「女は7の倍数」「男は8の倍数」 2011:04:24:07:10:20
「女は7の倍数」「男は8の倍数」と言うテレビCMを聞いたことがあります。女は7の倍数・男は8の倍数の年齢時に体の変調が起こるという中国の理論だそうです。その原典が、「黄帝内経」「素問」の1巻「上古天真論」だそうです。
上古天真論(じょうこてんしんろん)
これは、東洋医学の基礎中の基礎とされている「黄帝内経(こうていだいけい)」の中の「素問(そもん)」と言う「医学の理論書」があり、その一番初めに書かれている「理論(…理論と言うか…お話し?一説?)」です。
ちなみに、この「黄帝内経」は、理論中心の「素問」と、鍼灸とか実技中心の「霊枢」からなっており、現存する「最古の医学書」と言われています。原文は漢文で書かれています。直訳すると次のようになります。
岐伯が言うには。
女は7歳で腎の気が旺盛になり、歯が生え代わり髪が伸びる。
14歳 天癸に至り、任脈が通じ、太衝脈が旺盛になり、月の事があり、子供を作れる。
21歳 腎気が平均になり、親知らずが生え、成長が極まる。
28歳 筋骨が硬くなり、髪長く極まり、身体は盛りとなる。
35歳 陽明脈は衰え、顔はやつれ始め、髪は抜け始める。
42歳 上の三陽脈が衰え、皆顔はやつれ、髪は白くなり始める。
49歳 任脈が虚し、太衝脈が衰え、天癸は涸れ、地道通じず、故に子供を作れない。
男は8歳で腎の気が旺盛になり、髪は伸びて、歯が生え代わる。
16歳 腎の気が盛んになって天癸に至り、精気が溢れ、陰陽和し、子供が作れる。
24歳 腎気が平均になり、筋骨はとても強くなり、親知らずが生え、成長が極まる。
32歳 筋骨は隆盛、肌肉は壮健を極める。
40歳 腎気が衰え、髪が抜け、歯が枯れる。
48歳 上の陽気が衰え、涸れ、顔がやつれ、髪やヒゲに白い物が混じる。
56歳 肝の気が衰え、筋肉が動き難くなり、天癸は涸れ、精が少なくなり、腎自体が衰え、皆外見は極まる。
64歳 歯や髪が無くなる。
腎と言うのは水をつかさどり、五臓六腑の精を蓄える。だから五臓は盛んで、良く機能する。
今、五臓が衰えると、筋骨は無くなり、天癸は尽きる。
故に髪やヒゲが白くなり、身体は重くなり、歩く事も出来なくなり、子供も作れない。
私は現在64歳です。この理論でいくともう終わりですね。しかし、この書では60歳を還暦として、そこからは厄年が無く、全て目出度いのだそうです。現在より少し体力年齢のスピードが速いものの人間の体力の変調をうまく言い表しているのではないでしょうか。
(インターネット「あはき師の独り言」引用)
疾風に勁草を知る 2011:04:23:07:42:22
4月20日の朝日新聞の天声人語に次のような記事が掲載されました。現在の日本に状況をよく表していると思いました。 教員の時から、いざという時に頼りになる人間とそうでない人間に分かれると思っています。いざという時に頼りになる人間になるため、平生から心がけ努力しなければと考えています。
福島県郡山市で隔月に刊行されている児童詩誌『青い窓』を毎号送っていただく。1958年の創刊だから半世紀の歴史がある。最終ページに小さく刷られた言葉がいい。〈素晴らしい人間に出会うのではなく、人間の素晴らしさに出会う〉
▼人は誰も善悪や美醜をないまぜにして生きている。後光がさすような素晴らしい人は、立派だが、どこか遠い感じがする。むしろ誰の中にもある、キラリと光る素晴らしさこそ宝石ではないか。震災から40日、私たちは様々な宝石を心に留めてきた
▼「疾風に勁草(けいそう)を知る」の故事を思い出す。激しい風が吹いて初めて、強い草が分かるという意味だ。何も大げさな話ではない。被災に負けず、地元でボランティアの「青年協力隊」を作った高校生5人もいた。くじけぬ勁草ぶりも、人間の素晴らしさと言えるだろう
▼半面、疾風は弱い草もあぶり出す。人ではないが、安全神話の原発はもろくも折れた。かつて小欄で引いた『青い窓』の詩を記憶する方から、福島の子らを案じる便りがいくつか届いている
▼地震の前日に発行された最新号に小2の詩が載っている。その一節に〈さくらの花がさくころは/うれしさとさみしさが/りょうほう/いっぺんにやってくる〉。幼心にも出会いと別れの季節という思いはある
▼天災と人災のために、この春、多くの児童生徒が故郷を離れて行った。学ぶ先々で「人の素晴らしさ」に出会えればいい。出会いを糧に跳ねるパワーが、若い総身に満ちている。
【疾風に勁草を知る(しっぷうにけいそうをしる)】
困難に遭ってはじめてその人間の本当の価値、本当の強さが分かるということ。
困難がその人間の奥底に秘める意志や信念の堅固さを見分けるということ。
疾風は激しく吹く風のことで、勁草は強い草を意味する。
激しい風が吹いて初めて強い草が見分けられることから。
自分に従って来た者達が次第に離散していく状況に劉秀が慨嘆して述べた言葉。
(出典・参考・引用 范曄「後漢書」王覇伝)