2010年7月

折り鶴保存

2010年7月 9日

 昨日(7月8日)、安芸区矢野の環境局業務部業務一課が所有している、一般廃棄物保管場所(現在は使われていない)に折り鶴が山積みされているとの市民からの投書が有りましたので視察に行ってきました。熊野道路のトンネル入り口手前を矢野方面に降りる途中にありました。かなり広い土地に建物が有り、何台かのナンバーのないごみ収集車がおいて有りました。現在使っていない建物と土地がそのまま放置してあり無駄な物を抱えているなと感じました。

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 折り鶴は、年間約10トン集まるそうです。平成14年から収集をはじめ、現在では約90トン有ると言われています。その内の約40ー50トンがこの場所に山積みされていました。折り鶴はそれぞれビニール袋に入れられ山高く積んであり下のほうの折鶴は重みで潰れているし水分も浮いていたのでカビも生えているのではないかと思いました。        P1010333.JPG

 

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 「春風夏雨」の「折鶴の消える日(1)」で秋葉市長は次の様に書かれています。
【世界の子どもたちから広島に贈られてくる折鶴について考えると、年間を通じてこれほど多くの折鶴が広島に贈られて来る事実、しかもその全体像を、ほとんど時間を掛けずに分って貰いたいのです。それだけではなく、その背後にある平和を願う気持の全てもより多くの人に感じ取って欲しい、そしてそのためには、贈られて来た折鶴の全部を一箇所に集めて見て貰う以外には上手く伝える術はないのです。しかも、それが出来るのは広島だけなのです。】

 この考え方で、会議の中で「私の思う折鶴展示は例えば東京ドームのような建物に折鶴を展示すると言うことです」と発言をされています。現在までで約90トン、1年に10トンづつ増え続けます。今年の予算特別委員会で否決した「折鶴展示の検討費」を再議で復活されました。本当に可能でしょうか?現在、旧市民球場で一部展示をしています。そして中区の環境事業所・今回の矢野の一般廃棄物保管場所跡地に山積みされています。理想と現実を良く見極めてほしいと思います。

 

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シェラトンホテル広島

2010年7月 8日

 平成22年(2010年)7月5日、広島市都市活性化局都心再開発部より若草町地区への「シェラトンホテル広島」の出店について(お知らせ)の報告がありました。当初、ホテル・オフィス棟は外資系ファンドが取得予定だったが1月に撤退しました。開発業者はホテルやオフィス棟を取得する株式会社A・I・C広島マネジメント(合同会社)を設立し、市が40億円の無利子融資することを、3月の定例会で決めましたが、その核となる施設がようやく決定しました。同ホテルは中四国初進出です。北口駅前広場の東側に建設中の高さ約96メートルの21階建てビルに、客室238室と会議や宴会用のスペース約700平方メートルなどを備えています。

以下、そのお知らせの文章です。

 若草町地区への「シェラトンホテル広島」の出店について(お知らせ)

 若草町地区市街地再開発事業で建設中のホテル・ビジネス棟に出店予定のホテルについて、施行者より、7月2日付けでホテル運営会社である株式会社A・I・C広島マネジメントと日本スターウッド・ホテル株式会社が「シェラトンホテル広島」の運営委託契約を締結した旨の報告を受けましたので、お知らせいたします。
 なお、本件については、本日以降、日本スターウッド・ホテル株式会社のホームページにおいて公表される予定です。

シェラトンホテル広島、開業決定(2011年春、スターウッド中国地方に展開を拡大)

 日本スターウッド・ホテル株式会社は本日、オーナー会社となる株式会社A・I・C広島マネジメントとの正式契約を完了し、シェラトンホテル広島の開業が決定したことを発表いたします。ホテルは、2011年春のオープンを予定しています。

 シェラトンホテル広島は、広島市が推進中の広島駅周辺開発プロジェクトの一環として、またその鍵となる存在として大きな役割を担います。新築で市内最大の高さを誇るこのホテルは並んで立つオフィスビルと繋がっており、またホテルとJR広島駅とを結ぶ通路の整備も予定されているなど、更なる利便性が約束されています。

 広島市の都心に位置するシェラトンホテル広島は、スイートルームを含む総客室 238室、ロビーラウンジ、バー、2つのレストランからなる 4つの料飲施設、総面積 700平米を誇るバンケットスペース、そして美しいデザインのウェディングチャペルを擁します。また室内プールやフィットネスセンター、ビジネスセンターの機能も兼ね備えたシェラトンブランドのコミュニケーションスペース “リンク@シェラトン”、加えて地域初のホテル内フルサービス・スパ施設も整え、ビジネスやレジャー両ゲストの皆さまの快適な滞在を演出します。

 「広島は、文化・歴史両面において、日本だけでなく世界にとっても大変重要なデスティネーションです。シェラトンホテルブランドを広島に誕生させることができることを、大変誇らしく かつ 嬉しく思っています。市民の皆様に、温かいホスピタリティとサービスを提供していきたい。」と、日本スターウッド・ホテル株式会社 日本・韓国・グアム地区統括社長 ロタ・ペールは語っています。

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                     中国新聞写真転用 

 スターウッドは、既存の 7つ(シェラトンホテル札幌、シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル、シェラトン都ホテル東京、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ、シェラトン都ホテル大阪、神戸ベイシェラトン ホテル&タワーズ、シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート)に広島を加え、計 8軒のシェラトンブランドホテルを運営することになります。

 中国地方最大の都市である広島市は、国内はもちろん、海外における認知度も高く、その地名は世界平和の象徴として広く知られています。県内にある 2つの世界遺産 ― 原爆ドームと厳島神社 をはじめとした観光名所には多くの観光客が訪れています。市内まで 45分のアクセスにある広島空港には、国内線各路線に加え、ソウル、グアム、バンコク、台北、上海、北京、そして大連らを結ぶ国際線も乗り入れています。

シェラトン ホテル&リゾートについて
 世界 75カ国 400を超えるホテルでお客様のつながりを大切にしているシェラトン ホテル&リゾートは、60億ドルを費やし全世界でリバイタルプログラムを実施しています。この数字には 2億ドルの新規ホテル投資を含む 40億ドルの北米における投資と、15億ドルのリノベーション費用、また 4億ドルのオリジナルブランドプログラムが含まれています。
 シェラトンは、およそ 100カ国で 1,000を越えるホテルを運営し、総従業員数 14万 5千人を有する スターウッド ホテル&リゾートワールドワイド Inc.最大のホテルブランドです。セント レジス、ラグジュアリー コレクション、W、ウェスティン、ルメリディアン、シェラトン、フォーポイント・バイ・シェラトン、アロフト、そして最新ブランドエレメントを展開する、ホテル・リゾートおよびスターウッド バケーション オーナーシップ Inc.のオーナー/運営会社/フランチャイザーであり、またタイムシェアに基づく高級リゾートの開発と運営も手掛けています。
                          日本スターウッド・ホテル(株) ホームペジ引用

                                   平成22年(2010年)7月5日
                               広島市都市活性化局都心再開発部

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七夕

2010年7月 7日

 本日は七夕です。広島地方は天気が良くて天の川が見れそうです。年に1回ぐらいゆっくりと星空を見るのも良いのではないでしょうか?光がありすぎて星の見えない方は、少し田舎へドライブしたらどうでしょうか?

 七夕(しちせき、たなばた)は、日本、中国、台湾、ベトナム、韓国などにおける節供、節日の一つです。 旧暦の7月7日の夜のことですが、日本では明治改暦以降、お盆が7月か8月に分かれるように7月7日又は月遅れの8月7日に分かれて七夕祭りが行われています。五節句の一つにも数えられる。古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や棚幡と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったとも言われとぃます。元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉です。
                      (ウィキペディア フリー百科事典)参照

 7月7日七夕の夜、天の川を隔てて輝く、 わし座 の1等星アルタイル(牽牛星)彦星と こと座 の1等星べガ(織女星)織姫が 一年に1度だけ逢うことを許された夜...。
 このお話は中国で生まれ日本に語り伝えられた伝説です。

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                    こと座べガ 織女(織姫)

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                   わし座アルタイル 牽牛(彦星)

 夜空に輝く天の川のほとりに、天帝の娘で織女と呼ばれるそれは美しい天女が住んで居ました。
 織女は、天を支配している父天帝の言いつけをよく守り、毎日機織りに精を出していました。
 織女の織る布はそれはみごとで、五色に光り輝き、季節の移り変わりと共に色どりを変える不思議な錦です。
 天帝は娘の働きぶりに感心していましたが、年頃の娘なのにお化粧一つせず、恋をする暇もない娘を不憫に思い、天の川の西に住んでいる働き者の牽牛という牛飼いの青年と結婚させることにしました。
 こうして織女と牽牛の二人は、新しい生活を始めました。

 しかし、結婚してからの織女は牽牛との暮しに夢中で毎日はしゃぎまわってばかり。機織りをすっかり止めてしまったのです。天帝も始めはこんな二人の様子を新婚だからと大目にみていましたが、いつまでもそんな有様が続くと眉をひそめざるを得ません。
 天帝はすっかり腹を立ててしまい、2人の所へ出向くと、「織女よ、はたを織ることが天職であることを忘れてしまったのか。心得違いをいつまでも放っておく訳にはいかない。再び天の川の岸辺に戻って機織りに精を出しなさい」更に付け加えて...「心を入れ替えて一生懸命仕事をするなら1年に1度、7月7日の夜に牽牛と会うことを許してやろう」と申し渡しました。

 織女は牽牛と離れて暮すのがとても辛く涙にくれるばかりでしたが、父天帝に背く事もできず、
牽牛に別れを告げると、うな垂れて天の川の東に帰って行きました。

 それ以来、自分の行いを反省した織女は年に1度の牽牛との再会を励みに、以前のように機織りに精を出すようになりました。
 牽牛も勿論思いは同じ、働いて働いて...7月7日を待ちました。
 こうして、牽牛と織女は互いの仕事に励みながら、指折り数えて7月7日の夜を ...

 ところが、2人が待ち焦がれた7月7日に雨が降ると、天の川の水かさが増して、織女は向こう岸に渡ることができなくなります。
 川下に上弦の月がかかっていても、つれない月の舟人は織女を渡してはくれません。2人は天の川の東と西の岸辺にたたずみ、お互いに切ない思いを交しながら川面を眺めて涙を流すのでした。

 7月7日に雨が降れば...そんな2人を見かね何処からともなくかささぎの群が飛んできて、天の川で翼と翼を広げて橋となり、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれるのだそうです。

 本来の七夕は旧暦に祝われたもので、旧暦(2010年は8/16)だと、北東から南西の宵の空高く天の川が流れ、 その両側の岸辺にはべガ(織姫)とアルタイル(彦星)、天の川の川下には、 なかなか会えない2人の間を無情に通り過ぎる、連れない舟人にたとえられる上弦の月がかかり、 中国に古くから伝えられてきた七夕伝説の夜をみることができます。
 ベトナムではかささぎの代りにカラスがその役目を務めます。 ベトナムでは7月はカラスが飛び立つ月といい、飛び立ったカラスはそのまま銀河まで行って、 2人の為に橋になってやるのだと言われているそうです。

                           (インターネット七夕伝説)参照

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