2010年1月
八朔
5年前に植えた「八朔」が今年は47個生りました。1年目は0個・2年目は3個・3年目は17個・4年目は13個・5年目(今年)47個と良く生り始めました。まだ小さな木ですが今年はよく生りました。
12月に収穫して家の中で約1ヶ月置いておくと食べごろとなります。黒くなっているのは、調べてみると【カイガラムシ】による「すす病」だそうです。無農薬ですので仕方が無いですかね。
木そのものはまだ小さな木です。
寒の入り
昨日(1月20日)は、暦の上で1年中で一番寒いとされる【大寒】でした。1月5日頃からを「寒の入り」と言い一番寒い時期だとされています。しかし、昨日の大寒は非常に暖かい日でした。
私の家の室内の気温(5時30AM分頃)は次の様になっています。
1月10日(日)・・ 7,6℃
11日(月)・・ 7,4℃
12日(火)・・ 8,0℃
13日(水)・・ 6,0℃
14日(木)・・ 4,6℃
15日(金)・・ 4,9℃
16日(土)・・ 6,1℃
17日(日)・・ 6,4℃
18日(月)・・ 6,9℃
19日(火)・・ 6,8℃
20日(水)・・ 8,4℃
21日(木)・・10,8℃
先週の木曜日(14日)が今年の最低温度で外気は(車)は、ー3℃でした。これから明日辺りからまた寒くなるそうです。温度差があるので体調が狂いやすいので気を付けようと思います。昔からこの時期には寒中見舞いを出す時期で、喪中の友人から何枚かの葉書をいただいています。
寒中見舞い
寒中見舞いは、寒さのために相手の健康を気づかうたよりです。寒の入り(1月5日)ごろから立春の前の日(2月4日)ごろまでに出すものです。
最近ではお正月を海外などで過ごす家族も多く、お正月に届けられた年賀状の返礼に困る事も多いようです。もし、松の内に間に合わないようでしたら、寒中見舞いを利用すると良いそうです。
年賀状は松の内(1月7日)までに出すものですから、その時期を過ぎると一般的にはだしません。そのような時は、寒中見舞いとしてだします。
寒中見舞いは年始の挨拶状というより、冬の最も寒い時期に書く便りです。先方の安否や、こちらの近況などを書きます。また、喪中の方へのごあいさつにも利用できます。
<寒中見舞い、いろいろ>
・一般的な季節のご挨拶として
・年賀状の返礼を松の内に出していない場合
・喪中の方へのごあいさつとして
・不幸を知らずに年賀状をくださった方に欠礼をお知らせする
・喪中の方に年賀状を出してしまった場合
【参考】
・寒中見舞いは、あまった年賀状は使用しません。
・立春を過ぎてもなお寒さが続く時に出すのが「余寒御見舞い」
2月下旬ごろまで出せます。
(インターネットAll About 参照)
■小寒と大寒
小寒とは寒さが最も厳しくなる前とか、寒さが加わる頃という意味で、いわゆる『寒の入り』のことで1月5日ごろを指します。この日から寒中見舞いを出し始めます。
小寒後15日で大寒に入り、大寒後15日で、寒が明けます。小寒から節分までが寒の内と呼ばれています。寒の内とは一年の内最も気候の寒い季節のことで、暦の上の寒の内が実際には気温の最も低い季節です。
大寒(だいかん)は二十四節気のひとつで1月20日ごろをいいます。この日から立春までの期間を指すこともあります。大寒は『寒の内』の真ん中でもっとも寒い時期をあらわします。最低気温が観測されるのもこの頃が一番多くなっています。
武道ではこの頃寒稽古が行われます。また、凍り豆腐、寒天、酒、味噌など寒気を利用した食物が仕込まれる時期にもあたります。
JAL
昨日(1月19日)、日本航空(JAL)は、東京地裁に会社更生法の適用を申請し、受理されたと発表しました。企業再生支援機構も同日夕、支援の正式決定を発表し、JALは支援機構をスポンサーとして再建を図ることとなりました。
負債総額は2兆3221億円となり、事業会社としては戦後最大、負債の多い金融業を含めると戦後4番目の大規模経営破たんとなります。
更生法を申請したのは、日本航空と子会社の日本航空インターナショナル、JALキャピタルの3社です。事業会社としては2000年のそごうの1兆8700億円を抜く負債総額となります。1951年に設立され1987年に完全民営化した、日本のフラッグキャリアが事実上国の管理下に入ります。
JALは2001年の同時多発テロ以降、国際線需要の急減を受け旧日本エアシステム(JAS)と統合しましたが、組織統合の遅れや、燃費効率の悪い大型機材を多数保有し続け、競合する全日本空輸と比べ高コスト体質の改善が遅れています。
業績悪化は、不採算な地方空港を作り続けた国土交通省など行政側にも一因があり、前政権までJALの抜本的な再建は先送りされてきました。2001年以降、日本政策投資銀行による緊急融資や、総合商社など取引先企業を引き受け先とする第三者割当増資で自己資本の増強が図られましたが、抜本的な経営改善にはならずこのような結果になりました。
西松遥社長は19日付で退任し、新しい会長兼最高経営責任者(CEO)には、日本の「経営の神様」と称えられる、京セラの稲盛和夫名誉会長が内定しています。
稲盛和夫
1932年、鹿児島市に生まれる。
1955年鹿児島大学工学部を卒業後、京都の碍子メーカーである松風工業に就職。
1959年4月、知人より出資を得て、資本金300万円で京都セラミツク株式会社(現京セラ)を設立し、 社長、 会長を経て、1997年から名誉会長を務める。
1984年、電気通信事業の自由化に即応し、第二電電企画株式会社を設立し会長に就任。2000年10月DDI(第二電電)、KDD、IDOの合併によりKDDI株式会社を設立し、名誉会長に就任。2001年6月より最高顧問となる。
一方、1984年には私財を投じ稲盛財団を設立し、理事長に就任。同時に国際賞「京都賞」を創設し、
毎年11月に人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。
他にもボランティアで、全60塾(海外7塾)、5,500人余の若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として経営者の育成に心血を注ぐ。(2009.10.31現在)
公職としては京都商工会議所名誉会頭、スウェーデン王立科学技術アカデミー海外特別会員、ワシントン・カーネギー協会名誉理事、全米工学アカデミー海外会員、行政刷新会議議員等を務める。
また1997年には臨済宗妙心寺派円福寺にて得度を受けた。