2010年8月
【地域だより】ソフトバレーボール大会
昨日(8月22日)大塚学区体育協会の「第16回親子三代ソフトバレーボール大会が大塚小学校体育館で開催されました。ソフトバレーボール熱は伴地区では大変人気が高く各町内会・子ども会・熟年会にチームが出来ています。この大会にも7町内会から子どもの部・一般の部・熟年の部とそれぞれ参加されました。(写真はクリックすると大きくなります)
開会式前
準備運動
この学区は、元々有った大塚上・大塚下町内会に30年ー40年前に出来た藤興園町内会・下城ハイツ町内会と近年出来た、Aシティー自治会・花の季台町内会・シーズンズフレンズ自治会が新旧融和を体協行事・町内会行事等を通じて図っておられます。頭に社会福祉協議会を据え、伴南(こころ団地)をも含め活動をしておられます。
近年ソフトバレーボールが大変普及しています。地域ではグランドゴルフと共に大人気スポーツとなってきています。簡単にソフトバレーボールを紹介しておきます。
ソフトバレーボール
バレーボールから派生した球技。福井県小浜市で昭和52年(1977年)紙風船を使ってゲーム形式で行ったのが始まりだといわれています。その後ビーチボールに変わり、現在のボールになったようです。ネットごしにゴム製の柔らかいボールを打ち合い、決められた点(1セット15点)を早く得点することを競う。
1986年に日本バレーボール協会がソフトバレーボールの全国的な展開を決定し、生涯スポーツとして普及活動をしています。
ルール
ルールは、基本的には6人制バレーボールと同じだが、試合レベルによりホールディング等の許容範囲を緩和する。6人制と異なる点として、アタックラインが無くサービス後はフリーポジションとなること、サービスのネットインが認められないこと、ブロックにおけるオーバーネットの禁止などがある。
ボール
試合球はゴム製、重さ210g、周囲78cm。色の規定はない。ただしミニソフトバレーボールは、重さ150g、周囲64cm。
コート
バドミントンのコートの外側ライン(13.40m×6.10m)。最小限2m幅のフリーゾーンが周囲に必要。
ネット
バドミントン用支柱に補強金具を装着して2mとし、ソフトバレーボール用ネット又はバドミントン用ネットを使用する。
チーム構成
1チームは監督1人、競技者4人、交代競技者4人以内で構成する。監督は競技者を兼ねることも可能。
勝敗
3セットマッチ制。2セットを先取したチームが勝ちとなる。各セット15点先取だが、2点差がつかなければ試合は続行される。ただし、点差に関わらず17点で打ち切り。
(フリー百科事典ウィキペディア参照)
【地域だより】関の地蔵尊祭り盆踊り大会
昨日(8月21日)、沼田町伴下向町内会で「関の地蔵尊祭り盆踊り大会」が開催されました。このお祭りは隔年で開いておられます。
下向町内会では、神楽・獅子舞い・扇子踊りの保存会を作って郷土芸能を保存しておられます。昨日行われた盆踊りの中の「扇子踊り」は、アジア大会のマスゲームでも披露されました。その扇子踊りは、下向町内会が元祖だそうです。
また、関の地蔵尊については、昔、目の前の「火山」からの土石流で大きな被害が出、何人かの方が亡くなられたそうです。その霊を慰めるために建立され毎年8月に扇子踊りと共に例祭をされたのが始まりだそうです。
多くの方が楽しそうに踊っています
そのあたりの経緯を、下向町内会の会長である國田晃司さんからメールをいただきました。國田晃司さんは、私の小・中・高等学校の同級生です。我々の年代(団塊の年代のはしり)が、地域活動の中心的な存在となってきています。メールを添付しておきます。
下向関の地蔵尊祭りと元祖、下向の扇子踊り 國田晃司
下向関の地蔵尊と扇子踊りは大きな関係があります。
まず関の地蔵尊のいわれですが元禄17年(1704年)7月火山が大雨によって山崩れし、その土石流は安川の下向関の口付近に流れ出し、さらに安川をも超えて下地地区まで流れ出ました。数軒の家が押し流され12人もの人が亡くなりました。その後毎年のように、亡霊が出没したそうです。あるとき旅の僧侶がそこを通りかかり、供養せねばと自らノミを持って石を削り、地蔵尊を造立供養してからは、亡霊は出なくなったそうです。それ以後地蔵尊祭としてその供養のための法要と次に説明する扇子踊りが毎年8月23日前後の日に営まれています。
関の地蔵尊
その扇子踊りですが、文久(1860年)のころから浄瑠璃の出しものの一つである鈴木主人(もんど)白糸くどきが全国的に流行しました。この地方にも行商によって、くどきと舞踊が、当地にももたらされました。これが扇子踊りの始まりといわれています。くどき唄と「トーン、トーン、トーン、トーン、トンテントン」の太鼓の音に合わせ多くの若い男女が輪になって両手に扇子を持ち巧に踊ります。その姿はつるが羽を開いたり、閉じたりするようで大変きれいなものです。音頭の文句はいろいろありますが、鈴木主人(もんど)や阿波鳴門くどきがよく唄われています。くどきに酔いしれ、夜明けまで踊りあかす、このひとときが当時の若者の語らいの場であったのです。しかしながら、戦争や時代変化により沼田地区にあった数多くの扇子踊りが滅び、なくなってしまいました。
幸い、下向地区は、昔から関の地蔵尊祭にこの扇子踊りが踊られ、現在まで保存会によって引き継がれてきました。現在では沼田地区のどの盆踊りにも、下向の扇子踊りが踊られています。いわば、下向の扇子踊りが沼田地区の扇子踊りの元祖と言え、由緒ある踊りです。各芸能大会にも出場しており、広島市の郷土芸能誌にも、下向の扇子踊りが紹介されています。このように下向関の地蔵尊祭と扇子踊りは大きなつながりがあるのです。
(写真はクリックすると大きくなります)
【地域だより】沼田町盆踊り大会
昨日(8月16日)第34回沼田町盆踊り大会が開催されました。5月に伴地区町内会連合会が解散して開催が危ぶまれていましたが、関係者のご努力で何とか開催出来ました。今までは、大会会長に伴地区町内会連合会長がなり実行委員長が沼田町商工会青年部長がなっていました。今年はその形がとれない状況なので、大会委員長に沼田町郷土民謡保存会の会長がなられ、実行部隊は今までと同じく沼田町商工会青年部が行ないました。
今年は伴中学校のグランドを改修したので駐車場が取れませんでしたので、時間を1時間早め、5:00PM開会、9:00閉会として開催されました。5時開会時には、まだ太陽がグランドに降り注いでいました。浴衣を着た踊り手も役員も汗だくの状況でした。開会を1時間早めたことで開会時には人出が少ないと感じましたが、最後の抽選会時には多くの住民が集まってきて盛り上がりました。
心配しました盆踊り大会が続けられた意義は大きいと思います。郷土民謡保存会の皆様・特に中心となって企画し、準備や進行を行われた沼田町商工会青年部の皆様の活動には頭が下がります。
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開会前
大抽選会