浅草演芸ホール 2012:04:06:07:28:29

2012年4月 6日

 4月3日、もう一泊したので前々から行きたいと思っていた寄席に行くことにしました。新橋から一番近い寄席は浅草でした。「浅草演芸ホール」の夜の部に行きました。(16時40ー21時 入場料2,500円)
 初めて生の落語を聞きました。300年の歴史のある落語に感動しました。日本語の美しさ、奥深さを感じ、訓練をすれば早口でもゆっくりでもしっかりと人に伝わる日本語をしゃべれることに感動しました。飛行機のお蔭で一泊余分になりましたが落語を聞きに行ったことで大変有意義な一泊となりました。有名な落語家としては、テレビの笑点に出演している「春風亭 昇太」が出ていました。マジックやコントはあまり良くありませんでした。

浅草演芸ホール
 東京都台東区浅草の通称「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する寄席。都内に4軒ある落語定席の一つで、落語を中心に、漫才、手品などの色物芸が多数執り行われている。東洋興業株式会社の経営。

    浅草.jpg

・昭和39(1964)年、「浅草フランス座」を増築して作られた4階と5階に、「浅草演芸ホール」が生まれました。当時の浅草には寄席がなく、落語定席が待望されていたなかでの開業でした。
 東京オリンピックが開催されたこの年は、テレビ時代の幕開けともいえる年で、その後、娯楽の中心が劇場からテレビへと移っていきます。

 しかし、いまでは伝説の名人ともいわれる、桂文楽、古今亭志ん生、三遊亭円生が現役で高座に出て、古今亭志ん朝、立川談志、三遊亭円楽がまだ若手だった当時、浅草演芸ホールにはしだいにお客様がいらっしゃるようになりました。
「爆笑王」と呼ばれた林家三平も、忙しいテレビ出演の合間を縫うようにして高座に出てくれるなど、多くの落語家からも愛される寄席だったのです。

・昭和46(1971)年、軽演劇専門の劇場であった「東洋劇場」の閉館にともない、浅草演芸ホールは1階に移ります。

・昭和53(1978)年からは、八代目雷門助六が継承していた伝統芸の「住吉踊り」を古今亭志ん朝が興行として復活させました。この「住吉踊り」は浅草演芸ホールの夏の風物詩として今でもたくさんのお客様に親しまれています。

・昭和60(1985)年には、テレビ東京が「生放送お笑い名人会」として、月曜日の夜8時に浅草演芸ホールからの生中継を放送していました。司会は、フリーになったばかりのみのもんたでした。



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