熊本市 2010:10:23:08:04:28
10月21日は熊本市を視察しました。
熊本市
市政施行 明治22年4月1日
人口 728,332人
世帯数 301,816世帯
面積 389、53kヘイホウメートル
来年3月、全国20番目の政令指定都市を目指しています。
水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)
熊本県熊本市水前寺公園(町名)にある大名庭園です。面積約7万3千平方メートルで通称は水前寺公園とよばれています。豊富な阿蘇伏流水が湧出して作った池を中心にした桃山式回遊庭園で、築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれています。
熊本城
熊本城史
1496年(明応5年)鹿子木親員、茶臼山西南麓(現在の古城)に築城
1550年(天文19年)大友宗麟が城主を鹿子木氏から城親冬にかえる
1587年(天正15年)豊臣秀吉が佐々成政を肥後の領主とする
1588年(天正16年)加藤清正、隈本城に入城
1601年(慶長6年)茶臼山に築城着手
1607年(慶長12年)新城完成、隈本城を熊本城に改称
1611年(慶長16年)清正死去、加藤忠広が相続
1632年(寛永9年)細川忠利肥後54万石領主として熊本城入城
1871年(明治4年)廃藩置県により肥後藩が熊本県となる鎮西鎮台を熊本城内に設置
1877年(明治10年)西南戦争、熊本城炎上
1927年(昭和2年)宇土櫓解体修理、長塀改築
1933年(昭和8年)熊本城全域を史跡に、建造物を国宝に指定
1950年(昭和25年)国宝建造物が重要文化財に指定(文化財保護法改正)
1955年(昭和30年)史跡熊本城跡が特別史跡に指定
1960年(昭和35年)熊本城天守閣が復元落成
1989年(平成元年)数寄屋丸二階御広間復元
1991年(平成3年)9月の台風19号で甚大な被害を受けたため、天守閣を大改修
1993年(平成5年)旧細川刑部邸を東子飼町から三の丸に移築復元
2002年(平成14年)南大手門復元
2003年(平成15年)戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓復元
2005年(平成17年)飯田丸五階櫓復元
2008年(平成20年)本丸御殿大広間復元
2009年(平成21年)第?期復元整備事業着手
城郭の規模
・周囲 約5,3km 面積 約56ha
・文化財保護法による特別史跡 約51,2ha
築城当時の建造物
・大小天守閣をはじめ、櫓49、櫓門18、城門29を数えました
復元整備計画
熊本城は絵地図や古文書をはじめとする資料が多く残されており(文化庁がこれが無いと認めません)、この財産を生かして、史実に基づいた歴史的建造物の復元・保存を行うことにより、歴史遺産としての価値をさらに高めます。
・歴史的建造物の復元と保存
歴史的建造物を史実に忠実に復元するとともに、積極的な活用を図る。
・都市の潤い空間としての環境整備
風景を守りながら、豊な緑を育成する
・サービス空間の創出
サービス施設の充実とともに、歴史文化の体験学習の場として整備する。
復元計画
◇短期(第1期)計画による復元(平成10年度ー平成19年度)
本丸御殿大広間をはじめ、南大手門、戌亥櫓、未申櫓、元太鼓櫓、飯田丸五階櫓の復元を行いました。
◇熊本城第2期復元整備計画(平成20年度ー平成29年度)
築城400年祭の開催や本丸御殿の復元整備など、市民協働で取り組んできた熊本城の魅力づくりが、多くの皆様から高い評価をいただき、賑わいのあるお城に繋がりました。熊本城の次なる100年に向けて、「第3期復元整備事業」をスタートします。
<事業の概要>
今後10年間を目処に、行幸坂から見た往時の熊本城の復元整備を図るため、「馬具櫓一帯」、「平左衛門丸の塀」、「西櫓御門及び百間櫓一帯」の区域の整備を進めます。
この結果、平成19年度まで二桁までの入場者でしたが、平成19年の築城400年祭開催から入場者数が三桁(1,228,268人)になり、平成20年度の本丸御殿公開の年には、入場者数2,219,517人を記録しています。
また、熊本市は政令指定都市移行と来年3月の九州新幹線開通で特需景気が来ている様な印象を受けました。熊本を九州新幹線の通過駅にしないよう色んな仕掛けや工夫をしておられることが印象的でした。
視察 長崎市 2010:10:22:08:05:10
2日間ブログが更新できませんでした。10月19日から21日まで長崎市・熊本市に議員4人で視察に行きました。
長崎市
1、長崎市原爆資料館で「長崎平和宣言」についてお話を聞きました。
長崎市では平和宣言文起草委員会を組織し宣言文の文案を起草しておられます。
組織
委員会は委員長及び委員20人以内で組織する
委員長 市長
委員 学識経験を有する者
関係団体の役員
その他市長が適当と認める者
以上を市長が委嘱する。任期は1年、再任は妨げない。
例年5月に第1回委員会を招集し3回程度の委員会で文案を起草する。
・会議では被爆者代表の体験を入れること。
・その年の平和に関する話題を盛り込むこと。
・市長の想いを盛り込む
等を審議し文案が起草されます。被爆者代表の体験を入れることと、平和に関する話題を入れることは早くまとまるそうですが、市長の想いを入れることが大変難しくなるそうです。どうしても市長の想い(性格)とは違いきつい文章になってしまうそうです。この話を聞いた後,担当職員さんが「今年の広島市の宣言文はえらいぶれていましたがどうされたんですか」と言う質問と、子どもの「平和への誓い」の中で「次は、ぼくたちの番です」という表現は素晴らしかったと言う評価をいただきました。広島市の平和宣言は市長の想いを職員が起草し次は、ぼくたちの番ですています。その年その年の宣言は市長の考えているそのものが表されています。
2、折り鶴について
長崎市では原爆資料館を中心に展示し約1年くらいを目途に一部リサイクル紙にし、後は焼却処分しています。広島市も元はそのようにしていました。秋葉市長の折り鶴保存方針で何万トンの折鶴が保存されています。
3、斜面移送システム整備事業について
長崎市は地形的特性から市街地の約7割は斜面市街地となっています。この地域の道路は概ね幅員1mから2m程度の階段道路網を形成しており、現状では家屋の密集による用地買収の困難、勾配上の問題により生活道路としての車道の整備はなかなか進んでいない状況です。
そこで、斜面移送システム整備事業は、既存の道路整備とは異なり新たな観点から、低廉・簡便な交通手段として、主として高齢者を中心とした交通弱者が斜面道路を安全かつ快適に移動できる機器の研究・開発を目的として、長崎市と民間企業共同で平成11年度より構想を進め、現在市内5箇所(うち市道階段部に3箇所)に設置している事業です。
【特 徴】
・懸垂型
・定員2名
・15m/分
・車椅子搭載可能(折りたたんだ状態)
我々合併町村出身議員にとっては非常に参考になる施設でした。
熊本市については後日掲載します。