発電のハイブリット 2011:06:22:07:08:01
原子力発電について色々な議論が沸き起こっています。脱原発を言うからには代替エネルギーを考えなくてはいけません。先日、オーランチオキトリウムという植物について書きましたが、テレビ朝日のニュースステーションで、もっと現実的な電力の作り方が紹介されました。液化天然ガスを使ったハイブリット発電だそうです。東京都はすでにこのことに取り組んでいるそうです。地方都市でも取り組める政策ではないでしょうか。
ほぼ全文TV朝日HPからの抜粋です。
「火力+太陽光」という方式もあるようですが、これは「火力のハイブリット方式」と呼ぶべきものらしいです。これって「隠し玉?」ですかね。
川崎天然ガス発電所
川崎天然ガス発電所の敷地面積は6万平方メートル。福島第一原発の60分の1とコンパクト。ここで約85万kw、約原発1基分を発電している。ただの火力発電所ではなく、天然ガスを使った最新式『ハイブリッド発電』ともいうべき発電方式だ。正式には『ガスコンバインドサイクル』という。
圧縮した空気の中で、天然ガスを燃やし、高温の燃焼ガスの力でタービンを回す発電に加え、従来は捨てていた排気ガスの熱も使い、蒸気タービンを回し発電するというもの。熱をリサイクルすることで発電効率を上げるのだ。石炭火力に比べて倍以上の発電効率を誇り、CO2排出量も半分以下だ。
図では蒸気タービンが1つしか描かれていないが、川崎天然ガス発電所では蒸気タービンが3つあり、高圧蒸気・中圧蒸気・低圧蒸気を3段階で利用する仕組みになっている(資料:川崎天然ガス発電株式会社)
富津火力発電所
LNG=液化天然ガスを使う最新式のガスコンバインドサイクル発電所、富津火力発電所。
火力では日本最大504万kwの発電容量を誇る。3基で152万kw、約50万世帯分の電気を作る。従来のガス火力と比べ、燃料消費は4分の3。ガスコンバインドがこの燃費を実現した。東京電力富津火力発電所の松崎健二所長は「発電の世界の“ハイブリッド”。現在運用に入っているプラントでは世界最高レベル」と話す。
NGO気候ネットワークは、こうした高い効率のガス火力や省エネの推進などで、原発を新規に建設しなくても、2020年までにCO2の25%削減が可能だという試算を出した。
この分野では、日本が世界最高の技術を誇っている。現在、日本の電力は約3割が原発、ガス火力も3割を占める。石油天然ガス・金属鉱物資源機構の石井彰特別顧問は、「原発の多くが止まっているいま、短期間で増やせるのは、ガスタービンしかない」と指摘する。3兆円かかる費用については、「新たに施設を造ったり、新たに燃料を使えば、コストアップになるのは間違いない」と話す。ただ、燃料となる天然ガスの価格は、採掘技術の進歩で大幅に下がってきているという。
東京湾にこのガス火力発電所を造ろうという猪瀬副知事は、電力の地産地消を訴える。「その土地で取れた電気をその土地で使う。『地産地消』『分散型』というのがこれからの新しい電力のあり方」と話す。
原発事故の電力不足を受け、複数のガス火力発電所建設が計画されているが、本格的なガス火力発電への移行が始まったとは言い難い。その背景として、石井氏は「日本の天然ガスの消費で一番大きいのは電力業界だったが、ガスと電気が競合する面もあり、電力業界のほうが、ガスのインフラができるのを好まなかった」という。大きな可能性を秘めるガス火力発電。日本のエネルギー政策は、このガス火力をどう活用するかが重要な鍵を握っている。
志士なき幕末 2011:06:21:06:53:25
6月19日(日曜日)に、地域行事の後で、友人のやっている喫茶店に寄りコーヒーを飲みました。その時、「日本経済新聞」の【風見鶏】という候の記事を読みました。大変興味深い記事でした。共感も持てました。
民主党政権が政権交代を果たした時、明治維新の次の変革だと自称していました。しかし、現在の為体(ていたらく)は、目を覆いたくなるような状況です。(国の政治全てがかなー?)その事を適格に言い表していました。その記事を添付します。
風見鶏
「志士かぶれ」は要らない 【日経新聞朝刊】 2011年06月20日(編集委員 秋田浩之)
どうしてだろう。政治家に「尊敬する人物」をたずねると、たいてい、人気者は坂本竜馬だ。たとえば野田佳彦財務相も、自身のホームページで「竜馬」の名を記している。
それでは月並みすぎると思うのか、なかには高杉晋作や大久保利通といった名をあげる人もいる。前者は菅直人首相、後者は民主党の小沢一郎元代表だ。いずれにしても、多くの政治家は東西を奔走し、明治維新の扉をひらいた幕末の志士たちに自分の姿を重ねたがる。
だが、多くがあこがれるのは司馬遼太郎の小説で描かれるヒーローとしての志士であり、国づくりの途上で非業の死を遂げた生き様ではないように思える。
菅政権の方針を決める閣僚や民主党幹部の会議の内幕を聞くと、志士とはほど遠い姿があらわになる。
皆がもっともらしい「正論」を吐く。だが、反対者と刺し違えてでも、自分が信じる政策を押し通そうという傑物はいない。会議は踊るが、結局、何も決まらない――。複数の出席者によると、国難に際してもなお、誰もリスクをとろうとしない学級会のような光景がよく見られるという。
いま、本当に必要なのは「志士かぶれ」の政治家ではない。正しいと思う政策や筋を通すためなら、孤立し、政治生命を落とすことも恐れない本物の志士だ。
「みんな世論調査を気にして、テレビカメラの前ではもっともらしい主張をぶつ。だが、それを実現するために裏方に回り、泥をかぶってでも党内や野党の説得に当たる民主党議員はほとんどいない」
震災の対応に当たる政務三役の一人はこう反省する。ここまで政権を攻撃しておきながら、離党する気概がない同党の反執行部系の人たちも何をかいわんや、だ。
政権交代を果たしたとき、民主党は明治維新に次ぐ変革だと自賛した。自分も一瞬、そうかもしれないと思いかけた。鳩山前政権が迷走を始めたときも、明治維新から廃藩置県まで4年かかったのだから長い目でみよう、と努めてみた。
しかし、いまはこう断言できる。あれは決して維新などではなかった。むしろ、徳川幕府がたおれる前の断末魔の始まりのようなできごとだった、と。
民主党は自民党という幕府体制を変えると言いながら、何も新しいものを築けていない。すでに、自民党時代に壊れかけていた幕府をお粗末に運営しているようにみえる。
約260年にわたった徳川幕府が滅びる直前にも、日本はかつてない天災や国難に見舞われた。1850年代半ば、ペリーが率いる黒船がやってきて開国を迫られたかと思えば、東海や南海、江戸を次々と大地震が襲った。
往左往する徳川幕府から民心は離れ、58年には「安政の大獄」という大政局が起きた。維新の約10年前はこんな世の中だった。
多くの評論や歴史小説を著し、小渕政権で閣僚も務めた堺屋太一氏はどうみているか、聞いてみた。
「民主党政権は、江戸幕府の最後の将軍となった徳川慶喜のようなものだ。紀伊徳川家に代わって、水戸家から将軍位についた慶喜は財政改革や大阪遷都など、色々な改革を唱えながら、ことごとく失敗した。民主党も政権を代えただけで旧体制を変革できず、日本をぼろぼろにしている」
それでも幕末には透徹した志から名や命を捨て、時代の歯車を回した英傑が現れた。いまの混迷から、そんな政治家が生まれるのか。だめならば、日本は「志士なき幕末」という悲劇に突き進むことになる。
(日本経済新聞記事引用)