2011年2月

明日 事務所開き

2011年2月10日

 明日(2月11日)は、選挙事務所開きを行います。一回目の選挙からずーっと2月11日に行ってきました。今週の日曜日に事務所の引っ越しをしていただきました。30人くらいの方が集まり、それぞれが軽トラックやトラックを持って来てあっという間に終わりました。毎回思いますがありがたいことです。私は地域行事が有ったので遅れていきました。ほとんど終わっていました。 

    P1010937.JPG

            奥が事務所で手前が応接をする建物です

    P1010934.JPG

      駐車スペースは大変広くなっています(奥の赤い屋根が川中醤油)

 今回の場所は、アストラムライン伴中央駅の東に約100m行った川中醤油(醬の館)の隣の空き地にプ レハブを建てました。320坪あります。地元の地主さんに快く貸していただきました。

事務所開き

時    平成23年(2011年)2月11日

所    沼田町伴5014(アストラムライン下道路 川中醤油の隣の空き地)

時間  9:00AM    神事

    10:00AM    事務所開き

  事務所地図.JPG

                赤い+マークの所です

 たくさんの応援をよろしくお願いします。

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正式出馬要請

2011年2月 9日

 昨日(2月8日)、自由民主党広島県連合会(会長 岸田文雄衆議院議員)は、午後から幹事会・選挙対策委員会・役員会を開き、広島市長候補に中央労働委員会事務局長の【松井一實氏】を正式に擁立することを満場一致で決定しました。

 本日(2月9日)岸田会長が本人に出馬要請を正式に行います。それを受けて松井氏は退職願を出されます。明日の閣議で承認され正式の出馬となる予定です。11日からの連休が広島デビューとなるのではないでしょうか。

 慎重に行動してきましたが、ようやく決まりました。広島市議会では5期以下の議員が過去の反省の上に立ち、また、6期以上の議員の方々にも理解をいただき一致団結して事に当たってきました。それぞれ自分の選挙もありますが、このまま一致団結して4月10日まで突き進んでいきたいと考えています。

松井 一實(まついかずみ)  

 生年月日 : 昭和28(1953)年1月8日生
 広島県出身(牛田小学校・牛田中学校・基町高校・京都大学法学部卒業)
 
 <経 歴>

 昭和51(1976)年 : 労働省入省
 
 昭和60(1985)年  : 福岡県労働部職業安定課長
 
  平成元(1989)年  : 在連合王国日本国大使館一等書記官 (ロンドン)

 平成5 (1993)年  : 婦人局婦人労働課長

  平成6 (1994)年  : 職業安定局高齢・障害者対策部高齢者雇用対策課長

  平成8 (1996)年  : 労働基準局賃金時間部労働時間課長

  平成9 (1997)年  : 職業安定局庶務課長
 
  平成10(1998)年  : 労働基準局監督課長

  平成11(1999)年  : 職業安定局雇用保険課長

  平成12(2000)年  : 職業安定局雇用政策課長

  平成13(2001)年  : 職業安定局総務課長

  平成14(2002)年  : 大臣官房総務課長

  平成15(2003)年  : 労働基準局勤労者生活部長

  平成17(2005)年  : 大臣官房審議官(労働基準担当)
 
  平成18(2006)年  : 大臣官房総括審議官(国際担当)

  平成20(2008)年 : 中央労働委員会 事務局長
          
             現在に至る

東京で語られた事

 お父様は彫金師だったそうです。子供に頃からお父様の仕事ぶりを見て育ちました。大学に進学をするとき物づくりの仕事に就きたいと、京都大学工学部に入られたそうです。しかし、自分には合わないと気付き法学部に受け直し、司法試験と国家公務員上級試験を目指されたそうです。(大学は5年かかっている)国家試験上級試験に通り旧労働省に入られました。

 昭和60年から福岡県労働部職業安定課長に赴任され、炭鉱労働者問題等で大変苦労をされたそうです。その業績を買われ、平成元年から在連合王国日本国大使館一等書記官 としてロンドンに赴任されました。それまで英会話は全くできなかったそうですが、猛勉強をし英会話を学ばれ、ロンドン在住5年間で英語会話については苦労をしないくらいになられたそうです。

 平成元年からは 婦人局婦人労働課長 に就任され、上司の部長(女性)に「私は男尊女卑」の世界に育ちました」と言われたら上司の女性部長から「解ってるわよ、しっかり鍛えて上がるから覚悟しなさい」と言われたエピソードも語られました。その任のときセクシャルハラスメントの法律を書かれたそうです。

 前にも書きましたが、幼馴染の奥様と結婚され、子供さんが4人おられるそうです。

 年に1度か2度は広島へ帰られ、高校の同級生と酒を酌み交わし、広島を熱く語っていたとも話されました。

 高級官僚にみられる冷たさは感じず、非常に気さくな庶民的な印象を持ちました。

 

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パンとサーカス

2011年2月 8日

 一昨日(2月6日)行われた、名古屋市長選と愛知県知事選は、地域政党を率いて「減税」を掲げた河村たかし、大村秀章両氏がそれぞれ制しました。同時に市で行われた住民投票では市議会解散が決まり、河村氏の戦略通りの結果となりました。河村氏は「名古屋の皆さんが民主主義の時代に一歩を踏み出した歴史的な日だ。」と語りましたが、非常に怖い話だと思います。反対に議会制民主主義を壊す話ではないでしょうか。市民に耳触りの良い政策を掲げ市民の圧倒的な人気を得る手法は、ポピュリズム(大衆迎合主義)そのものではないでしょうか。現在の民主党政権と同じ過ちを犯そうとしているとしか見えません。市長の思いを議会が聞かないから、市長自ら先頭に立ち住民投票を先導する方法は、独裁政治そのものだと思います。現在の二元代表制は、戦後の日本の地方自治を支えてきました。議会のチェック機能を否定するものだと思います。テレビ等に露出の多い首長が、人気を逆手にとって政策を訴え、首長が思い通りの行政を行うという、大阪府も同じことが言えるのではないでしょうか。

 政治評論家の三宅久幸氏が、「民主主義の醸成は時間とコストがかかるものだ。粘り強く努力していくしかない」と言っておられました。私もそうだと思います。

 【八木秀次高崎経済大教授は、河村氏の手法に漂うポピュリズム(大衆迎合主義)政治の危険性をこう指摘する。「市民に分かりやすい政策だけで、古代ローマの政治手法『パンとサーカス』だ。パンは減税、サーカスが敵を作り上げてやっつけることだ。

 既成政党への国民の不信が強まる中、個性的な首長が率いる地域政党は、閉塞(へいそく)感が蔓延(まんえん)する地方自治の起爆剤となる可能性はある。一方で、首長と議会が相互にチェックし自治体の意思を決定する「二元代表制」の原則が崩れかねないとの指摘もある。その在り方を見直す契機にもなるかもしれない。】と産経新聞で述べておられました。

パンとサーカス(ラテン語: panem et circenses)
 詩人ユウェナリスが古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。ガス抜きや愚民政策の例えとしてしばしば用いられている言葉です。

 高校入試の教科書ですと、「パンと見世物」という表現がされています。これはユウェナリスというローマの風刺詩人の言葉で、「パンと見世物によって魂を買収された平民・・」について書いています。
 これには共和政時代(皇帝が登場する以前)の二大戦争の影響があります。ポエニ戦争とマケドニア戦争という、地中海の覇権を巡った熾烈な戦いのあと、もともと農業国であったローマの平民(中小自作農民)が、この長年の戦争への従軍で財産である土地を失ってしまいます。さらに戦争で獲得した「属州」から、非常に安い農作物がローマに入ってきたために、平民の農業経営は行き詰ってしまいます。
 そんな中、有力者たちは、平民が手放した土地を買い占めて、戦争で獲得した奴隷を投入して大規模な農業経営を始めます。これを「ラティフンディウム」といいます。離農してしまった農民とその家族の多くは首都ローマに流れ込み、「食事と娯楽」、いわゆる「パンと見世物」を要求するようになります。有力者で野心家たちはこれをいいことに、食事と娯楽(コロシアムで繰り広げられる模擬戦争やグラディエーターによる殺し合いなど)を提供し、名を売ります。さらに没落した平民を傭兵として使い、自分の野望を遂げるために利用したりしました。そのような状況が続き、「自分の国は自分で守る」という原則が崩れ、野心を持った有力者が幅を利かせる時代、「内乱の1世紀」へと突き進んで生きます。
 「パンと見世物」はこのような状況を皮肉って表現されたものです。

                    (教えて!Goo)引用

 

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