イカ墨・タコ墨 2012:04:20:07:19:26

2012年4月20日

 昨日(4月19日)ラジオでイカ墨は料理に使うがタコ墨は料理に使わないのはなぜかという話をしていました。イカ墨料理は、イカ墨パスタ等数限りなくあります。しかし、タコ墨料理はありません。

 イカとタコは同じ軟体動物のカテゴリーに属しており、巻き貝や二枚貝に代表される貝類と同じなのです。進化の過程で殻を亡くしたと言われています。両者ともに頭から直接脚が生えているという独特の形状から、「頭足類」というグループに入ります。ほかには、オウムガイもこれに分類されています。

 イカスミとタコスミの主成分は、セピオメラニンと呼ばれるメラニンの一種で、成分的にはそれほど違いはありません。イカスミが料理に使われるのは、アミノ酸がたくさん含まれていておいしいためです。一方、タコスミス料理が無いのは、アミノ酸がイカスミの30分の1程度しか含まれていないため、タコのスミが美味しくなく生臭さがあるからだそうです。

 もう一つの理由は吐き出す墨の粘度の違いだそうです。
 イカ墨は粘り気が強いので、吐き出したあとも黒い塊のまま海中を漂います。魚などの敵は「もう一匹のイカが現れた」と勘違いするらしく、イカはそのすきに逃げます。いわば「分身の術」です。
 ちなみに、光のない深海にすむイカ の多くは,体の表面にたくさんの発光器を持っています。彼らが逃げるときには,光る墨を吐き出して逃げて行きます。

 逆に、タコの墨は粘り気が少ないので、吐き出すと煙は煙幕のように海中に広がります。敵が何も見えなくなって困っているうちに、タコは逃げるのです。「目くらましの術」です。

 このようにイカ墨は粘度が高いために料理に絡ませやすく、タコ墨は美味しくなく料理に絡ませにくいため使われていないそうです。

             (インタネット記事引用)

 

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巣鴨 2012:04:19:07:06:30

2012年4月19日

 昨日一昨日と「60歳からの主張」の川柳を書きましたが、2011年1月に同じタイトルでブログを書いていました。その中に現在の私の心境にぴったりの川柳を見つけました。

 「妻からの トゲを抜くため 行く巣鴨」 岡部晋一さん
 
 先日から、たばこを止めないとぶつぶつ言われています。また、一昨日ゴルフに行きミーティングで飲んで帰りました。昨日の朝、腰は痛く、喉も痛いので妻に言うと、「そうですよね、付き合いでゴルフをし、終わって遅くまで飲んで、腰が痛い、喉が痛いと言って大変ですねー」とチクチクトゲを刺してきます。と平素からチクチクとやられています。巣鴨に行かなくては!!

「とげぬき地蔵尊」
 正式には曹洞宗萬頂山高岩寺といいます。慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ約60年後下谷屏風坂に移り巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。
 ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。こちらの地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝見させていただくことはできませんが、そのお姿を元に作られた御影(おみかげ)に祈願してもご利益があるとされています。こちらは高岩寺のご本堂で授与されています。

起源と歴史
_曹洞宗萬頂山高岩寺は、約400年前(慶長元年=1596年)江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移りました。明治24年、区画整備のため、当地(北豊島郡巣鴨町)に移転し、今日に至ります。御本尊はもとより霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵尊です。
 正徳3年(1713年)5月のこと、江戸小石川に住む田付という人の妻は、常に地蔵尊を信仰していました。一人の男の子を出産して後重い病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまいました。諸々の医者が手を尽くしましたが、一向によくならず、遂に婦人は臨終を覚悟し、「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか生きられないと父母から聞いております。姉も25歳で亡くなりました。」といいだすしまつでありました。田付氏は悲歎にくれつつも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けました。
 ある日のこと、田付氏は不思議な夢をみました。黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」という。田付氏は、それは急には成し難いことを答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ、夢からさめました。不思議な夢と、ふと枕元をみると、何か木のふしのようなものが置いてありました。よくみるとそれは「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影なのでした。田付氏は命の通り、これを印肉にせしめて、宝号を唱えつつ一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、一心に祈願しながらこれを河水に浮かべました。さて、その翌日朝またぎ、田付氏は病床の夫人の呼ぶ声に急いで行ってみると、夫人は「今、枕元に死魔が現われましたが、錫杖(しゃくじょう)をもった黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと突き出してしまわれるのを見ました」と告げました。田付氏は霊験にわれを忘れていましたが、あれほど重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床を離れることが出来、以後夫人は無病になったといいます。

 田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいといいました。田付氏は持っていた2枚を与えました。正徳5年のある日、この毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまいました。女は苦しみもがくが医者も手の施しようがありませんでした。そこに西順が来たり、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい。」といって、一枚を水で飲ませました。すると、間もなく女中は腹の中のものを吐き、きれいな水で洗っていると、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いてでてきたといいます。

とげぬき地蔵尊御影
 縦4センチ横1.5センチの和紙の中央に尊像が描かれている。痛いところに貼ったり、のどに骨が刺さったとき飲んだりすると治るといわれる。高岩寺本堂で授与しています。

(巣鴨地蔵通り商店街HP参照)

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