2011年3月

予算議会終了

2011年3月10日

 昨日(3月9日)で予算議会が終了しました。昨日書きました予算特別委員会の採決と同じ内容で議決されました。修正案の提案理由を「ひろしま政和クラブ」の山田晴男議員が次のように述べられています。

提案理由
 この度、市長から提案されました平成23年度当初予算案は、本年4月に、市長の任期が満了することから、義務的経費等を中心とした「骨格予算」として、編成したとの説明がありました。
 この骨格予算ということにつきましては、以前、市長自ら、答弁されたことがあります。
 それは、平成19年第1回定例会における総括質問に対する答弁で、その時、市長は、
「骨格予算とは、一般的に首長の改選を目前に控えている場合等において、当初予算の編成に当たって、通年での予算計上が適当でないと判断した場合に、新規の施策等を見送り、また政策的経費を極力抑え、義務的経費を中心に編成された予算のことを言うもの」であると述べられております。
 また、その考え方につきましては、「市政の政策的な方向付けは、新たな市民の負託のもとに行われるべき」ということも述べられているのであります。
 この考え方に沿って、この度の予算案を検証してみますと、果たして、これが「骨格予算」と言えるものか、甚だ、疑問があります。
 私自身としましては、オリンピック招致検討事業はもとより、広島西飛行場の市営化、旧広島市民球場跡地の活用、高精度放射線治療センターといったものは、新たな市長の下で、今後、どのようにするか、判断をした上で、予算計上すべきものと考えておりますが、その中でも、広島西飛行場の市営化と旧広島市民球場跡地の活用については、予算計上された内容では、どうしても、認めることはできないものと考えます。

 このうち、まず、広島西飛行場の市営化についてでありますが、市長が市営化の方針を明らかにされたのが、昨年の末であります。
 しかし、その方針決定に至るまで、また、その決定の後に、私たち議会、市民に、どれほどの説明がなされてきたでしょうか。
 私たちが、十分、納得できるに足りる、検討資料なり、情報が、市当局から、提供されてきたでしょうか。この間、全くないと申し上げても、決して過言ではありません。

 確かに、中四国地方の中枢都市として、広島市が、これまで以上に発展していくためには、市内に空港があるに越したことはないかもしれませんが、その空港を整備・維持するために、どれほどの経費が掛かり、経営収支が、どのようになるのかも、また、就航する路線の目途も立たない中で、広島県と交わした期限だけを理由に、強引に、この時期、市営化を決めることには、到底、同意できません。
 広島西飛行場をどのようにするかは、今後の広島市の都市づくりを進めていく上で、大変重要な課題であることは、今更、改めて、
申し上げるまでもないことであります。
 そうであるならば、新たな市長の下で、市当局、議会、地元、そして、市民が、十分、議論し、納得できる結論を出すべきであると考えます。
 よって、市営化を前提とする整備計画策定等に係る予算は削除する必要があると考えます。

 次に、旧広島市民球場跡地の活用についてでありますが、この事業は、広島市の戦後復興のシンボル的存在、広島市の市民共通の貴重な財産とも言うべき旧市民球場を取り壊してまで、進めていこうとするものであることを踏まえますと、その事業の推進に当たっての前提は、議会、市民が十分納得し、合意した上でなければならないものと考えます。

 これまでにも、私は、機会あるごとに、そのことを市当局に申し上げてまいりました。しかし、市当局は、そうした私たちの願いを
省みることなく、市当局の考えを、一方的に押し付けるだけでありました。

 旧広島市民球場のある紙屋町・八丁堀地区が、本市の活性化を図る上で重要な地区であり、より一層魅力を高めていくことが必要であると市当局が、本当に考えているのであるならば、中央公園全体の再整備も含めて、そのための知恵を、皆で出し合い、創り上げて
いこうではありませんか。

 また、そうした全市民的な取組を進めていくことが、戦後の荒んだ私たちの心に、希望の灯火を点してくれた旧市民球場への、せめてもの恩返しになると思うのでありますが、いかがでしょうか。

 こうしたことから、広島西飛行場の市営化と同様、この旧広島市民球場跡地の活用についても、新たな市長の下で、市当局、議会、地元、そして、市民が、十分、議論し、納得できる結論を出すべきであると考えます。
 よって、解体工事(第2期)に係る経費を除く緑地・広場整備等に係る予算は、削除する必要があると考えます。
 
以上のことから、これらの予算を削除する修正案を提出したものであります。

以上が提案の理由であります。

どうか本修正案に対して、皆様のご賛同をよろしくお願い申し上げまして、趣旨説明を終わらせていただきます。

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春近し

2011年3月 8日

 我が家の周りにも春がすぐ側にやって来ています。あせび・蕗のとう・椿等、綺麗に咲いています。

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              蕗のとう(良く解りませんかね)

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   あせび(馬酔木) 現在の状態がつぼみでこれから壺状の白い花を咲かします。

 本州、四国、九州の山地に自生する常緑樹。やや乾燥した環境を好み、樹高は1.5mから4mほどである。葉は楕円形で深緑、表面につやがあり、枝先に束生する。早春になると枝先に複総状の花序を垂らし、多くの白くつぼ状の花をつける。果実は扇球状になる。有毒植物であり、葉を煎じて殺虫剤とする。有毒成分はグラヤノトキシンI(旧名アセボトキシン)。

 馬酔木の名は、馬が葉を食べれば苦しむという所からついた名前であるという。 多くの草食ほ乳類は食べるのを避け、食べ残される。そのため、草食動物の多い地域では、この木が目立って多くなることがある。たとえば、奈良公園では、シカが他の木を食べ、この木を食べないため、アセビが相対的に多くなっている。逆に、アセビが不自然なほど多い地域は、草食獣による食害が多いことを疑うこともできる。

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 梅の老木に今年も赤い花が咲きました。椿とともにストーブの上にいけて有ります。季節を感じます。

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啓蟄

2011年3月 7日

 昨日(3月6日)は、啓蟄でした。ようやく春の息吹を感じる季節となっています。先日は蕗のとうが出ているのを見つけ天ぷらで食べました。苦みが最高でした。

啓蟄(けいちつ)
 二十四節気の第3。二月節(旧暦1月後半?2月前半)。
 現在広まっている定気法では太陽黄経が345度のときで3月6日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から5/24年(約76.09日)後で3月8日ごろ。

 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の春分前日までである。

二十四節気
 
 二十四節気(にじゅうしせっき)は、1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。二十四気(にじゅうしき)ともいう。太陰太陽暦において月名を決定し、季節とのずれを調整するための指標として使われる。分割点には12の節気と12の中気が交互に配され、各月の朔日(1日)が対応する節気前後になるように月名を決める。実際には月中に次の中気が含まれるように決める。例えば雨水が含まれる月を「正月」と決めると元日の前後半月以内に立春があることになる。中気が含まれない月が現れた場合には閏月が設けられる。ただし、定気法においては例外の処理が必要となる。特に重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分を併せて二至二分といい、重要な節気である立春・立夏・立秋・立冬を四立、二至二分と四立を併せて八節という。

 また1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けた24の期間を表すものとして使われることがある。この場合、二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた、七十二候という分類があり、各気各候に応じた自然の特徴が記述された。日本では暦注など生活暦において使われている。

    二四節気.png              

           フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

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