東京スカイツリー 2010:08:05:07:29:26
2012年春に開業する予定の新しい電波塔「東京スカイツリー」が、完成までまだ約2年あるにもかかわらず、早くも多くの観光客を集めているそうです。東京スカイツリーは、東京の観光や周辺地域の街並みを変えると言われています。住民参加の街づくりも始まっているようです。東京スカイツリー・その周辺の街づくりについて調べてみました。
2駅間にまたがる巨大な“街”が誕生
東京都墨田区の工事中の「東京スカイツリー」に観光客が押し寄せています。09年末ごろから客足は伸びはじめ、2010年3月にその高さが東京タワーの333mを超えると、その勢いに拍車がかかったそうです。早くも東京の新観光スポットとして注目の的になっています。
東京スカイツリーは地上デジタル放送用の電波塔で、着工は08年7月。竣工は2011年12月、開業は2012年の春を予定しており、完成すれば高さ634mという世界で最も高いタワーとなります。
運営会社である東武タワースカイツリーは、「Rising East Project」として約3.69haに及ぶ敷地を「タワーのある街」にすべく、西街区には地上6階、東街区には地上31階の商業施設を建設予定。タワーのふもとに1930?の街区公園、押上側には4000?の駅前公園の設置を予定する。墨田区も2012年の完成に向けて約100億円を投じ、スカイツリー沿いを流れる北十間川の川岸に歩行者用デッキを設置するほか、水上交通を視野に船着き場を設けるなどの方針を示しています。2010年度の予算案では、北十間川水辺空間の整備、タワー周辺主要道路の景観整備、観光回遊性の向上などに予算を投じると発表しています。観光客をもてなす準備は着々と整いつつあります。
完成時には高さ634mとなる東京スカイツリーは、業平橋、押上駅間の東西約400m、広さ約3.69haの地域に建設中。古くからの観光地・浅草の東約1kmに位置し、押上が羽田、成田両空港からのアクセスが良いことから、国内外からの人の流入が予想されます。
業平橋、押上駅間に位置する3.69haの総合施設
2012年春オープン予定の東京スカイツリーは、西側に6階東に31階の商業施設を併設。フードマーケット、ファッションフロア、レストランフロアだけでなく、地域密着型の「新・下町商店街」、日本土産を集めた「ジャパンスーベニア」を設ける。東街区30階には無料展望スペースも開設予定。
東京にまた新名所が出来そうですね。やはり東京の一人勝ちですね。
(「日経トレンディ7月号」(2010年6月4日発売)特集「東京スカイツリー下町ビジネス最前線」の一部を転載)
クロッシング 2010:08:04:06:58:22
一昨日(8月2日)鷹野橋のシネマサロンで韓国映画【クロッシング】を見ました。この映画は2002年、脱北者25人が中国当局の警備をかいくぐり、北京のスペイン大使館に駆け込んだ事件をモチーフにしており、4年間の企画・製作期間を経て公開されました。家族のために薬と食糧を求め北朝鮮を去った父と、父を探しに出た11歳の息子の切ないすれ違いを描く脱北者問題を取り扱った映画でした。ロケは中国、モンゴル、韓国にて秘密裏に行われました。公開後、韓国の国会でも試写が行われたそうです。久し振りに映画にのめり込みました。涙腺も緩みました。現在の北朝鮮の現状が良く描かれており、すぐ側にそんな国があるのかとあらためて認識しました。この映画の作成には、約30人の実際の脱北者が加わっており、北朝鮮の日常的な生活から収容所の実態までが、忠実に再現されていると言われています。映画を見て、その雰囲気が良く解りました。
あらすじ
北朝鮮の炭鉱の町に住む三人家族。炭鉱で働く元サッカー選手のヨンスは、妻・ヨンハと11歳の一人息子のジュニとともに、貧しいけれど幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、ヨンハが肺結核で倒れてしまう。北朝鮮では風邪薬を入手するのも難しく、ヨンスは薬を手に入れるため、危険を顧みず、中国に渡ることを決意する。 決死の覚悟で国境を越え、身を隠しながら、薬を得るために働くヨンス。脱北者は発見されれば容赦なく強制送還され、それは死をも意味していた。
その頃、北朝鮮では、夫の帰りを待ちわびていたヨンハがひっそりと息を引き取る。孤児となったジュニは、父との再会を信じ、国境の川を目指す。しかし、無残にも強制収容所に入れられてしまう…。
第二次世界大戦後、朝鮮半島は南北に分断され、現在は韓国と北朝鮮、二つの国が存在する世界唯一の分断地域国家となった。
1990年代半ば、過酷な食糧危機を迎え、2003年、国連世界食糧計画(WFP)ジェイムス・モリス局長は、「北朝鮮の食糧事情は極度に悪化し、300万?400万人が飢餓と栄養失調に直面するだろう」と発表した。
事実、北朝鮮の住民たちは飢餓による家族の死を目の当たりにし、死線をさ迷いながら、国境を超え、脱北者となった。その数は中国とその周辺国に約30万人に達すると分析され、韓国には約2万人がたどり着いたといわれている。
2009年6月、国連世界食糧計画(WFP)アジア事務所のリスリー報道官は、米自由アジア放送(RFA)とのインタビューの中で、「(北朝鮮では)栄養失調で多くの人が餓死する可能性があり、大変懸念している」と発表。
今なお、過酷な食糧難ゆえに、国境を超え、脱北者となる者が後を絶たない。彼らの多くは、家族、友人、恋人、家、そして国を失った。
2002年、中国の瀋陽日本領事館に、脱北者の両親と幼い少女を含む子供5人が駆け込もうとし、中国人警官によって引きずり出された映像は記憶に新しい。恐怖に立ち竦む少女、屈強な警官をふりきって日本国領事館に入ろうとする母親とその家族、そして、彼らを助けるでもなく傍観する日本領事館職員の姿は、今の日本の象徴でもあった。
本作「クロッシング」は同年に起きた、“北京駐在スペイン大使館進入事件”(2002年3月、脱北者25名がスペイン大使館に駆け込んで韓国亡命に成功した)をモチーフに製作。
脱北者に冷淡だったノ・ムヒョン政権下で、危険を犯しながら極秘裏に撮影され、イ・ミョンバク大統領に政権交代した後、2008年6月、ようやく韓国で公開された。
そして、ついに、2010年4月、待望の日本公開となった。
(インターネット 映画「クロッシング」オフィシャルサイト参照)
裏話
何故か日本では昨年の春には公開される予定でありながら公開されなかった。なぜ公開の告知までされた映画が日本で公開されなかったのか。
このことは「新潮45」の3月号に「アジア映画社」の社長の朴炳陽氏が「脱北映画『クロッシング』は何故、封殺されていたのか」という手記を寄稿され、そこには「『クロッシング』の公開延期は…北朝鮮による対日文化工作と言わざるを得ない」とはっきりと書かれておられる。
同氏の説明によると、映画「クロッシング」は2年前の6月に韓国で公開された後にシネカノン社が日本での放映権を取得し、昨年の春に日本で公開されることが決定していた。ところがシネカノン社は契約金の手付金である1割を支払った後に残金をずっと支払わず、2009年春の公開の告知までしておきながら今年の1月29日に倒産してしまった。
配給会社が倒産したのなら映画の公開が遅れたことを仕方がなかったのではと普通の人は考えるのだが、配給会社のシネカノン社がどんな会社かを聞いて驚いてしまった。
シネマノン社の代表者である李鳳宇(リ・ボンウ)氏の父親は朝鮮総連の幹部(1987年死去)で、母親は朝鮮総連の幹部養成校である中央学院出身。また本人は朝鮮大学卒業したのち1970年代は朝鮮総連京都南支部副委員長であった経歴の持ち主でかなり前に韓国に転籍したのちも日本で活動している。
シネカノン社はどんな会社なのか。
1989年に李鳳宇氏が設立。1992年には日朝合作映画「バード」を制作したが、かなりの使途不明金を出したといわれる。そもそもなぜ一民間企業が、国交のない国と共同で映画が作れるのか。このことだけでも非常に臭い会社である。
朴炳陽氏の言によると、シネカノン社は「クロッシング」を日本で公開させずにお蔵入りさせるために契約をし、同社倒産は資金繰りの問題ではないとも述べておられる。
(インターネット「しばやんの日々」ブログ参照)