初収穫 2011:01:04:07:07:19
1月2日待望の「八朔」を収穫しました。昨年は47個、今年は55個でした。その内青さが残っている16個を除いて39個収穫しました。年々収穫が増え大きさも大きくなって来ているような気がします。収穫した「八朔」は、一か月部屋で追熟させます。食べるのが大変楽しみです。
39個の八朔です。(見事でしょう)
一番大きかった「八朔」
少し青いので16個残しました
昨日(1月3日)近所の仲間で新年宴会をしました。鍋をしたんですが、誰かが我が家の畑の大根を1本抜いててきました。一番大きなのを抜いたつもりが地中部分は次の写真のように曲がっていました。
見事にねじれています。(変な連想をしてしまいました)
新年互礼会 2011:01:03:06:55:55
今日で三が日も終わります。元旦は早朝の初詣に始まり、昼ごろから夕方まで4か所の新年互礼会に出席しました。特に戸山地区の新年互礼会は各町内会で毎年行われ、各町内会とも出席率は80%ー90%と非常に高い出席率です。各会場で少しづつお神酒をいただくので、夕方家に帰るころにはかなりお酒が入っています。しかし、飲み方が少しづつ上手になったのかあまり酔いませんでした。
夜、弟夫婦が年賀にやってきました。それぞれの子供たちが仕事を持って忙しく、正月には帰らなかったので、弟夫婦と我々夫婦と母の五人でささやかに新年宴会をやりました。久しぶりに、のんびりと良い酒を飲みました。
昨日(1月2日)は完全休養日が取れました。気になっていた八朔を収穫しました。その写真を明日掲載します。
その新年互礼会の中である会長さんが挨拶の中で、「今年は戸山地区敬老会は100回目を迎えます。敬老会の起源は戦後、兵庫県のある村が行っていた「年寄りの日」が日本全体の敬老の日となったと言われていますが、戸山地区では明治37年から行って、今年で100回目を迎える節目の年です。日本で一番古くから行っている「敬老会」は、我が戸山地区です。」と話されました。文化と歴史の町、戸山を感じました。
敬老の日の始まり
兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。その後「としより」という表現は良くないということで1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、翌年に野間谷村からの政府への繰り返しの働きかけもあり、国民の祝日「敬老の日」に制定された。
(フリー百科事典 ウィキペディア引用)