視察 函館市 2012:02:06:07:18:09
2月1日(水) 函館市
函館市では「函館観光基本計画」に基づき、市民、企業、行政及び観光客との協働による、「自由・自主・自立・自律・自発の観光文化都市づくり」の基本方針のもと、平成27年開業予定の北海道新幹線や、観光を取り巻く環境の大きな変化を見据えつつ、各種事業を展開されていました。
平成16年から平成25年までの10か年を計画期間としてまた、平成25年の観光入込客数を650万人とする目標を立てて次のような基本理念を立てられました。
【観光文化のあるまち・函館】(住むこと、訪れたことが「自慢」できるまつづくり)
1 自由の「観光文化都市」づくり
全ての人に自由な活動の機会を提供できるまちづくり
・観光客も、市民も…全ての人に観光都市・函館を楽しんでいただけるよう、受入環境などを整備します。
2 自主の「観光文化都市」づくり
自らがまちの魅力を発見・発掘し、語れるまちづくり
・市民との協働による観光資源の発見・再構築・創出などを通じ、地域が一体となって函館観光の魅力を高めます。
3 自立の「観光文化都市」づくり
常に観光振興を意識し、経済的な自立を目指すまちづくり
・観光振興による一層の経済波及を目指すため、さらなる観光客誘致に努めるほか、観光資源・サービスの付加価値を高めます。
4 自律の「観光文化都市」づくり
まちの「負」に気づき、「正」へと転換・発展していくまちづくり
・函館観光の問題点を正面から見据え、全市民が協働してその解決に向けた取り組みを展開していきます。
5 自発の「観光文化都市」づくり
ずっと住んでいたい・また行きたいと思えるまちづくり
・市民に「愛される」まち、観光客にとっては「あこがれ」のまち…身近な空間の美化などを通じて、そんなまちを創出していきます。
函館山(ホテルの部屋から)
箱館奉行所は、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所です。
当初は箱館山の麓に置かれましたが、内陸の地に移転が計画され、その外堀となる五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。
1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、旧幕府脱走軍降伏2年後の1871年(明治4年)に解体されました。 地上に存在した期間はわずか7年。
2010年(平成22年)、可能な限り建築当時の材料・工法を使用し、庁舎の1/3の規模を復元。幕末から明治維新にかけてのピンと張りつめた時代の空気が感じられる貴重な歴史遺産の空間です。
五稜郭タワーは、五稜郭築城100年を記念して1964年12月(昭和39年)に旧タワー(高さ60m)が建造されました。旧タワーは市民や観光客の皆様の目を通して、41年間に渡り親しまれてきましたが、新タワー完成によりその使命を新タワーに託し、2006年6月に解体されました。
2006年4月1日にオープンした新タワーは、高さ107m(避雷針?)。
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