【地域だより】関の地蔵尊祭り盆踊り大会 2010:08:22:06:27:32

2010年8月22日

 昨日(8月21日)、沼田町伴下向町内会で「関の地蔵尊祭り盆踊り大会」が開催されました。このお祭りは隔年で開いておられます。

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 下向町内会では、神楽・獅子舞い・扇子踊りの保存会を作って郷土芸能を保存しておられます。昨日行われた盆踊りの中の「扇子踊り」は、アジア大会のマスゲームでも披露されました。その扇子踊りは、下向町内会が元祖だそうです。

 また、関の地蔵尊については、昔、目の前の「火山」からの土石流で大きな被害が出、何人かの方が亡くなられたそうです。その霊を慰めるために建立され毎年8月に扇子踊りと共に例祭をされたのが始まりだそうです。 

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                多くの方が楽しそうに踊っています

 そのあたりの経緯を、下向町内会の会長である國田晃司さんからメールをいただきました。國田晃司さんは、私の小・中・高等学校の同級生です。我々の年代(団塊の年代のはしり)が、地域活動の中心的な存在となってきています。メールを添付しておきます。

 下向関の地蔵尊祭りと元祖、下向の扇子踊り  國田晃司

 下向関の地蔵尊と扇子踊りは大きな関係があります。
 まず関の地蔵尊のいわれですが元禄17年(1704年)7月火山が大雨によって山崩れし、その土石流は安川の下向関の口付近に流れ出し、さらに安川をも超えて下地地区まで流れ出ました。数軒の家が押し流され12人もの人が亡くなりました。その後毎年のように、亡霊が出没したそうです。あるとき旅の僧侶がそこを通りかかり、供養せねばと自らノミを持って石を削り、地蔵尊を造立供養してからは、亡霊は出なくなったそうです。それ以後地蔵尊祭としてその供養のための法要と次に説明する扇子踊りが毎年8月23日前後の日に営まれています。

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                       関の地蔵尊

 その扇子踊りですが、文久(1860年)のころから浄瑠璃の出しものの一つである鈴木主人(もんど)白糸くどきが全国的に流行しました。この地方にも行商によって、くどきと舞踊が、当地にももたらされました。これが扇子踊りの始まりといわれています。くどき唄と「トーン、トーン、トーン、トーン、トンテントン」の太鼓の音に合わせ多くの若い男女が輪になって両手に扇子を持ち巧に踊ります。その姿はつるが羽を開いたり、閉じたりするようで大変きれいなものです。音頭の文句はいろいろありますが、鈴木主人(もんど)や阿波鳴門くどきがよく唄われています。くどきに酔いしれ、夜明けまで踊りあかす、このひとときが当時の若者の語らいの場であったのです。しかしながら、戦争や時代変化により沼田地区にあった数多くの扇子踊りが滅び、なくなってしまいました。
 
 幸い、下向地区は、昔から関の地蔵尊祭にこの扇子踊りが踊られ、現在まで保存会によって引き継がれてきました。現在では沼田地区のどの盆踊りにも、下向の扇子踊りが踊られています。いわば、下向の扇子踊りが沼田地区の扇子踊りの元祖と言え、由緒ある踊りです。各芸能大会にも出場しており、広島市の郷土芸能誌にも、下向の扇子踊りが紹介されています。このように下向関の地蔵尊祭と扇子踊りは大きなつながりがあるのです。
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