稲むらの火 2011:09:08:07:12:47

2011年9月 8日

 昨日(9月7日)NHK『スタジオパークからこんにちは』で「稲むらの火」の話が紹介された、再放送が有りました。

「稲むらの火」とは、Lafcadio Hearn (1890ー1940,、日本帰化名、小泉八雲)の著作に見られます。後に、それを中井常蔵氏(1907ー1994)が「稲むらの火」という短編に仕立て直しました。この「稲むらの火」は戦前から戦後にかけて(1937ー1947)、小学校の国語の教科書に使われ、今では、津波防災教育の優れた教材として知られています。

 小学校では、平成23年4月から、新学習指導要領が全面実施となりました。指導要領の改訂に伴い、教科書の内容も大きく変わっています。
 教科書はいくつかの出版社から出ていて、どの教科書を使うか管轄の教育委員会が採択します。よって、地域によって使う教科書が違っていたりします。
(どの教科書を使っても、学習指導要領で定められた内容が網羅できるように作られています。)
 新しい国語の教科書(光村図書出版)に『稲むらの火』という作品がありました。(64年ぶりに採用されました)掲載は 大震災の発生前に決まっていたそうです。もっと早くから掲載していたら「釜石の奇跡」のような事例が沢山出て来ていたかもしれません。

 小泉八雲の名作、「生ける神」をもとにして、教科書用テキストとして作られたのが、この名作「稲むらの火」である。子供達にとって、やや難しい表現が見られるものの、五兵衛 つまり浜口梧陵の崇高な生き方を教えている教科書用テキストです。

教科書 原文

「これはただ事ではない。」
とつぶやきながら五兵衛は家から出てきた。今の地震は別に烈(はげ)しいという程のものではなかった。しかし長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。五兵衛は、自分の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では、豊年を祝うよい祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向気がつかないもののようである。

 村から海へ移した五兵衛の目は、忽(たちま)ちそこに吸い付けられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。
 「大変だ、津波がやって来るに違いない。」と、五兵衛は思った。このままにしておいたら四百の命が、村もろ共一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予(ゆうよ)はできない。
 「よし。」
と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明(たいまつ)を以て飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。
 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」と五兵衛は、いきなりその稲むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。

 日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。山寺では、此の火を見て早鐘をつき出した。
 「火事だ。庄屋さんの家だ。」と村の若い者は、急いで山手へかけ出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うようにかけ出した。
 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻(あり)の歩みのように、もどかしく思われた。やっと20人ほどの若者がかけ上って来た。彼らはすぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声に言った。
 「うっちゃっておけ。?大変だ。村中の人に来てもらうんだ。」
 村中の人は追々集まってきた。五兵衛は、後から後から上ってくる老幼男女を一人一人数えた。集まって来た人々は、燃えている稲むらと五兵衛の顔とを代る代る見くらべた。
 その時、五兵衛は力一杯の声で叫んだ。
 「見ろ。やって来たぞ。」

  たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な早さで押し寄せて来た。
 「津波だ。」
と、誰かが叫んだ。海水が絶壁(ぜっぺき)のように目の前に迫ったと思うと、山がのしかかってきたような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとを以て、陸にぶつかった。人々は我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進して来た水煙の外は、一時何も見えなかった。
 人々は、自分等の村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。2度3度、村の上を海は進み又退いた。
 高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。

 稲むらの火は、風にあふられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。始めて我にかえった村人は、此の火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。

              (インターネット「稲むらの火」転載)

 

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引地ブドウ園 2011:09:07:08:17:00

2011年9月 7日

 昨日、今朝と気持ちの良い朝でした。散歩に出る時空気が冷たく感じさわやかな季節となりました。台風12号が日本列島の大きな傷を残して去って行きました。日曜・月曜まではその影響で蒸し暑さが残っていましたが昨日、今日とさわやかな朝となりました。

 昨日9月6日は、【黒い真珠・三次ピオーネの日】の日でした。9と6をくろと読みこの日を記念日と決めたそうです。ブドウのおいしい季節となりました。

 今年も地元の「引地ブドウ園」が直売所を開店しました。サラリーマンを途中退職しブドウ園を始めて7ー8年経ちます。家族で 根域制限栽培されていて 安心安全です。とても美味しいブドウを毎年この時期に頂いています。今年は春先の天候不順で玉が少し小さいそうです。しかし、味は抜群です。

     引地ブドウ園.jpg

         所在地 広島市安佐南区沼田町大字伴1171
         奥畑下バス停付近
         TEL 082?848?0959
         代表者 引地 義範
         営業時間 営業日:8月下旬から9月下旬まで毎日
         営業時間:午前8時から午後6時
         販売商品(一例)
         ぶどう(ピオーネ、安芸クイーン、藤稔など

根域制限栽培

 いわゆる「鉢植え」のことで、みずみずしく芳醇な果実を生産する革新的な栽培なんだそうです。

「根域制限栽培とは・・・」

 ○根にとって居心地が最高によい住みかをつくるために、根の広がる範囲を制限します。
 
 ○水は、ぶどうが水を欲しがる声を、科学的な対話によって自動的に与えます。

 ○肥料はぶどうが栄養を欲しがる量を満足する時期に与えます。

 今年も8月の末に大量に買い毎朝美味しくいただいています。9月に入るとピオーネが美味しくなるそうです。

      002.JPG  

       緑色(シャインマスカット)茶色系(安芸クイーン)ブドウ色(藤稔)

            ぶどう.jpg

        上から藤稔・安芸クイーン・シャインマスカット

 

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