おひさま 2011:06:09:07:59:52
現在、NHKの朝ドラ「おひさま」に、はまっています。戦前、戦中、戦後、と昭和の動乱期を一人の女性を通して描いています。動乱の時期でありながら、日本人の持っている伝統・文化・絆・思やりの気持ち等見事に描いています。親子関係・夫婦関係・友人関係と考えさせられる内容が有ります。
私の母は大正10年(1921年)生まれです。このドラマのヒロイン須藤陽子は大正11年(1922年)、東京都に生まれました。また、母は昭和15年高等師範を出て国民学校の教師になりました。須藤陽子は昭和16年(1941年)に国民学校の教師になりました。非常に母の人生と似ています。
その時、父は同じ学校の代用教員として勤めていました。母が出来ないことを父が全て補っていたそうです。しかし、高等師範出の母と代用教員の父の給料は母の方が上だったそうです。父が大変悔しがっていたそうです。父は二男で長男との差別化を大変ひがんでいました。その上この給料です。ひがみの塊状況になっていたそうです。そこから父の人生は始まりました。組合運動に没頭する切っ掛けになったようです。戦後、父が復員してきて結婚をしました。私の親の昭和の生活と類似している設定です。
現在は、戦中を放映していますが、戦前では、親子の会話がとても綺麗でした。妻と、子供に親に対して敬語を使うように育てればよかったと話しています。昭和の素晴らしい状況と心が見事に描かれています。現在は戦中の悲しい別れを、それぞれの人間模様を入れながら、淡々と描いています。妻は毎日、涙しながら見ています。脚本が素晴らしく出演者もそれぞれ素晴らしい演技でドラマを支えています。久しぶりに楽しみにするドラマを見ています。
NHK連続テレビ小説「おひさま」
(月?土曜、前8・00)の初回視聴率が関東で18・4%、関西で15・6%だったことが6月5日、ビデオリサーチの調べで分かった。
関東、関西ともに前作「てっぱん」の初回(18・2%、13・1%)を上回り、関東の数字は過去5年9作品の中で最高の数字でした。
5月30日?6月4日の第9週は初めて全日平均19%以上を記録、同週の平均視聴率は19.3%(ビデオリサーチのデータを基に独自集計)でした。
(毎日新聞デジタル)
戦前
病気の母との最期を家族で過ごすため、長野県安曇野にやって来た少女・陽子は母と見たそば畑一面の白い花と、「おひさまのようにいつも笑って世界を明るく照らす」という約束を胸に少女時代を過ごします。
やがて世の中が戦争へと向かう時代に女学校へ。
生涯の友情を誓う二人の親友とともに、父と兄に守られながら明るく青春時代を駆け抜けます。
戦中
昭和16年、尋常小学校が国民学校となったこの年、陽子は念願の教師になります。子どもたちの笑顔を守りたいと奮闘する中、陽子を取り巻く人々にもそれぞれの転機が訪れます。
そして、陽子は松本市の老舗そば屋にお見合いにより嫁ぎ、戦地へ赴いた夫のいない婚家で、教師を続けながら義父母との生活を始めます。「家の中では笑って暮らしましょう」とたくましい姑とのかかわり合いに、陽子は忘れかけていた生きる喜びを思い出します。
姑が大切にする家族や近所の人たちとのつながり、そしてそば。守るもののある心強さを陽子は受け継いでいきます。
戦後
ようやく復員した夫との初めての生活が始まります。ぎこちなく、やがて互いを思いやるあたたかな家庭をはぐくみながら、母となった喜びをかみしめます。
教師を続け、夫唱婦随で家業と子育てに泣き笑いの日々。そして混乱した世の中、孤独と貧しさに生きる希望を失ったかつての教え子たちの消息を知り、その笑顔を取り戻すため、陽子は第2のステージを歩き出します。
夫や姑に教えられたそばの温かな味。畑を取り戻し、友情に支えられ、教え子たちと心を込めてそばを作ります。まごころの味を届ける女たちの小さなそば屋はやがて人々を明るく照らす希望の場所に変わっていきます
(NHKホームページ引用)
梅雨 2011:06:08:06:05:08
天気予報では今日は天気が良いと言っていたのに、雨が降っていたので散歩に行けませんでした。これが梅雨ですかね。非常に小さな雨でもうすぐ止みそうです。
梅雨について調べてみました。
梅雨(ばいう)
夏至(げし)(今年は6月22日)を中心として前後それぞれ約20日ずつの雨期。梅雨(つゆ)ともいう。これは極東アジア特有のもので、中国の長江(ちょうこう/チャンチヤン)(揚子江(ようすこう))流域、朝鮮半島南部および北海道を除く日本でみられる。中国ではMi-y、韓国では長霖(ちょうりん)Changmaというが、日本語のBai-uは国際的にも通用する。ウメの実の熟するころの雨期なので「梅雨」と書くが、カビ(黴)の生えるころの雨期でもあるので、昔は「黴雨(ばいう)」とも書かれた。梅雨はまた「つゆ」ともいう。旧暦では五月(さつき)ごろにあたるので「五月雨」と書いて「さみだれ」と読ませた。この流儀でいうと五月晴(さつきば)れは元来はつゆの晴れ間をいったので、現在の新暦の5月の晴天を「さつきばれ」というのは誤用である。
梅雨期間の雨量は、西日本では年降水量の4分の1程度、東日本では5分の1、北日本や日本海側では5分の1から10分の1程度となっている。梅雨末期の集中豪雨はさまざまな水害をもたらすことがあるが、梅雨全体としての雨量は冬の日本海側の雪とともに、日本のたいせつな水資源となっている。
[ 日本大百科全書(小学館)引用 ]
「梅雨」の語源には、いくつかの説がある。
中国で生まれた説
●「梅の実が熟す頃に降る雨」という意味で、中国の長江流域では、「梅雨(ばいう)」と呼んでいたという説。
●「黴(カビ)が生えやすい時期の雨」という意味で、「黴雨(ばいう)」と呼んでいたが、カビでは語感が良くないので同じ読みで季節に合った「梅」の字を使い「梅雨」になったという説。
日本で生まれた説
●「露(つゆ)」から連想した。
●梅の実が熟す時期だから「つはる」から連想した。
●梅の実が熟し潰れる時期だから「潰ゆ(つゆ)」と関連つけた。
●カビのせいで物がそこなわれる「費ゆ(つひゆ)」から連想した。
「梅雨」という言葉が伝わる以前は「五月雨(さみだれ)」といった。
「さ」は陰暦の5月(現在の6月)、「みだれ」は「水垂れ」を意味する
(なんでも梅学引用)