ネット流行語大賞2011 2011:12:21:07:32:12
ネットや携帯電話メール等で今年良く使われた言葉のランキングが発表になりました。我々の年代はあまり使わない言葉ですが、説明を読んで初めて理解出来ました。
【ネット流行語大賞2011 合同投票結果】
金賞 ポポポポーン
銀賞 なでしこJAPAN
銅賞 僕と契約して、◯◯になってよ!
4位 マル・マル・モリ・モリ
5位 ヤシマ作戦
6位 いいね!
7位 #edano_nero(枝野、寝ろ)
8位 ダァシエリイェス!!
9位 ブヒる
10位(ポイント同数10位) アナロ熊
10位(ポイント同数10位) スカスカおせち
10位(ポイント同数10位) まんべくん
●1位 ポポポポーン (40326票)
ACジャパン「あいさつの魔法。」CM内に出てくるワード。ニコニコ動画やニコニコ実況などでは、通称「ポポポポーン(ポポポポーン)」と呼ばれており、タグの動画投稿数は千件以上となっている。
●2位 なでしこジャパン (6202票)
主にニコニコ動画内におけるニコニコ実況などでの実況コメント(テレビを見ながらコメントを打つ行動)にて、優勝時は2分ほど画面がコメントで埋まり描画がしきれないほどだった。
●3位 僕と契約して、○○になってよ! (33201票) 関連チャンネル
元ネタとなったアニメ自体のブームと合わせての流行をみせた。6月に行われた第一回日台同時一挙放送では視聴者が約100万人(総コメント数186万)、10月に行われた第二回一挙放送も81万人が視聴するなどの記録を打ち立てた。
●4位 マル・マル・モリ・モリ (5468票)
ニコニコ動画では振り付けを踊ってみた・躍らせてみたもの、歌ってみたなどの「やってみた」系動画が盛り上がるなどの現象を見せた。中にはドラムを叩いているものや、自作の手書きアニメーションを付けたものも。
●5位 ヤシマ作戦 (4367票)
Twitter上では節電を呼び掛ける為に有志が非公式節電キャンペーンとして「ヤシマ作戦」と呼称して協力を募った。
●6位 いいね! (2093票)
SNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)のボタン。コメントや画像に対し、ワンクリックで賛意や好意を示すことができる。ニコニコ動画に投稿された動画や放送されている生放送もいいね!(Facebook)、+1(Google+)、つぶやき(twitter)をすることが可能。
●7位 枝野、寝ろ (2069票)
何かあると昼夜問わず時間を置かずに直ぐに記者会見壇上に立ち、発生した事態を分かりやすく国民に説明しようとする枝野長官の姿勢に感銘を受けた会見視聴者が次第に増え、いつしかTwitter経由で「#edano_nero(枝野寝ろ)」を付けるなどその応援の声が登場した。震災直後にNHKのサイマル放送を行っていたニコニコ動画(ニコニコ生放送)では、枝野官房長官が記者会見場に立つ度に「枝野寝ろ」コメントが流れるなどのコメントのお約束となっていた。
●8位 ダァシエリイェス!! (4074票) 関連キーワード
京急の『ドア、閉まります。』という言葉の発音を文字で表現化したもの。京急電鉄はその特異性からネット上及びニコニコ動画内でファンが多く、京急キーワードの付いている動画数だけで約4千件(3917件)ほどが存在する。KQクオリティ(『あらゆる意味で、他社とは異なっている』京急独自の職人芸的ダイヤ・入換・その他がよくわかる動画)、逝っとけダイヤ(行先・種別が突如変更となる)などのタグが付与されている。
●9位 ブヒる (3029票) 関連チャンネル
アニメ「IS〈インフィニット・ストラトス〉」の放送後に(主に)流行した。「萌える」との厳密な区別はないが、特に視聴者を萌えさせることを強く意識した(平たく言えば「あからさまに狙った」「媚びた」)描写に反応するような場合に使われる。
※インフィニット・ストラトス第一話はニコニコ動画で5万再生されるなどの人気アニメ
●10位 アナロ熊 (3689票)
地デジカに対抗して作られたキャラクターで、誕生直後の2009年4月?5月に掛けて大きなムーブメントとなった。当時に投稿された動画のうち「アナロ熊のうたにアニメつけてみた」は56万再生、「アナロ熊のうた」は46万再生されるなどした。2011年7月24日には「アナログ放送終了。アナロ熊、最後の挨拶。[実写合成]」なる動画が投稿され、12万再生がなされている。
●10位 スカスカおせち (1418票)
今年1/2にはバードカフェの「謹製おせち」を実際に自分で作成して投稿するユーザーが現れ、動画が31万再生されるなどした。また、おせち騒動解説動画の上位二つは前者が17万、後者は11万再生を突破。年初のネットユーザーに話題を提供するなどした。
●10位 まんべくん (1005票)
Twitterでの毒舌ぶりや自由奔放さが人気を博したがその舌禍に伴いtwitterアカウントは消滅した。ニコニコ動画上にはユーザー作成のまんべくんオリジナル曲が投稿され、「星になったまんべくん」は3万再生されている。なお、元"まんべくんの中の人"は「ニコニコ超会議」広報キャラに就任し自由奔放につぶやき続けている。
(ニコニコ動画サイト アンケート)参照
絆2 2011:12:20:06:55:40
ネットを検索していて次のような記事を見つけました。「絆」についての考え方です。言葉本来の意味と、日本人のマスコミ報道へ流される国民性等危うさを感じていました。その事を精神科医・斉藤環氏が書いておられました。面白い記事だったので掲載しました。
斎藤 環
1961年生まれ。岩手県出身。
筑波大学医学研究科博士課程修了。医学博士。
現職は、爽風会佐々木病院・診療部長。
専門は思春期・青年期の精神病理学、
病跡学、ラカンの精神分析、
「ひきこもり」問題の治療・支援ならびに啓蒙活動。
漫画・映画・その他サブカルチャー全般を愛好。
時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環
◇自由な個人の連帯こそ
3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。
確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。
しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。
語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の身体の自由を束縛するもの」(基本古語辞典、大修館)という意味になる。
訓詁学(くんこがく)的な話がしたいわけではない。しかし被災後に流行する言葉として、「縁」や「連帯」ではなく「絆」が無意識に選ばれたことには、なにかしら象徴的な意味があるように思われるのだ。
おそらく「絆」には、二つのとらえ方がある。家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を「絆」と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。
しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。
つながりとしての絆は優しく温かい。利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。しかし、しがらみとしての絆はどうか。それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように個人を束縛し支配する。たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。
もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。その点に異論はない。しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。
絆は基本的にプライベートな「人」や「場所」などとの関係性を意味しており、パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。つまり絆に注目しすぎると、「世間」は見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。これを仮に「絆バイアス」と名付けよう。
絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。たとえ社会やシステムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。
それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。しかし社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。
なかでも最大の問題は「弱者保護」である。絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。
かつて精神障害者は私宅監置にゆだねられ、高齢者の介護が全面的に家族に任された。いま高年齢化する「ひきこもり」もまた、高齢化した両親との絆に依存せざるを得ない状況がある。そして被災した人々もまた。
さらに問題の射程を広げてみよう。
カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインが提唱する「ショック・ドクトリン」という言葉がある。災害便乗資本主義、などと訳されるが、要するに大惨事につけ込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ。日本では阪神淡路大震災以降になされた橋本(龍太郎)構造改革がこれにあたるとされ、さきごろ大阪市長選で当選した橋下徹氏の政策も、そのように呼ばれることがある。
人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。
もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。
(毎日JP 毎週日曜日に掲載 引用)