新年互礼会 2011:01:03:06:55:55

2011年1月 3日

 今日で三が日も終わります。元旦は早朝の初詣に始まり、昼ごろから夕方まで4か所の新年互礼会に出席しました。特に戸山地区の新年互礼会は各町内会で毎年行われ、各町内会とも出席率は80%ー90%と非常に高い出席率です。各会場で少しづつお神酒をいただくので、夕方家に帰るころにはかなりお酒が入っています。しかし、飲み方が少しづつ上手になったのかあまり酔いませんでした。

 夜、弟夫婦が年賀にやってきました。それぞれの子供たちが仕事を持って忙しく、正月には帰らなかったので、弟夫婦と我々夫婦と母の五人でささやかに新年宴会をやりました。久しぶりに、のんびりと良い酒を飲みました。

 昨日(1月2日)は完全休養日が取れました。気になっていた八朔を収穫しました。その写真を明日掲載します。

 その新年互礼会の中である会長さんが挨拶の中で、「今年は戸山地区敬老会は100回目を迎えます。敬老会の起源は戦後、兵庫県のある村が行っていた「年寄りの日」が日本全体の敬老の日となったと言われていますが、戸山地区では明治37年から行って、今年で100回目を迎える節目の年です。日本で一番古くから行っている「敬老会」は、我が戸山地区です。」と話されました。文化と歴史の町、戸山を感じました。

敬老の日の始まり
 兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長(のち兵庫県議会議員)と山本明助役が1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。その後「としより」という表現は良くないということで1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、翌年に野間谷村からの政府への繰り返しの働きかけもあり、国民の祝日「敬老の日」に制定された。

                             (フリー百科事典 ウィキペディア引用)



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