう」 岡野氏は開発を引き受けた。もちろん闇雲に浪花節や精神論だけで突っ走ったわけではない。「俺ならできる」 という自信と、大谷内氏の企業人としての正直な気持ち。この二つが、「他の誰にもできないなら、俺がやり遂げてやる!」 と岡野氏の挑戦意欲に火をつけたのだ。
 
 「うちは元々、金型屋だった。だけど、金型屋だけに収まってちゃ、やりたいようにやれないこともある。だからプレスを始めたんだけど、それって掟破りなんだよ。ご法度なんだ。でも、プレス屋がお手上げで捨ててる仕事を引き受けるんだ。誰にも迷惑をかけちゃいないし、俺はやると言ったらやるよ。誰にも真似できないようなことをやる」

                               (インターネット記事 B-plus 引用)

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KK岡野工業 代表社員岡野雅行 1

2011年10月 6日

 昨日(10月5日)、NHKテレビ「ためしてガッテン」と言う番組で「糖尿病は完治する!?」と言うテーマで放映しました。

 その中で「インスリン注射器の針」について、痛くない針が出来、インスリン注射が楽に出来るようになったと言っていました。その針は東京は墨田区の向島、下町の町工場「岡野工業」で作ったと言っていました。その事を調べてみると「B-plus」というインターネット配信の非常に面白い記事が有りました。これからの日本の生き方の指針ではないかと思いました。4回に分けて掲載したいと思います。

その1

挑戦するから仕事はおもしろい 世界が驚嘆した金型技術の秘密

プロフィール 株式会社岡野工業 代表社員 岡野雅行
 十代初めのころから、実父が営んでいた岡野金型製作所で職人としての修業を開始。勤勉に仕事にいそしむ傍ら、遊び仲間も多く、仕事と遊びの双方で「向島の岡野雅行」の名を上げ始める。1972年、製作所を引き継ぐと 「岡野工業」 と社名を変更。金型だけでなくプレスも導入し、高い技術力を持って大手との取引が増え始める。インシュリン用の注射針で主流になっている「ナノパス33」をはじめ、ソニー製ウォークマンのガム型電池ケース、携帯電話のリチウムバッテリーケース、トヨタプリウスのバッテリーケースなど、世界的な躍進を遂げた製品はどれも岡野工業製作の部品が支えているとすら言われている。
 
 岡野工業を訪問したB-plus編集部は、応接室に入るなり驚かされた。まず目に飛び込んできたのは、天皇陛下御下賜の表彰状。そして部屋の壁に飾ってある数々の写真。そこには、元内閣総理大臣・小泉純一郎氏、東京都知事・石原慎太郎氏をはじめ、今や世界の巨匠となった北野武氏らそうそうたる顔ぶれと、岡野工業株式会社代表社員・岡野雅行氏がともに収まっていた。
 岡野工業株式会社。社員数は2ケタに届かず、別段大きな敷地面積があるわけではない。誤解を恐れずに言うならば、ありふれた町工場に過ぎない。

 だが、それはあくまで目に見える範囲での情報だ。同業者だけでなく、大手企業からも敬意をこめて 「向島の異端児」 と評された岡野氏は、金型製作とプレス加工において、国の機関や大手メーカーが科学技術の粋をこらしても届かない実力を持っている。その経験と技術が社会にもたらした恩恵はあまりにも大きい。
 中学校中退の江戸っ子が、博士号を持った科学技術者を上回る。下町の小さな町工場が、世界から注目される。岡野氏が起こしてきたビジネス界のジャイアントキリング。その秘密を探ってみた。

向島在・異端児の存在感
  東京は墨田区の向島。下町の町工場に、その人はいた。チャキチャキの江戸っ子であり、少々俗な言い方をすれば、「下町にいる、気のいい金型屋のおっちゃん」だ。だが、この “金型屋のおっちゃん” に、NASA(米航空宇宙局) やアメリカ国防総省(ペンタゴン) が仕事を打診し、国内でも大手企業の依頼が後を絶たない。
 岡野工業は、もとは 「岡野金型製作所」 という社名だった。岡野氏が父から製作所を引き継ぎ、「岡野工業」 と改名したのが1972年のこと。

 1972年といえば、世界的にも 「奇跡」 とみられていた高度経済成長がひと段落し、安定成長期へと突入しようとしていた時代である。つまり、妥当な仕事をこなしていさえすれば、黙っていても大手企業などからオファーが入ってくる時代だった。
 だが、そんな安定期にあって、岡野氏は異端児としての存在感を発揮し始める。キーワードは 「挑戦」 だ。
 
 「たとえば、医者に行くとするだろ? あんたがもう余命3ヵ月しかねえって大病院の医者に言われたとするよ。でもさ、そんな大病院で手に負えねえ患者を、俺んとこみたいな小さい規模のよ、いわゆる町医者が治したとすりゃ、そりゃ痛快だろう」
 岡野氏は、豪快に笑いながら言う。 「だからこそ、仕事はおもしろいんじゃねえか」。
 
何でも自分の頭で考える
 岡野氏が工場を引き継いでから約20年後の1991年。バブルが崩壊し、多くの工場や零細企業が路頭に迷った。その中で、岡野工業が単に生きながらえるどころか、さらにブランド力を高めてきた理由が「だからこそ、仕事はおもしろいんじゃねえか」の一言に集約されている。
 仕事における 「挑戦」 は、「自分で考える」 という癖から始まる。岡野氏は、今、多くの日本人がこれを忘れてしまっているのだと指摘する。
 
 「今も、やれ不景気だ不景気だって言うけど、仕事がないんじゃないんだよ。みんなが、今ある仕事をこなせないだけなんだよな」
 「なんとかのナビゲーションと一緒だよ。車でも歩きでも、どこかへ行こうとするときには必ず誰か他の人がもたらした情報に頼るだろ。要は、ナビがなきゃどこへも行けないわけだ。メシだってそうだろ? どこそこにうまいラーメン屋があるって、本で読んだりしなきゃわからない。自分で発掘しようとしないんだよ。だから自分で考えて仕事をすることができなくなるんだ。そんなだから、仕事はあっても自分に合わないとか思っちゃうんだよな」.

       (インターネット記事 B-plus 引用)

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膝痛

2011年10月 5日

 「健やか通信」と言うインターネットの情報に面白い記事が有りました。ひざ痛で悩んでいる方への整形外科医のコメントです。ひざ痛で悩んでいる方は参考にしてください。

水を抜くと癖になる
 外来で“水(関節液)を抜く”処置をするときによく聞かれますが、結論的には、“×”です。抜いたからくせになり、溜まりやすくなるのではなく、水が溜まる原因となっている炎症が治らないと水を抜いてもまた水が溜まるのです。“水(関節液)”とは、ひざの軟骨、ひざを取り囲んでいる滑膜などに問題が生じて、ひざの中で炎症が起こった場合に、滑膜から関節の中にしみ出てきたものです。私はひざの水を抜くときに炎症を止めるためのお薬を関節に注入して、炎症を抑えることを試みています。溜まった水をそのままにしたから、さらに問題が発生する、ということも基本的にはありませんが、大量に水が溜まるとひざの曲げ伸ばしのときに圧迫されるような痛みがでたり、ひざ周囲の重だるさがでたりするので、それらの症状がある場合には関節液を抜いたほうがいいと思います。

動かすべきか、休むべきか
 軟骨という組織は血液が循環していない、とても栄養の供給の悪い組織です。栄養補給の方法は、軟骨のスポンジのような構造がヒントになります。ふだん軟骨は水をたくさん吸い込んだスポンジのような状態です。しかし、体重をかけるような負荷がかかると、スポンジがつぶされた状態になります。このときに水分は吐き出されます。そして、負荷がかかり終わると、再びスポンジが広がるときに水分を吸い込むように、軟骨も周囲の水分などを吸い込んでいきます。これが軟骨の栄養供給となります。つまり、体重をかけることが、栄養供給につながると考えられます。負荷をかけ過ぎて軟骨を痛めてしまうのも危険ですが、軟骨への栄養補給という面からも痛みのない範囲で、無理なく負荷をかける散歩など、軽い運動を行うこともよいでしょう。

筋力トレーニングが膝に良い
 筋力トレーニングそのものがひざの痛みをとるものではないと私は考えています。しかし、ひざはからだの重さを支えなくてはいけない関節です。腹筋、背筋、太ももなど、からだを支える筋肉がしっかりしていないと、ひざへの負担が増えることが考えられ、痛みを強くしてしまう可能性はあると思います。特に太ももの前面にある筋肉(大腿四頭筋(だいたいしとうきん))を鍛えることで、ひざ関節にかかる衝撃をやわらげ、負担を減らすことができます。
 また、私が代表を務めるNPO法人「腰痛・膝痛チーム医療研究所」のスタッフである理学療法士の金先生(健康科学大学教授)は、背骨と両脚のつけ根(脊椎と大腿骨(だいようきん))を結ぶ唯一の筋肉である大腰筋の重要性を指摘しています。大腰筋は下図のようにからだの深部にあり、背骨や骨盤を支える、太ももを上げるなどの役割をはたす筋肉です。過去の研究では大腰筋の断面積が大きいほど、歩行能力が高い、日常生活の活動性が高いという結果※も得られており、今後の研究が期待されます。日常の動作で大腰筋を鍛えるのは、階段の上がりです。ひざが痛い方は無理なさってはいけませんが、可能な方は、上りは階段下りはエスカレーターを利用するなど毎日の暮らしのなかで工夫をしてみるのもよいでしょう

      大腰筋.gif

 

     膝のトレーニング.gif

磐田 振一郎
 慶應義塾大学医学部卒業。同大学大学病院勤務後、2004年より米国スタンフォード大学工学部生体医工学研究室で客員研究員。帰国後整形外科医として、膝関節疾患を中心とした治療を専門とし、ひざの動作解析や、MRIによるひざ軟骨の測定などを研究。NPOの「腰痛・膝痛チーム医療研究所」代表理事。武蔵野陽和会病院、石井病院(伊勢崎市)、古河病院(古河市)、台東区立台東病院整形外科医。

(健やか通信 整形外科医による膝と骨の話 引用)

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