2009年9月

テレビドラマ

2009年9月25日

 9月20日に「脱官僚」について書きました。近頃なぜかテレビで官僚・地方公務員についてのドラマが多く放映されています。そのドラマの出来がよく、一度見ると(何回かに分けて放映している)はまってしまいそうです。その中の何点かを紹介しておきます。特に「再生の町」は、我々地方に暮らす人間にとって身近に感じ、リアリティーのある作品です。また、考えさされる作品です。今週が最終回だと思います。議員の描き方は昔ながらの「慇懃無礼・横暴」と言った定説の中で描かれています。今でも我々はそのように写っているのですかね。(そんなに力を持たしてもらっていません)

『官僚たちの夏』

原作 城山三郎著(新潮文庫刊) 脚本 : 橋本裕志 TBS 7月期の日曜劇場
  1975年に新潮社から刊行されたこの作品は、敗戦後の昭和30年代の通産官僚と産業界の奮闘を描いた感動作。敗戦国の日本を、世界と肩を並べる豊かな国にしたいという使命感に燃える、熱き通産官僚たちの活躍を描いた物語。“ミスター通産省”と呼ばれた男・風越信吾を中心とした、国内産業の保護を訴える“産業派”と、国際化を目指して自由貿易を理想とする“国際派”の攻防を軸に展開していきます。また、当時の社会風俗や街並みなど、舞台となる高度成長期当時の国内を、忠実に再現するビジュアルも見どころ。
“ミスター通産省”こと主人公・風越信吾役には佐藤浩市、風越を取り巻く通産官僚たちに堺雅人、高橋克実、“国際派”のライバルには高橋克典、船越英一郎をキャスティング。そして彼ら官僚の前に立ちはだかる通産大臣・池内信人役は北大路欣也が演じます。

【再生の町】

【放 送】NHK 2009年8月29日 放送開始(連続5回)毎週土曜  総合 午後9:00?9:53 
     ?ふるさとが破綻するとき 私たちは何を守るのか…??
 
地方自治体の「財政破綻」と「再生への道のり」をリアルに描く!
 主人公は地方公務員。ふるさとを守るため、生活や命と直結する「行政サービス」の何を残し、何を削るのか…?
 大阪府内の架空の町「なみはや市」を舞台に、「財政再建案」の作成に奮闘する市役所職員たちの人間模様と、
 切実な問題を抱える地元住民との心の交流を描きながら、「まち作り」のあり方を問う。
 財政問題と苦闘している大阪発ならではの本格社会派ドラマです。

演出にあたって 【演 出】 吉田努 
 昨年の11月末、この番組の取材で北海道夕張市をたずねました。週末にも関わらず町に人はまばらで、「財政破綻」の現実を目の当たりにする一方、お話をうかがった若手の市職員や市民の方々の明るさに、「再生」へのヒントを感じ取りました。その帰路、関西国際空港に降り立つ際に見た大阪の夜景はとても輝いていました。しかし、この光の下に暮らす人々は、自分の町の「危機」が、そこまで迫っていることにまだ気づいていない…。その時の思いを胸に、素晴らしいキャストのお力を借りて、番組を作り上げました。このドラマを多くの方にご覧いただき、自分の住む町、家族の暮らす故郷、それぞれの大切な場所の未来に、思いを馳せていただければ幸いです
 
あらすじ
 大学卒業以来勤めてきた横浜の老舗デパートが買収され、職を失った主人公・高岡駿馬、40歳。母の介護という事情もあって、故郷・大阪府なみはや市に妻・樹と共に戻り、亡き父が勤めていた市役所に再就職を果たす。平穏な第二の人生が送れると思っていた矢先の2007年3月。市の財政危機が発覚し、水元市長が急遽立ち上げた「財政再建プロジェクトチーム(PT)」の一員として、駿馬は召集される。民間企業での経験に白羽の矢が立ったのだ。
 プロジェクトチームリーダーは定年間際の職員・間宮哲夫。かつて駿馬の父の部下だった男だ。メンバーは他に、財政課課長の桂木、保険収納課で現場一筋の女性職員・田村、エリート若手職員の橋本、そして民間経営コンサルタントの光野。わずか4か月という期間で“一律15%の予算削減”を目指す、PTメンバー6人の怒涛の日々が始まる。
 削減対象は、市民の希望が託されているニュータウン計画などの都市計画事業、低所得層の生活を支援する市営住宅事業、さらには福祉、医療、教育といった「聖域」にまで及ぶ。市営住宅に住み貧困にあえぐ少女、仕事がなくて国民健康保険料が払えない一人親方、老老介護に苦しむ認知症老人などとの出会いを通じて、駿馬は切迫した現状と向き合い逡巡しながらも必死に「極限の削減案」を作成しようと奮闘していく。
 財政再建案の作成に取り組む中で、駿馬は、10年前に父が町の財政状況の行く末を憂い、一度は再建案をまとめながら、“なみはやのドン”こと市議会議員・権藤と前市長の圧力で潰された事実を知る。父が平穏無事に仕事をしていただけでなく、死ぬ間際まで町のために闘っていたことに、駿馬は強い衝撃を受ける。一方、前市長の実子として「負の遺産」を一身に背負うことになった水元市長は、内心では改革の必要を感じつつも、父の代からの恩義もあって権藤の反発を止められず、苦悩の日々が続いていた。
 1か月後、ついにPTによる財政再建に向けた試案が完成。間宮と駿馬は水元市長を説得し、その試案をもとにした公開部局折衝を実施し、民意を問う。町の長年の悲願であったニュータウン事業の全面凍結、市民病院の経営縮小など大幅な削減プランが世に公開され、市民の反発がPTに押し寄せる。ニュータウン事業絡みで利権を得ていた権藤からも痛烈な逆襲を食らう。
 そんななか、リーダーの間宮が病に倒れ戦線離脱し、PTは一気に危機に陥る。PTメンバーに自分を選んだ間宮と亡き父の果たせなかった思いを背負い、駿馬は自らリーダーとしてPTを引っ張っていく決意を固める。果たして、「町の再生」に向けて一歩踏み出すことができるのか?駿馬たちPTメンバーは最終案をもって水元市長に決断を迫り、町の命運を賭けた最後の公開部局折衝に臨む…。

                                               (インターネット参照)

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秋分の日

2009年9月24日

 昨日(9月23日)は、秋分の日でした。朝の散歩に行く途中で、父の墓に線香を焚いてお参りしました。5時AM代でまだ外は暗い状況ですが、少しづつ東の空が明るくなってきています。

 秋分の日と言えば、昼の長さと夜の長さが同じになると言われてきました。昨日(23日)の広島の日の出日の入りは次の様で昼と夜の長さが同じではありませんでした。

広島(広島県)
2009年9月23日(水)  日の出 5:59  日の入り 18:06

同じになるのは9月27日です。

広島(広島県)
2009年9月27日(日)   日の出 6:01  日の入り 18:01

なぜこのようなことが起こっているかは、次の様な理由からです。

昼夜の長さ
 秋分の日の太陽光の当たり方。秋分では太陽は赤道上にあるため、天文的な位置関係からは昼夜の長さが等しくなるように思えるが、
実際は違う。春分と同様に、秋分では昼夜の長さがほぼ同じになる。『暦便覧』では「陰陽の中分なれば也」と説明している。
しかし、実際には、昼の方が夜よりも長い。日本付近では、年による差もあるが、平均すれば昼が夜よりも約14分長い。

これは、次の理由による。

大気差
 大気による屈折で太陽の位置が実際より上に見えるため、太陽が上に見える角度の分、日出が早く、日没が遅くなる。屈折は太陽が地平線に近いほど大きくなる。国立天文台では、太陽が地平線付近にある時の、その角度を35分8秒と見積もっている。ここから計算される日出・日没の時間の差は約2分20秒である。

太陽の視角
 太陽の上端が地平線と一致した時刻を日出あるいは日没と定義しているため。これにより、太陽の半径の分、日出が早く、日没が遅くなる。ここから計算される日出・日没の時間の差は約1分5秒である。

日周視差
 太陽の距離÷地球の半径は有限なので、視差により、0.7秒日の出が遅く、0.7秒日の入りが早くなる。

秋分のずれ
 1日の間にも太陽の黄経は変わるため、秋分が1日のいつかにより昼夜の長さに差が出る。この効果は昼夜の長さを最大で±1.1分変える。ただし平均には影響を与えない。 これらを合わせると、日出は、太陽の中心が地平線から上がるより3分25秒早く、日没は、太陽の中心が地平線より沈むより3分25秒遅くなる。したがって、秋分の日の昼の長さは約12時間7分、夜の長さは約11時間53分である。そして、実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は秋分の4日程度後になる。
 秋分を含む日には、太陽は真東から上って真西に沈む。赤道上の観測者から見ると、太陽は正午に天頂を通過する。
 北極点または南極点の観測者から見ると、秋分の太陽はちょうど地平線と重なるようにして動き、上ることも沈むこともない。

                            フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照

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脱官僚

2009年9月20日

 鳩山新政権が成立し、大臣の皆様全員が「脱官僚依存」をお題目のように言っておられます。9月18日・19日の中国新聞に朝刊に評論家の「立花 隆」氏が【筋違いの「脱官僚依存」・「日本小沢大国化の恐れ」】という記事を書かれていました。

 大臣になった人が、新政権になって2週間にもなるのに理念(マニュフェストに書いてあると言う)だけで、具体的な話は出来ていない。(大臣になったらすぐに事務方と打ち合わせをして、中身のあることをしゃべるべきである)しかし、今回の新政権では、役人と事前打ち合わせをしたら、マインドコントロール下に置かれてしまうと言う心配から一切無しという低レベルなこととなっています。官僚は行政のプロであり、行政組織とは官僚の集まりそのものです。内閣総理大臣は、行政組織の長なのです。官僚の長が脱官僚を言うのは間違いです。敵に回すのでなく、公僕として使いこなすことを最優先するべきだ。と言っておられます。マニュフェストだけに頼っている現在では、「党官僚」を作ってしまう結果になってしまう。その党官僚への過度の依存は、かってのスターリンのような党書記長職の権力を一方的に高めてしまう恐れがある。と書いておられます。

 また、19日の朝刊記事下では、このスターリンの書記長が民主党の場合、幹事長と呼ばれているのではないか。かっての田中角栄氏は、キングメーカーとして自民党の総裁総理大臣の首を次から次へと挿げ替えました。次の参議院選で小沢氏の勢力が増えると田中氏を超える事になりそうだ。と警告されています。

 官僚を使いこなすと言えば、一番うまかったのがやはり「田中角栄」氏だと言われています。使いこなして「日本列島改造論」を仕上げました。それぞれの官僚組織の中(各省庁)に、部下議員を送り込みコントロールしました。結果としてその議員が「族議員」となりました。その後の政治については皆さんご存知の通りとなって現在に至って居るのではないでしょうか。

 行政についていえば、一番専門的に研究をしているのが官僚です。税金を使って若い頃から鍛え上げられ、専門の調査機関を持ち、過去からの資料を全て持っています。この官僚抜きで行政は語れないし、執行できないのではないかと私は思っています。

 地方議員になって10年が経ちます。議員に成り立ては守備範囲の広さに驚いたのを覚えています。人間が生まれてから死ぬまでの全てのことが係わってきます。それを役人さんは専門的に調査研究して行政を行なっています。勝てるはずが無いと思いました。しかし、十年議員をさせてもらって役人と話すことが出来るようになりました。また、知恵を出してくれる役人も何人か見つけることも出来ました。

 「脱官僚」言うと流行り言葉みたいな綺麗な言葉に聞こえますが、官僚を使いこなし、最後の決断を責任を持って政治家がするという形にならなくては、国民益にならないのではないかと思います。 

評論家 立花 隆

 1940年長崎市生まれ 東京大学卒業 文芸春秋などを経て現在フリー 

 東京大学大学院情報学環特任教授
 立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授
 自然科学研究機構経営協議会委員
 大阪大学レーザーエネルギー学研究センター参与
 文科省次世代スーパーコンピューター開発利用アドバイザーリーボード委員
 大宅壮一ノンフィクション賞選考委員
 講談社ノンフィクション賞選考委員
 全国出版協会理事
 BPO放送倫理検証委員

 著書  「田中角栄研究」・「宇宙からの帰還」・「天皇と東大」等多数

 

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