2009年11月

ピンクリボン

2009年11月19日

 昨年、一昨年とカープ・サンフレッチェの試合にピンクリボン運動を行ないたいという申し出があり、市役所の職員さんと一緒に参加しました。現在も続いていますピンクリボン運動ですが、一昨日、公明党の政治パーティーに行くと、東広島市の市長さんがスーツの胸に付けておられました。

ピンクリボン運動

 ピンクリボン運動とは乳がんの「早期発見・早期診断・早期治療」の大切さを世界の女性たちに伝える運動です。
 胸元にピンク色のリボンをつけることでセルフチェックや定期検診をうながし、乳がんに対する意識を高めるのが目的です。

 ピンクリボン運動の歴史

 ピンクリボン運動は1980年代にアメリカで始まりました。乳がんで若くして亡くなった女性の母親が、残された家族と一緒にピンクリボンを作ったのが最初と言われています。
 「乳がんで命を落とさないように」という女性たちへのメッセージと「同じ悲劇を繰り返したくない」という母の思いが込められています。
 当時のアメリカでは乳がんにかかる女性は8人に1人と多く、死亡率も高かったそうです。

 一方、日本でピンクリボン運動が広まったのは2000年代に入ってからのことです。街を歩いて乳がんを啓蒙するウォーキングや、ピンク色にライトアップされた東京タワーやレインボーブリッジなどが人々の注目を集めました。

 20人に1人。日本人女性が乳がんにかかる割合は驚くほど高い食生活の欧米化、出産の高齢化などにともない、乳がん患者は急増しています。
 1996年には乳がんが日本人女性のがん罹患率第1位になりました。
 年間約40,000人の女性が乳がんを患うとされ(約20人に1人の割合)、死亡数も年々増えています。

 90%の人が10年生存。早期に発見できるほど完治も望める乳がんは早期発見であるほど治癒率が高い病気です。2センチ以下のしこりで、リンパ節への転移がない状態(?期)であれば約90%の人が10年生存している、つまりほぼ完治しているという結果が出ています。
 また、がんが小さいうちに発見できれば女性にとって大切な乳房を温存できます。

 女性の30?40代は乳がんにかかるレッドゾーン乳がんにかかる人が多いのは30〜40代の女性。
 最もリスクが高まるのは40代後半ですが、20代でも発症が認められています。「まだ若いから」と無関心ではいられません。

 乳がんは一般的に次の様な人がなりやすいといわれています。

・初産の年齢が30歳以上の方

・出産経験のない方

・初潮年齢が早かった方(11歳以下)

・閉経年齢が遅かった方(55歳以上)

 しかし、出産・授乳経験があっても、閉経後でも乳がんになる場合があります。
 年代にかかわらず、乳がんの危険性を認識したいものです。

マンモグラフィーで乳がん検査
 年間1万人が命を落とすとされている乳がん。厚生労働省は、40歳以上の女性の乳がん検診は従来の視触診だけではなく、
マンモグラフィー(乳房レントゲン撮影)をするべきという指針をだしました。

マンモグラフィー検査
 そもそもラテン語で『マンマ(mamma)』は『乳房』のこと。だから乳房のレントゲン写真をとる検査は『マンモグラフィー(mammagraphy)』となるわけです。
 ちなみに一台約3000万円くらいです。マンモグラフィー検査は欧米では一般的な検査で、アメリカではその受診率は28.8%(1987年)から66.9%(1998年)まで増加しています。
(GE横河メディカルシステム調べ)

mannmo.jpg

マンモグラフィー検査の機械


 

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慢性疲労症候群

2009年11月18日

 J1のサンフレッチェ広島森崎和幸選手が慢性疲労症候群にかかっていましたが復帰しました。

2009年6月サンフレッチェ広島から次の様に公式発表されていました。大変な病気にかかって、復帰には相当時間かかると思われていました。(精神的なうつ病状態になることが多い病気と言われている)

 サンフレッチェ広島所属の森崎和幸選手の状況について以下の通り診断されましたので、お知らせします。2006年に発症したオーバートレーニング症候群の再発だと思っていたが、事態はより深刻であるようです。
■診断名:慢性疲労症候群
■備考    :現在のところ復帰時期については未定。回復には十分な休養が必要と診断されました。

                                               (2009年6月16日)

 慢性疲労症候群について調べてみました。

慢性疲労症候群(CFS)
 極度の疲労(強い消耗感、極端なスタミナ不足)が一日中もしくは一日のほとんどの時間、生じている状態が長期間続く状態のことをいいます。
 人間だれでも疲労を感じることはあります。大抵は休養や睡眠をとることで疲労は回復されますが、中にはどんなに休養や睡眠をとっても疲労が回復されない場合があります。
 このようにいつも疲労を感じている人は、男性の5人に1人、女性では3人に1人いると言われています。長い労働時間、ストレスなどで、慢性的な疲労を感じる場合がありますが、このような要因が全くないにも関わらず、慢性的な疲労、それも日常生活に支障をきたすほどの極度の疲労を感じる人も少数ながらいるのです。
 この場合、慢性疲労症候群(Chronic Fatigue Syndrome)であることが疑われます。
 アメリカでは慢性疲労免疫障害症候群(CFIDS)として知られています

 慢性疲労症候群(CFS)は、これまで健康に生活していた人に原因不明の強い全身倦怠感、微熱、頭痛、脱力感や、思考力の障害、抑うつ等の精神神経症状などが起こり、この状態が長期にわたって続くため、通常の日常生活が送れなくなるという病態です。
 具体的な症状としては、患者によってかなり様々な表れ方をしますが、多くは風邪やインフルエンザの症状と似ています。
 
◎頭痛、めまい、かすみ目
◎筋肉痛、関節痛、リンパ節痛、凝り
◎不安感、認識力低下、うつ状態
◎睡眠障害、寝汗、
◎胃腸障害、吐き気、食欲不振、下痢
◎咽頭炎、口渇、咳
◎微熱、筋力低下、

 症状の重さは、患者により大きく異なります。同じ患者であっても時期によって、軽い疲労のときもあれば、寝たきりで動けない状態にまでなることがあります。またこれらの症状は繰り返され、時期によって現れる症状が異なる場合も多く見られます。

「慢性疲労」と「慢性疲労症候群」は、言葉はよく似ていますが、きちんと区別して考える必要があります。(疲れる原因がある程度わかっていて、疲労感も日常の生活が続けられる程度のものである場合、これは「慢性疲労」と呼ばれます。
 ほとんどの場合、十分な休息をとる等、疲労となる原因を取り除けば回復します。ただし、慢性疲労から慢性疲労症候群に移行するケースもありますので、注意が必要です。

 

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観光カリスマ塾

2009年11月17日

 平成18年12月に議員立法により成立し、平成19年1月より施行されている観光立国推進基本法があります。これを受けて政府は、2010年(平成22年)までに訪日外国人旅行者を1000万人にする等の目標の下、観光立国の実現に向けた様々な施策を展開しています。その中に観光カリスマ塾と言う制度が有ります。

観光カリスマ塾 (国土交通省 総合政策局観光部門)
 従来型の個性のない観光地が低迷する中、各観光地の魅力を高めるためには、観光振興を成功に導いた人々のたぐいまれな努力に学ぶことが極めて効果が高いと考えられます。
 そこで、各地で観光振興の核となる人材を育てていくため、「『観光カリスマ百選』選定委員会」を設立、その先達となる人々を『観光カリスマ百選』として選定しました。

 その中に「澤の屋旅館」があり、経営者が、澤功氏です。その 澤功氏が「下町の外国人もてなしカリスマ」として認定されました。観光に対しての発想の転換があると見ましたので紹介を含めて掲載します。

澤の屋旅館 館主 澤 功
■主な経歴 1937年  新潟県豊栄市生まれ 
1960年  中央大学法学部卒業
          東京相互銀行(現在の東京相和銀行)入行 
1965年  澤の屋旅館館主 
1982年  外国人客受入開始 
1993年  ジャパニーズ・イン・グループ会長(?98年) 
1997年  (社)日本観光旅館連盟常務理事 
1998年  (社)日本観光旅館連盟東京支部支部長
(ジャパニーズ・イン・グループ)
 54年に東京、京都の家族経営の小規模旅館が数軒でグループを作り、「ホスピタル・アンド・エコノミカル」をモットーに積極的に外国人個人客の受入を図っている。グループには現在は全国80軒が加盟し、設立以来、80か国、延べ200万人を受け入れており、英・韓・中(繁体字)語表記の「旅館での過ごし方」等の情報を含む予約のための英語版会員名簿を作成するとともに、会員相互の連携、情報交換、各種研修会、接遇マニュアル作成等の活動を通じ、外国人客の接遇向上を図っているが、特に近年では、アジア地域からの外国人客を積極的に受け入れるための研修会を開催し、誘致を行っている。

■カリスマ名称
「下町の外国人もてなしカリスマ」
 東京下町の低廉な宿泊施設で、これまで延べ10万人もの外国人旅行者を受け入れ、さらに外国人客の下町での触れ合いに尽力している。  

■選定理由  
 倒れかかった下町の小さな旅館を、積極的に外国人旅行者を受け入れることによって再生するとともに、全国各地で外国人旅行者の待遇方法などを説明して、宿泊施設が外国人旅行者を受け入れる際に抱く危惧を払拭することに努め、外国人旅行者の受入促進の啓蒙を図っている。

■具体的な取り組みの内容
 東京の下町、谷中の根津神社の近所に、客室数12室の日本旅館「澤の屋」がある。一見何の変哲もない小旅館であるが、実は宿泊客の9割が外国人客で、毎日平均7か国の客が訪れ、年間客室稼働率が90%を越え、これまでに80か国、延べ10万人の外国人客を受け入れるなど、国際交流に貢献して大変繁盛をしています。

 商用客を受け入れていたときは、いつ来客があるかわからなくても料理の仕込みをしておかなければならなかったが、外国人客を受け入れて以降、彼らから「夕食代が高い」とか「食べないので値引きをしてくれ」とかいった苦情があったことから、夕食を出すことをやめた(洋朝食は300円)。
 その代わり近所の食堂で宿泊客が食事できるように、外国人客の受入と英文メニューの作成を依頼した。
 また、銀行、郵便局、病院、洗濯屋、寺社等を記入した谷中・根津周辺の英語の地図を作成し、宿泊客に配っている。

 澤氏は、「澤の屋」が町の中で外国人宿として孤立しないように町の行事に積極的に参加していたが、そうした澤氏の努力もあり、また、震災・戦災に遭わなかった下町気質が外国人客を町に受け入れる土壌としてあったため、日本情緒を味わいたい宿泊客は、花見、夏祭り、菊まつり、餅つき、豆まき等の町内の年中行事に参加することができ、谷中・根津界隈で草の根の国際交流が図られている。

 こうした努力の結果、ツアーに参加しない外国人個人客を初めて受け入れた57年には220人だったが、58年は3,128人、59年には4,154人(稼働率90%)と飛躍的に増加して、これまでの20年間で延べ10万人を受け入れた。平成14年には41か国からの外国人客、延べ5282人を受け入れた(日本人客1,290人、年平均部屋稼働率95.1%)。

 発想の転換で、外国人観光客を誘致した例として載せましたが、英会話の実力は単語を並べる程度で、我々とあまり変わらないようです。ホテルに負けないサービスを提供するために、町全体をシステムの中に組み込みサービスを提供されています。街づくりの観点からも参考になると思いました。

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玄関前



 

 

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