不毛地帯 2009:12:21:07:10:24
昨日(12月20日)一昨日(12月19日)と9月以来初めて、土・日2日間、何も行事が無く、完全休養日が取れました。溜まっていた、ビデオをゆっくりと見ました。昨日書きました【坂之上の雲】と【不毛地帯】は、ようやく追いつきました。非常に寒い2日間でしたが、2日間とも家でコタツのもりをしていました。日曜日の夜は、久し振りにカレーが食べたくなりじっくりと作り美味しくいただきました。
【不毛地帯】は山崎豊子さんが、実話を元に執筆された作品です。我々が生きてきた時代と重なる部分があるので興味深く見ています。
2009年10月よりフジテレビ系列で開局50周年記念ドラマとして連続ドラマ化(唐沢寿明主演)しています。1976年には映画化(山本薩夫監督、仲代達矢主演)され、1979年には毎日放送・TBS系列で連続ドラマ化(平幹二朗主演)されました。
山崎豊子さんの小説『不毛地帯』の中心的人物【壱岐正】は、伊藤忠の会長にまでのし上がった人物【瀬島龍三】氏をモデルとしていると言われています。
一方、主人公のライバル・東京商事の【鮫島辰三】氏は、日商岩井の元副社長【海部八郎】氏がモデルとされています。
【瀬島龍三】氏について調べてみました。
1912年(明治44年)生まれ。陸軍大学校を首席で卒業したエリート軍人。 第二次大戦中、軍の最高統帥機関だった大本営の参謀として作戦立案にあたっていた。
終戦を受け入れずソ連軍に対する徹底抗戦を主張する関東軍を説得するため、停戦命令書を携え満州に向かうが、ソ連軍に拘束される。その後軍事裁判で強制労働25年の刑を宣告され、一度送られたら生きて帰ることはできないといわれたシベリア極北の流刑地ラゾに送られた。11年間におよぶ強制労働を耐え抜いて昭和31年に帰国する。
日米開戦の命令書をその手で書いている。日本軍全体の作戦を立案している。防衛省に残っている陸軍に関する命令書約1300通のうち、3分の1には起案者・瀬島龍三の印があるそうです。
出身は農家のですので、血統そのものは良いというわけではなく、才能と努力により、上りつめたと言われています(陸軍始まって以来の秀才と言われたそうです)。
戦後は、防衛庁にという話を断り、大阪繊維商社に入社、そして伊藤忠という巨大商社に育て上げ、会長にまでなりました。また、土光さんと臨調をやって国鉄をJRにし、電電公社をNTTにしたと言われています。そして、歴代の総理大臣が相談に来ていたと言われています。
また、ハバロフスクにシベリア抑留で死んだ同胞のために慰霊塔を建て慰霊祭を行うのですが、それには今上天皇陛下も菊の花輪を送られ、帰って来てからは『瀬島自身から直接話しを聞きたいから、御所に来るように』と言われ、今上天皇陛下から『戦争が終わってからシベリアに連れて行かれて、極寒のシベリアで重労働をやって命を失った人は本当に気の毒なことでした、とシベリア抑留者については、先帝陛下(昭和天皇)も非常に心を痛めておられました。今度このように慰霊碑を建てていただいて、本当にご苦労様でした。』とねぎらいのお言葉をいただいたそうです。
その時の話として、帰りぎわ、車に乗り込むところを美智子皇后の女官長が追い駆けて来て、『あの席では、両陛下は何もおっしゃりませんでしたが、あのハバロフスクの慰霊祭が行われた時刻に、両陛下は御所のお庭に出られて、北の方に向かって長い長い黙祷を捧げられました』と教えられたそうです。
フジテレビ系列で開局50周年記念として重厚なドラマを創りましたが、テレビ視聴率は思うほど伸びず低視聴率だそうです。
フジテレビ系列で開局50周年記念として重厚なドラマを創りましたが、テレビ視聴率は思うほど伸びず低視聴率だそうです。
第1話 14.4%
第2話 11.1%
第3話 11.6%
第4話 9.9%
第5話 11.8%
となっています。
近頃のテレビ番組の傾向を見るとこの重厚さは受け入れられないのか?時代の背景としての、戦後処理での癒着での企業行動が現在の、自民党ノウと言った国民に受け入れられないのか?霞ヶ関と政治家の有りようが受け入れられないのか?色々と考えさせられます。昭和・平成と生きている私にとって父の時代と私の時代が、えがかれており非常に興味深く見ています。広島の広島信販からオリエントファイナンス(現オリコ)の社長になった叔父の話を思い出します。
高校を出てフラフラしていた叔父を、父が広島信販(労商クーポン)に入れました。それからは水を得た魚のごとく仕事をして、大会社に育て上げ社長にまでなりました。アメリカンドリームではなく、ジャパニーズドリームを感じました。ドラマの内容には色々考えられますが、昭和の歴史として、「坂の上の雲」と同じ様に日本の大きくなる近代史として見ると時代は変わっても大変興味深く見ています。
将来に夢を見る時代は終わったのですかね?
坂の上の雲 2009:12:20:06:55:42
【まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている】
毎回この言葉で始まります。久し振りに良いドラマが始まりました。テレビをつければお笑いタレントのオンパレード。飽き飽きしていました。そんな時期に、このドラマが放映されました。今までは(第3回まで)日曜日のこの時間は所要があって見れませんでした。先日、ビデオに撮っていたものをまとめて見ました。ようやく追いつきました。
物語は興味深く、大変面白く、1時間半があっという間に経ちました。明治の時代背景と、若者の向学心に燃えた気持ちがひしひしと伝わりました。しかし、3年がかりで放送するテレビドラマは、初めてです。長生きをしなくてはいけませんね。
『坂の上の雲』とは、封建の世から目覚めたばかりの日本が、そこを登り詰めてさえ行けば、やがては手が届くと思い焦がれた欧米的近代国家というものを「坂の上にたなびく一筋の雲」に例えた切なさと憧憬をこめた題名です。
前市議会議員の大原邦夫氏のブログに、NHKの記者をしていた時、このことに係わった事を3回のわたって書いておられます。
興味深い、裏話等がありますので、興味のある方はブログを見て下さい。
NHK:ドラマ「坂の上の雲」
歴史作家の故・司馬遼太郎の代表作の一つ「坂の上の雲」をNHKがドラマ化しました。
11月29日(午後8時)から第1部(5回)が始まりました。3年余に及ぶ長期制作で、全3部13回の放送は3年がかりだそうです。
国内各地はもとより、ロシアや中国、フランス、イギリスでもロケを行うなど、通常のドラマとはけた外れの大作です。
脚本については製作スタッフが外部諮問委員会などの監修をもとに完成させ、全18回を1年かけて放送するという当初の予定を変更し、3部構成の全13回を2009年秋から3年間かけて放送することが
2007年1月に主要キャスト4人(本木、阿部、香川、菅野)とともに発表されました。
【第1部】NHK総合テレビ 午後8時?9時30分
11月29日(日) 第1回「少年の国」
12月 6日(日) 第2回「青 雲」
12月13日(日) 第3回「国家鳴動」
12月20日(日) 第4回「日清開戦」
12月27日(日) 第5回「留学生」
【第2部:第6回?第9回】
2010年 秋
【第3部:第10回?第13回】
2011年 秋 (全13回)
物語の舞台は明治。主人公は海軍軍人・秋山真之(さねゆき)(本木雅弘)と兄で陸軍の好古(よしふる)(阿部寛)、俳人の正岡子規(香川照之)です。開国間もない日本が大国ロシアとの戦争に勝ち抜き、世界の列強に肩を並べる近代国家へと変貌(へんぼう)してゆく姿を描いています。
司馬の生前から映画やドラマ化を求める声はありました。事実、「竜馬がゆく」「国盗り物語」など、
司馬の作品の多くがドラマとなっています。しかし、司馬は「坂の上の雲」については映像化の申し出を断っていました。
「戦争賛美と誤解されると思っており、NHKの大河のスケールではとても描ききれないだろうとも言っていました」。
ドラマ化の最初の段階からかかわってきた西村与志木・エグゼクティブ・プロデューサーはそう振り返ています。大河を大きく超えたスケールと、「戦争賛美」とはとられない脚本を用意することで、遺族や関係者の了解を得たそうです。
ドラマ独自の工夫もしています。子規の妹で、原作にはさほど描かれない律(菅野美穂)を重要な役どころに配しました。物語の柱の一つである旅順要塞を巡る戦いでも、司馬の没後に進んだ研究などを参考にしつつ、より史実に近い形を追求しています。
本木が撮影中、ドラマの仕事はこの1本に限るなど、出演者の思い入れも強い。
また、脚本を担当していた野沢尚が04年に急逝したことで06年の放送開始予定が大幅に遅れるなど、紆余(うよ)曲折があっただけにNHK側の感慨も深いものがあります。
西村は「映画、テレビ界でこれを作りたいと思った人がどれほどいることか。日本の映像界を代表して作らせてもらっている。変なものは作れない」と話しています。
毎日JPに掲載された【栗原俊雄】氏の文章を参照しました。