疾風に勁草を知る 2011:04:23:07:42:22

2011年4月23日

 4月20日の朝日新聞の天声人語に次のような記事が掲載されました。現在の日本に状況をよく表していると思いました。 教員の時から、いざという時に頼りになる人間とそうでない人間に分かれると思っています。いざという時に頼りになる人間になるため、平生から心がけ努力しなければと考えています。
 
 福島県郡山市で隔月に刊行されている児童詩誌『青い窓』を毎号送っていただく。1958年の創刊だから半世紀の歴史がある。最終ページに小さく刷られた言葉がいい。〈素晴らしい人間に出会うのではなく、人間の素晴らしさに出会う〉

▼人は誰も善悪や美醜をないまぜにして生きている。後光がさすような素晴らしい人は、立派だが、どこか遠い感じがする。むしろ誰の中にもある、キラリと光る素晴らしさこそ宝石ではないか。震災から40日、私たちは様々な宝石を心に留めてきた

▼「疾風に勁草(けいそう)を知る」の故事を思い出す。激しい風が吹いて初めて、強い草が分かるという意味だ。何も大げさな話ではない。被災に負けず、地元でボランティアの「青年協力隊」を作った高校生5人もいた。くじけぬ勁草ぶりも、人間の素晴らしさと言えるだろう

▼半面、疾風は弱い草もあぶり出す。人ではないが、安全神話の原発はもろくも折れた。かつて小欄で引いた『青い窓』の詩を記憶する方から、福島の子らを案じる便りがいくつか届いている

▼地震の前日に発行された最新号に小2の詩が載っている。その一節に〈さくらの花がさくころは/うれしさとさみしさが/りょうほう/いっぺんにやってくる〉。幼心にも出会いと別れの季節という思いはある

▼天災と人災のために、この春、多くの児童生徒が故郷を離れて行った。学ぶ先々で「人の素晴らしさ」に出会えればいい。出会いを糧に跳ねるパワーが、若い総身に満ちている。

【疾風に勁草を知る(しっぷうにけいそうをしる)】

 困難に遭ってはじめてその人間の本当の価値、本当の強さが分かるということ。
 困難がその人間の奥底に秘める意志や信念の堅固さを見分けるということ。
 疾風は激しく吹く風のことで、勁草は強い草を意味する。
 激しい風が吹いて初めて強い草が見分けられることから。
 
 自分に従って来た者達が次第に離散していく状況に劉秀が慨嘆して述べた言葉。

      (出典・参考・引用 范曄「後漢書」王覇伝)

 



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