青汁 2011:05:27:06:40:23
妻が野菜を作っています。季節に合わせたいろいろな野菜を作っています。収穫大好き人間で私もおこぼれをいただいています。現在は先日写真で載せましたように豆類の最盛期です。
軟弱野菜の「小松菜」が、大きくなりすぎました。もう少し大きくなってから食べようと時期を遅らせたらしいのですが、収穫時期を誤って、かたくて食べられる小松菜ではなくなりました。
それでも何とか使えないかと考え「青汁」にしました。少々の水とりんご・バナナを加えミキサーで混ぜました。酸味が有ってとても美味しかったです。母には蜂蜜を加えるととても美味しいと飲んでいました。
小松菜の青汁
小松菜もそうですが、愛情を持って育てると愛着が出て何とか使いたいという思いが出てきます。東北北関東では、風評被害で野菜を作っても売れないので、すべて廃棄処分にしているというニュースを見ました。その気持ちを思うと心が痛みます。現在では、風評被害を克服しようと、色々な試みが起こっています。(フラワーフェスティバルでも福島の野菜を売っていました・社員食堂等で使っている会社もあります)直接的なな支援もありますが、このような長いスパーンを持った支援の仕方も大事だと思います。
風評被害のメカニズムについて調べてみました。
風評被害とは
「ある事件・事故・環境汚染・災害が大々的に報道されることによって、本来「安全」とされる食品・商品・土地を人々が危険視し、消費や観光をやめることによって引き起こされる経済的被害」である。(関谷直也先生の定義)
政府の指示によって規制されたものではなく、それ以外の本当は安全なものまで、購入者が減ってしまうのが、「風評被害」でです。
「人は本当に『安全でない』」から買わないのではなく『安全でなさそう』だから買わないのだ」(三輪宏子師)
風評被害発生のメカニズム
関谷先生の社会心理学的研究によると、風評被害は、次のような段階をへて発生します。
1.「人々は安全かどうかの判断がつかないのだらか、危険そうなものは買わないだろう」と、卸売業差など市場関係者が考えるる(想像する)→取引量減少、価格低下。
2.これらの様子が大きく報道される。「やっぱり怖い」などといった街頭インタビューが流される。人々は、「風評被害」が起きていると感じる。
3.報道が広がるにつれて、人々の「危険視」は大きくなり、市場関係者の「想像上の風評被害」と実際の消費者の行動が近づき、「実際の風評被害」が発生する。
(インターネット「風評被害の社会心理学」引用)
中国人と日本人3 2011:05:26:06:16:28
インターネットから配信される (Wisdom News 2011/5/23)WIS.314[by NEC]からの記事に面白い記事を見つけました。田中 信彦(たなか のぶひこ)という中国人の方が書いた文章です。中国人を理解するためには(日本人を理解するためには)大変わかりやすい文章だと思いました。長い文章なので3パートに分けて掲載します。
執筆者 : 田中 信彦(たなか のぶひこ)
中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、大手カジュアルウェアチェーン中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。著書に『人事・採用の基礎知識 中国編』(メディアファクトリー)、『中国で成功する人事 失敗する人事』(日本経済新聞社)、『日本人が知らない中国人の私的事情』(講談社)など。
尊敬と違和感?東日本大震災での日本人の行動を中国人はどう見たのか?
深層中国ー巨大市場の底流を読む
「中国的救援」と「日本的救援」?日本人の行動を中国人はどう見ているか?
聞き分けのよい日本人
もちろん今回の大震災に直面して日本人も行動した。それは義援金の拠出だったり、ボランティアだったり、節電だったり、中には自分の務めを日常どおり果すことが最大の貢献だと考える人もいた。形はともあれ、そこにはまず自分のできること、自らの役割を考え、全体の効率を優先するという発想がある。確かに、都会に住む誰もが水や食料を持って被災地に向かったら、現地は混乱して全体の効率は落ちてしまうだろう。体力や適切な装備、専門技能のない人がボランティアに駆けつけても足手まといになるだけだろう。阪神大震災が教訓となり、日本人の多くは混乱を避けるため状況をわきまえて自主規制する。救援を受ける方も「非常時だから仕方がない」と辛抱強く耐える。
一方、中国人はいったん事が発生すると、いてもたってもいられず、「私はあなたたちのことが心配なのだ」という意志を伝えるために声を上げ、動く。そこにあるのはひたすら「熱い」思いである。「全体の効率」とか「相手の都合」といったことはとりあえず問わない。四川の大地震の時は、そうした人々の「熱」で国全体が一種の興奮状態になった。先に触れた、義援金を送ろうとした河南省の友人にしても、私を上海に呼び戻せと妻を叱りつけた友人たちにしても、原点にある発想は同じである。
「日本式救援」と「中国式救援」のどちらが優れているとか、どうするべきだとか、そういうことを言うつもりはない。被災者や被災地を救いたい、何かをしたいという気持ちは日本人でも中国人でも変わらない。どちらがより尊いということもない。日本人は、「中国式」の自分勝手な救援は全体の成果の障害になると考える人が多いだろう。一方、中国人は、悲惨な境遇でいる人を前に、誰もが冷静さを失わず、常に全体のことを考える「日本式」に対して、「冷酷」「人間味がない」「本当に相手のことを思っているのか」といった、ある種の違和感を持つことになる。
「中国人的ぶしつけさ」の効用
確かに「中国式救援」のように、誰もが自分の熱い思いで行動すれば、相応の混乱は避けられない。しかし、人の強い「思い」が集まることで、そこにとてつもない力が出ることもある。実際、先の四川省の大地震では、全国から公式発表で日本円6000億円以上、一説には1兆円を超える義援金が集まった。私の周囲にも自分の仕事や学業をなげうって復興支援にかけつけた人がいる。政府もいざという時の民衆の「力」を意識せざるを得なくなった。「何かをしたい(するべきだ)」という衝動に駆られて、前後の見境なく突進するという「中国人的ぶしつけさ」には現状を変え得る力がある。
今回の大震災をきっかけに中国では、日本社会の冷静さや忍耐強さ、自制心の強さに大いに感心し、学ぶべきだという声が強い。それはもちろん有意義だし、必要なことだろうが、日本人のほうも、もう少し個人の力を信じて、「熱い」思いで発言し、突出することを恐れずに行動したほうがよいというのが私の率直な感想だ。誰もが確実に自らの務めを果たすことは大切だが、それだけではこの非常時にいささか迫力不足なのではないか。
大震災から早くも2カ月以上が経過し、原発事故はまだまだ予断を許さない状況ではあるものの、中国国内では一時期のパニック的な心理状態はおさまり、上海の日本料理店にも中国人客の姿が戻ってきた。日本への団体旅行も一部で再開されたと聞く。震災という悲しい出来事ではあったが、今回の事件が中国社会にとって、日本という国や社会、そこに生きる人々への理解を深めるうえで大きな作用を及ぼしたことは間違いない。中国の普通の人々がこれだけの長期間日本の政治家や企業、マスメディア、普通の人々の一挙手一投足を実況中継で見つめ続けた事態は、おそらく初めてのことだろう。
今回の震災を経て、中国の人々の間に確かに存在した「日本の安全神話」には傷がついたかもしれない。しかし、もともと「神話」なのだから幻想は早く消えた方がお互いのためだろう。そのぶん逆に日本人という一群の人々に対する中国人の親近感と信頼感は高まっている。「日本は天国のような(悪魔のような)国かと思っていたけど、お互い人間どうし、生きていくのは大変だよね。まあ頑張ろうや」という感じが出てきている。その根底にあるのは、生活水準の向上にともなうある種の自信である。さまざまな分野で日本の中国に対する圧倒的優位が崩れていく中、こうした変化は私は悪いことではないと思う。今回の震災が「国家対国家」ではなく、お互いの個人と個人が理解を深める契機になったとすれば、それはひとつの救いと思わずにはいられない。
(2011年5月23日公開)
(Wisdom News 2011/5/23)WIS.314[by NEC]引用)