2009年7月
旅行記3日目
7月21日5時AM前(日の出)
4時50分AM
朝日を見に行きました。日の出は5時19分AMです。4時50分に集合して、日の出観察ポイントまで行きました。予報では、60%の確立で日の出が見えるというものでした。小山を登って日の出ポイントに行くと、もう何人かの人が場所取りをしていました。今回の旅行は運が良いのか日の出がしっかりと見れました。山水画の景色の中の雲の間から朝日が出たときは、思わず手を合わしました。周りを見ると中国人までも同じ形で手を合わせていました。
前日(20日)3時30分PM頃部屋に入って、4時からマッサージを受けました。240元+チップ30元(1円=約16元)でした。そして6時PMから食事を取り、8時PMには全て終わり、部屋に帰りました。することがありません。荷物は下界に置いて軽装で登ってきているので読む本もありません。 テレビは、中国の放送ばかりで全く理解できませんが、カンフーやサーカスの放送を見ていましたが時間が持たず、寝ることにしました。朝までが長いこと何度も目を覚まし時間を見ましたが時間が経ちません。久し振りに長時間寝ました。
9時AM
黄山の山登りが始まりました。1,600mのホテルから1,800m級の山々を巡る山歩きです。黄山で2番目に高い光明頂と言う山の頂上まで行きました。ほとんどが階段でこんなはずではなかったと青息吐息でやっとたどり着きました。昼食は西海飯店というホテルで食べました。このホテルも歩いてこなければならないホテルで、我々が泊まっている北海賓店ホテルより遠い所(山の上り下りを歩いて約30分)に有りました。
山を歩いていて驚いたことは、ホテルの資材・食料は麓からゴンドラを使わないで天秤棒に荷物を付けて(約70k)運んでいる荷物運びの人が沢山居ました。荷物の無い我々が死ぬ思いで登っている山を荷物を担いで登る人には驚かされました。彼らの体は、贅肉は全く無く筋肉がすべてのマラソン選手のようでした。この仕事で、月に4万円程度の収入だそうです。
久し振りに山登り?をして、足の筋肉パンパン・体はヘトヘト参りました。しかし黄山という山の美しさに心は豊になりました。
『黄山』
独立したひとつの山ではなく、70を超える屹立した群峰の総称です。
三大主峰は、
蓮華峰 (1860m・・・1873m、1864m、1840mとの記述もある)
光明頂 (1840m・・・1860m、1841mとの記述も)
天都峰 (1829m・・・1810mも)
で、蓮華峰が最高峰です。
全山花崗岩でできた切り立った岩山です。花崗岩ですから太古の昔は海底であったということになります。
黄山は、奇松・怪石・雲海・温泉の四絶で名高いそうです。また、『五岳帰来不看山、黄山帰来不看来』とも賞されています。
また、奇松のうち、最も姿の美しい松のひとつにはその形から『迎客松』という名が付けられていて、名の通りこの松に誘われての黄山詣でとなったのでした。
登山ルートは4通り。
多分一番ポピュラーなのが、慈光閣からゴンドラに乗って登る南ルート。
次が雲谷寺からロープウェイ(旧索道)かゴンドラ(新索道)に乗って登る東ルート。
その他に西ルートと、合肥方面から太平ロープウェイで登る北ルート。
南ルートを前山ルート、東ルートを後山ルートとも言っている。
飛来石
この地図のコースを全て歩きました
このような下り上りの連続でした
荷物を担いで登る作業員(荷物の重みは左右で約70kg)
旅行記2日目
7月19日(2日目)
午前中
黄山市 老街見学
歴史のある街を見学しました。古い街並みに骨董・筆・硯・お茶等の店が並んでいました。時代を錯覚しそうなたたづまいでした。硯を売っている店では、立派な硯を沢山見せてもらいました。墨をする場所が、赤ちゃんの肌のような感触の硯が良い硯で、その上水を張ると色んな模様が出てくる硯が良い硯だと教わりました。値段は目の飛び出るような値段でした。(10万単位)その後、お茶屋に入って新茶をご馳走になりました。黄山はお茶が名物だそうでとても美味しかったです。
世界遺産 古村落郡「黟県宏村」見学
池に囲まれた古い街並みは時代を錯覚する趣がありました。池にはレンコンの花が咲き乱れていました。街並みは、中国の古い建物に見られるような「うだつ」の上がった建物ばかりでした。道は入り組んでいて迷路のようになっていました。お金持ちの家を見学してびっくりしたことは、「アヘン」を吸う部屋が創ってあったことでした。現在もこの街で、生活をしている住民の方々が居られました。
黟県の紹介 (い けん)
黟県は安徽省南部、黄山市市内に位置し、秦(公元前221年)から建てはじめ、中国の歴史上には最も悠久な文明古県の一つ。
黟県は徽商と徽文化の発祥地の一つ。山々に隔てられるので、歴代に戦乱を免れ、徽商が残った多くの明清時代の民居、祠堂、牌坊、廟宇、園林、古橋、亭台楼閣等の古建築は奇跡で保存された。
黟県に分布している古民居は3954軒があり、西、宏村、南屏、屏山、官麓、碧山等の所に集中し、古民居は“分布の工、構成の巧、建造の精、装飾の美、文化の深厚”をもって現在世界古文化の一大の奇観である。
黟県古民居は“東方古代建築の芸術宝庫”、“中国伝統文化の縮図”と称えられる。古民居の曲径回廊、花木の組合せ、及び煉瓦彫、木彫、石彫、彩を一体に集め、全体の住宅は精美な芸術品のようである。なた、ホールに掛けている対聯、扁額、条屏は、儒、釈、道の思想融合の知恵を体現している。
紀元2000年11月30日、黟県の西、宏村は、中国皖南古村村落の典型的な代表として、ユネスコの世界文化遺産名録に登録された。
午 後
ロープウエイで黄山ホテルに
8人乗りのゴンドラで約1.600mの高さまで登りホテルまで約20分階段を上り下りしました。ロープウエイの途中から水墨画で見るような景色が目に飛び込んで来ました。ホテルは歩いていくしかなく(有料の籠がある)階段を上り下りしてホテルに着きました。
黄山(こうざん)
中国・安徽省にある景勝地。伝説の仙境(仙人が住む世界)を彷彿とさせる独特の景観から、古代から黄山を見ずして、山を見たというなかれと云われ、数多くの文人が訪れた。
黄山は秦の時代には黟山(いざん)と称されたが、唐の時代には現在の黄山の名前に改められた。黄山に立ち並ぶ山々は古生代に出来たもので、その石や岩は氷河や風雨による浸食が一億年に亘って繰り返され、現在の様な断崖絶壁の景観ができあがった。海から流れ込む湿った空気は海抜1000m以上の峰々に漂い、大量の霧や雲を発生させている。三主峰と呼ばれる蓮花峰、光明頂、天都峰があり、その他69の峰がある。
そして、荒涼とした風景を彩る「黄山松」は、岩の割れ目に根をはり、強い生命力を持つとして、尊ばれている。
以上の怪石、雲海、奇松に温泉を加え、「黄山の四絶」と称された。これらから、天下の名勝、黄山に集まると云われ、古代から中国の人々が黄山の美しさを「天下第一」と称える所以である。
この名声で多数の文人が憧れて訪れ、水墨画、漢詩など中国独特の文化を生み出した。
東山魁夷は黄山を「充実した無の世界。あらゆる山水画の技法が、そこから生まれたことが分かる」と評している。
1,600mの高さにある、ホテル「北海賓館」に宿泊
老街
世界遺産 古村落郡「黟県宏村」
世界遺産 古村落郡「黟県宏村」(生活があります)
8人乗りのロープウエイ
ホテル「北海賓館」
旅行記1日目
昨日(7月26日)で、大雨の峠を越したように思えます。広島市も次の発表をしました。
大塚・伴南ふれあい祭り・グリーンヒル大原夏祭りは中止となりました。
★平成21年7月25日 17時04分をもって、次のとおり災害警戒本部を廃止します。
広島市災害警戒本部
中区災害警戒本部・東区災害警戒本部・南区災害警戒本部・西区災害警戒本部・安佐南区災害警戒本部・安佐北区災害警戒本部・安芸区災害警戒本部・佐伯区災害警戒本部
しかし、本日も新たな低気圧が北九州沖に出来るそうでまだまだ警戒が必要です。
2009年夏休み旅行記1日目
7月19日(日曜日)
13:00
広島空港から上海へ(フライト時間は1時間40分・上海と広島の時差は1時間上海が遅れる)
14:40
リニアモターカー体験乗車(東浦空港より上海市中心部へ)
時速435kmを体験しました。思ったよりゆれず快適な乗りごごちでした。
16:00
上海博物館見学(無料)
4階から1階まで家具・陶磁器・書・筆・硯・水墨画等中国伝統の芸術が所狭しと並んでいました。無料と言うことで市民の方が沢山見学して館内は満員状態でした。
20:50(上海空港より屯渓空港へ空路移動)
1日目のホテルは黄山市 高爾夫酒店ホテル(Huangshan Golf Hotel)
上海は、2010年5月から万国博覧会を開催すると言うことで道路の整備・ビルの建設ラッシュで活気に満ち溢れていました。
1日目のホテルはゴルフ場の中にあり朝の散歩でコースの中を2?3ホール歩きました。また、練習場がありましたので30球ほど打たせていただきました。ホテルのお客さんが朝5時30分ぐらいからラウンドをスタートしていましたので、計画にゴルフを入れておけばよかったと後悔しました。コースは変化にとみスタートホールからグリーンの旗の見えるホールはないように感じました。芝は北海道と同じく、非常にねばい芝でコースとしては、攻めがいのある非常に難しいコースに感じプレイをしたくてうずうずしました。
リニアモーターカーの走路(真っ直ぐに延びています)
リニアモターカー
上海博物館