朝食 2010:04:30:07:16:07
昨日(4月29日)、いつも朝食はバナナで味気ないので、たまには食べに行こうということとなりました。かねてより調べていた京橋川沿いの「ホテルフレックス(Hotel FLEX)」の「オープンカフェ cafe43(キャラント・トロワ)」に行きました。
ここは、1,200円(内税)で朝7:00よりオープンするバイキング形式の朝食です。
このホテルの前身は、明治5年(1872年)創業の吉川旅館です。現在のホテルはコンクリートの打ちっぱなしが目立つモダンな建物です。
前身の「吉川旅館」は、毛利元就の有名な逸話「三本の矢」で知られる戦国武将、吉川元春の名にちなんで命名されました。創業者の先祖でもある吉川元春の、勇猛果敢にして謹厳実直、人間尊重とホスピタリティの精神は現在も脈々と受け継がれています。住所は「広島市中区上幟町7-1」です。
京橋川が朝日にきらめいていました。
バイキングの料理 部厚いベーコンがとても美味(揚げ物はありませんでした)
パンも焼きたて美味しかった。
このように盛り付けて食べました。
その他、手作りのジャムが数種・ヨーグルト・果物とありました。料理は手作り中心で満足できるないようでした。妻も母もたまにはこんな朝食も良いねと言っていました。
オープンカフェ cafe43(キャラント・トロワ)の「電話番号は082-511-7370」です。
オールドパー 2010:04:29:09:01:17
昨日(4月28日)TSSの「とくダネ」と言う番組で、オールドパーについて話したいました。政界人が好む酒・斜めに立つ等色々と話していました。私も昔から好きなウイスキーで高くて飲めませんでした。友人が外国に行った時の免税店で買ったお土産を喜飲んでいました。しかし近年は安く(3.000円位)買えるようになり喜んでいます。斜めに立てて写真を撮りました。また、オールドパーについて調べてみました。
テーブルの上で試みてみました。見事に立ちました。
オールドパーは明治の初期、岩倉具視が特命全権大使として欧米を視察した際に持ち帰って以来、本物の味を求める粋人たちに愛されました。吉田茂元首相もこのウイスキーを愛したそうです。また田中角栄元首相も愛したそうです。
毎週土曜日毎日新聞に掲載される岩見隆夫氏のコラムで【近聞遠見:田中角栄とオールドパー】という話があります。田中角栄元首相の秘書だった佐藤昭子さんの、著書「私の田中角栄日記」(新潮社・94年刊)に次の描写があります。
田中角栄元首相といえば決まってオールドパー、品のいい箱形のびんに入った高級スコッチウイスキーをなぜあれほど愛飲したのか。それは田中角栄元首相が池田政権で蔵相をつとめていた63年夏ごろのことです。
当時、政界の大御所だった吉田茂元首相に接触したいと思い、吉田氏の側近、佐藤栄作氏に仲介を頼みました。
田中氏はさっそく神奈川県大磯の吉田邸に出掛け、贈り物には良寛の書を持参しました。この時、「まあ、飲め」と吉田がすすめたのがオールドパーです。「白ひげのじいさんのラベルを張った洋酒を振る舞われた」と佐藤氏に報告すると、「あれが出たのなら、おまえ、気に入られたのだ」と佐藤氏がもらしたそうです。
田中角栄元首相はそれ以来、一辺倒になったらしい。味もよかったのだろうが、仰ぎ見る吉田大長老にあやかりたい気持ちもあったのではないでしょうか。
岩見 隆夫(いわみ・たかお)
毎日新聞客員編集委員。1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。
「オールド パー」は、イギリスのスコッチウィスキーで輸入元は、ジャーディンワインズ アンド スピリッツ株式会社である。オールド パーは今や日本で一番愛され飲まれ世界中にその名を轟かせようとしているデラックス スコッチ ウィスキーです。このオールド パーと言う名は、長生きパー爺さんの名前より名づけられました。画家のルーベンスが描いた肖像画も残っている。
そのウィスキーボトルのラベルに描かれている、爺さんの名前は「トーマス・パー」と言います。
トーマス・パー物語<オールドパー物語>
スコッチのオールドパーのボトルの人物、トーマス・パーは1483年、スコットランドの寒村の農家に生まれる。
1518年、父親が死没。生家の農場を遺産相続。土地の賃貸などで、なに不自由なく、のんびりと暮らす。
1563年、80歳にして、初めての結婚。1男1女に恵まれるが、幼くして死別。
1588年、105歳のパー爺さん、村一番の美人、キャサリン・ミルトンと、なんと不倫。私生児をもうける。
村の掟の定めるところ、教会の会衆の面前で、屈辱的な懺悔をさせられる。
1605年、妻が他界するや、122歳のパー爺さん、精力絶倫、再婚。
またしても、1児をもうけ、幸せな日々が、30年過ぎる。
やがて、パー爺さんの驚くべき長寿は、スコットランドはおろか、イングランド、遠くは、ヨーロッパまで轟く。
1635年の春、チャールス1世は、豪華な2頭立て馬車を設え、宮廷道化師も伴わせ、宮廷に歓呼を持って招く。スコットランドからロンドンまでの街道は、長寿の奇跡にあやかろうと、多くの群集が押し寄せ、立ち往生さえする始末。
やがて、宮廷では、当時の大画家、ルーベンスとヴァン・ダイクが肖像画を描く事になる。現在のオールド・パーのボトルの肖像がは、その時、ルーベンスが描いたもの。
やがて、イングランドの王家に招かれ、大邸宅を与えられたパー爺さん、衣食住は勿論、何から何までの贅沢三昧。それがたたってか、1635年11月14日、突然、152歳の長寿を全うし、あえなく、昇天してしまう。医師による検死の結果、生命器官には、まったくの異常なし。死因は、贅沢な料理の大量摂取、高級ワインなど、お酒の飲みすぎであった。スコットランドの片田舎で、静かに、のんびりと、粗食に甘んじていたなら、さらに、何年生きられたか、見当がつかなかったらしい。
チャールス1世は、パー爺さんの突然の死を深く悲しみ、葬儀は勅命で公葬とした。そして、亡骸は、歴代の国王の、戴冠式や国葬がおこなわれる、英国随一の教会・ウエストミンスタ寺院に埋葬された。教会には、数多くの国王や貴族のほかに、たくさんの芸術家も眠る。
パー爺さんは、教会の通称「詩人のコーナー」に、チョーサー、シェイクスピア、ワーズワース、バイロン等、偉大な作家や詩人に囲まれて、今も眠る。
(インターネット健康長寿MUSEUM)参照