中国人と日本人2 2011:05:25:06:37:12

2011年5月25日

 インターネットから配信される (Wisdom News 2011/5/23)WIS.314[by NEC]からの記事に面白い記事を見つけました。田中 信彦(たなか のぶひこ)という中国人の方が書いた文章です。中国人を理解するためには(日本人を理解するためには)大変わかりやすい文章だと思いました。長い文章なので3パートに分けて掲載します。
執筆者 : 田中 信彦(たなか のぶひこ)
中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、大手カジュアルウェアチェーン中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。著書に『人事・採用の基礎知識 中国編』(メディアファクトリー)、『中国で成功する人事 失敗する人事』(日本経済新聞社)、『日本人が知らない中国人の私的事情』(講談社)など。

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「中国的救援」と「日本的救援」?日本人の行動を中国人はどう見ているか
 
「亭主を日本から呼び戻せ」
 震災発生直後から、私の携帯電話には友人知人、取引先などから安否確認の電話やメールが山ほどやってきた。それはとてもありがたかったのだが、困ったのは上海にいた私の妻である。妻は中国人だが、そこに押し寄せた電話やメールの数は私をはるかに上回った。「亭主は上海にいるのか?なに、いない?どうしてすぐに呼び戻さないんだ」。

 最初のうちは「東京は大きな問題はないようだ」とか「東京にも高齢の親がいるし」などと釈明をしていたが、なにしろ朝から晩までひっきりなしに電話がかかり、そのたびに「なぜすぐに呼び戻さない」と怒られ、中には「夫を愛していないのか」などと言い出す親類も現れる始末で、妻は仕事にならず、ほとほと参ってしまった。

 本来はしばらくしてから上海に戻ろうと思っていたのだが、妻からの悲鳴が聞こえてくる。「とにかく早く戻ってきてほしい。そうでないと周囲が納得しない。私が責められる。しばらくしてまた行ってしまっても構わないから」。それで急遽、上海に戻った。周囲の人々は安心し、安否確認の電話やメールは少なくなった。いささか極端と思われるかもしれないが、実際にこんな感じなのである。

「熱く」人を思う
 中国人的感覚では、自分が大切に思っている人に対して「あなたのことをこんなに気にかけているよ」というメッセージを常に発信し続けるのがルールである。だから、何か心配事が起きると、まず「大丈夫か」「何かできることはないか」「こうしたほうがいい」と声をかける。時にはほとんど強要する。

 例えば私が風邪で熱を出して寝込んだとする。伝え聞いた友人・知人たちは「○○入りのお粥を持っていく」「漢方の○○がよい」「知り合いの医者を呼んでやる」「ふとんをちゃんと掛けているか」など、さまざまなことを言ってくる。妻が出勤していると、「亭主が寝込んでいるのに仕事などしている場合か」などと叱責が入ったりする。日本人から見ると、いささか押しつけがましく、少し静かにしていてくれと思うことも正直、少なくない。

 しかし中国社会では「心配される側」のほうも周囲の人々が自分のことを強引なぐらいに気遣ってくれることを実は期待している。そういう関係に慣れていて、もし誰もかまってくれなかったら中国人は寂しくて生きていられないだろう。自分も人を大いに「かまう」し、人からも「かまって」もらいたく思う。そういう関係が暗黙の了解として成立している。その行為が相手にとって有用であるかないか、全体としての効率がよいかどうかといったことより、「あなたのことを思っている」という「熱」を見せる。好意を受ける側も、実際の効果や効率よりも、その「熱」を感じ、喜ぶ。中国人の社会はそういう社会である。

 今回の大震災に際して、日本の社会が壊滅的な状況にあっても冷静さを失わず、人々は秩序を守り、組織だった対応に終始していることに対して世界からの評価は極めて高い。それは中国でも同じだ。マスメディアはこぞって日本社会、特に市井の人々の冷静沈着さ、ルールを守る意識、自分の利益だけを追求しない行動様式に驚嘆し、称賛している。もし中国で同様の災害が起こったら、被害は日本の比ではないだろうという見方は中国でも強い。

 しかしその一方で、今回の震災で日本人が見せた行動に、中国の人々は何がしかの違和感というか、ある種の「物足りなさ」を感じてもいる。それは先に触れた「熱」というあたりにかかわる。例えば、最近、中国のネット掲示板上では、ある台湾の記者が書いたとされる文章があちこちに転載され、広がっている。その趣旨を要約すれば以下のようなものだ。

 「確かに日本人の対応は冷静で、秩序立っている。それは敬服すべきことかもしれない。しかし日本の被災地では、水や食料を届けようと都会から殺到したマイカーで道路が大渋滞するといった事態も起きていないし、自衛隊の救援活動を手伝おうと押しかけたボランティアが、トラックの荷台から援助物資を奪い合うように人々に分け与える姿もない。物資の運搬を担おうと都会のタクシー運転手が集団で職場を離脱して被災地に赴き、世論は拍手喝采する(四川の大地震では実際にその種のことが起きた)といったこともない。みんな秩序正しく行動し、被災者は辛抱強く救援を待っている。それは確かに「民度が高い」ということなのかもしれない。でも私は、それを民度が高いというなら、民度は低くてもいいから、(誰もが熱い思いで勝手に行動を起こす)中国式救援のほうが好きだ」
            (Wisdom News 2011/5/23)WIS.314[by NEC]引用)

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中国人と日本人1 2011:05:24:06:45:39

2011年5月24日

 インターネットから配信される (Wisdom News 2011/5/23)WIS.314[by NEC]からの記事に面白い記事を見つけました。田中 信彦(たなか のぶひこ)という方が書いた文章です。中国人を理解するためには(日本人を理解するためには)大変わかりやすい文章だと思いました。長い文章なので3パートに分けて掲載します。興味のある方は読んでください。
パート1
執筆者 : 田中 信彦(たなか のぶひこ)
中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、大手カジュアルウェアチェーン中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。著書に『人事・採用の基礎知識 中国編』(メディアファクトリー)、『中国で成功する人事 失敗する人事』(日本経済新聞社)、『日本人が知らない中国人の私的事情』(講談社)など。

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「中国的救援」と「日本的救援」?日本人の行動を中国人はどう見ているか
 
中国の友人からの義援金
 東日本大震災の発生当日は東京にいた。中国移動の携帯電話が鳴ったのは、帰宅途上だった日本時間の午後9時過ぎである。

 「いまどこだ?東京か?大丈夫か」。声の主は河南省の許昌という街でショッピングセンターを経営している友人だった。彼は私の無事を喜んだ後、「テレビを見ているが、大変なことだ。見ているだけで胸が苦しくなる。何かしなければならない。とりあえず義援金を送りたいから口座番号を教えてくれ」。こちらはまだ帰宅の路上で、被害の状況もよくわからない。義援金と言われてもどうしたものか見当もつかない。

 「お前の銀行口座でいい。そこに振り込むから、とにかく早く被災者の人たちに渡してくれ」と彼は言う。「明日まで待ってくれ。しかるべき組織や団体を調べるから」と話して、その場は電話を切った。

 再び電話が来たのは翌日朝9時過ぎである。「早く送金したいから、とにかく口座番号を教えてくれ」。とりあえず中国の銀行にある個人口座の番号を教えると、その日の午後に入金があった。金額を見て驚いた。100万元、日本円で1200万円以上である。 

 本当にありがたいことだが、これを被災地に届けるのは、実は意外と難題である。これだけの額になると日本円への両替は容易ではないので、どこか人民元で受け取ってくれる支援機関はないかとか、何かうまい送金の方法はとか、旧知の中国人会計士や銀行関係者などに聞いているうちに、彼からまた電話がかかってきた。

 「状況はますますひどいようだ。いても立ってもいられない。追加で300万元ほど送るからよろしく頼む」。合計で400万元、約5000万円である。その日のうちにお金は振り込まれてきた。

 電話すると、「困った時に助け合うのは人間として当たり前だ。四川省の地震の時にも日本の人たちに本当にお世話になった。とにかく早く何かしたい。お金の届け先も名義もお前に任せる。ただ中国にも被災地の人々に心から同情し、役に立ちたいと思っている人間がいることを伝えてほしい。それだけでいい」

 思わず胸が詰まった。日本人でも5000万円出す人がどれだけいるだろうか。彼は個人的にも商売上も、日本との関係はほとんどない。知り合いの日本人は私しかいなかったのかもしれない。中国内陸の地方都市の一事業家がこれだけのことをする。中国人と付き合っていて、思わずしびれてしまうのはこういう時である。

「これは」という人間を信用し、任せる
 このお金の送り主のことは、実は以前、この連載で書いたことがある。1年ほど前、連載の第20回「中国内陸市場の攻略法を考える」という文中で、河南省で偶然に出会って意気投合した「中国の流通業界で注目株の若手経営者」という人物を紹介した。その彼である。

 実はその時以来、彼とは会っていない。だから、「友人」と書いたが、会ったのは1回だけである。その後、日本のマネジメント関係の資料を送ったり、メールのやりとりをしたりという関係はあったが、要は会ったのは一度、3時間ほど話をしたというだけである。それも、訪ねたのは飛び込みである。誰の紹介があったわけでもない。考えてみてほしい。突然、飛び込みでやってきて1回会っただけの外国人の個人口座に、5000万円振り込む人がいるだろうか? こういう真似は私にはできない。

 ほどなく上海の日本総領事館が人民元建てで義援金を受け付ける口座を開設するとの情報が入ってきた。すぐに連絡して彼の気持ちを伝え、義援金を引き受けてもらった。総領事館の責任者も「個人でこれだけの金額は初めて」と驚いていた。

 もちろんこれは彼の個人的な行為であって、これで中国人全体がどうこうと言えるわけではない。ただ、この連載でも過去に触れたように、中国人社会には、歴史的に国家や会社といった「組織」に頼れないぶん、困った時には個人どうしが助け合うという気風が根強くある。彼が中国国内の援助機関などを通じずに義援金を届けたいと考えたのも、おそらくそうした発想が根底にある。

 そして、手前味噌で恐縮だが、自分が「これは」と見込んだ人間がいたら、細かいことは言わず、大胆に信用して、任せる。そういう腹の括り方をする。彼は中国人として、被災者に対して、「私はあなたたちのことを本当に心配しているんですよ」ということを、その場で行動で表さずにはいられなかったのだ。ここで動かずして何の人生か。それはお金よりも大事なことだったのである。まるで任侠の世界だが、それは確かに魅力的な中国人の生き方だと私は思う。

             (Wisdom News 2011/5/23)WIS.314[by NEC]引用)

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