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2012年1月17日

 20歳を成人とした日本の歴史が面白く書いてある記事を見つけました。読んで面白かったので掲載します。

日本ではなぜ20歳を成人としているのでしょう?

 明治29年に制定された民法に「満20年をもって成年とす」と定められているからです。なぜ民法が20歳を成年としたかというと、民法を制定する際に参考にしたフランスの民法の規定にならったという説があります。また、中国の「礼記」に「男子は20歳にして弱という冠をかぶり成人を宣言する」とあり、これを採用したという説もあります。

 選挙権、財産の処分、飲酒・喫煙などほとんどの権利と責任は20歳で与えられます。しかし、被選挙権については衆議院と市町村長は25歳、参議院と都道府県知事は30歳です。この他にも、成人としてのすべての権利が整うのは30歳です。世間的には「一人前は30から」という認識も一部に根強く、法的にもこれをサポートしている形になっています。

成人式のお話。。。古にいう元服の儀式です。

 現代では新成人のお祝いとして、ある種のイベント化していますが、古来の元服には、「性・婚姻」といった面でも「一人前」とされる儀式だったようです。

 古来、男子は15歳になると元服します。氏神の社前で大人の服に改め、髪型を改めて大人の髪(冠下の髻(かんむりしたのもとどり))を結い、烏帽子親により冠をつけます。
「冠婚葬祭」の「冠」とは、この成人式の事を差します。

 平安のころ主に貴族や武家の儀式であった「元服」これが室町時代以降、民間にも普及します。民間には、褌親(へこおや)の元で初めてふんどしを付け、性に関する知識を授かる褌祝(ふんどしいわい)と呼ばれる儀式があったのだそうです。

 男児が成人男性に達したことを祝う、古来の私的祭事で、庶民階級の元服に相当した。褌は下着として陰部を覆うことから、生殖能力を備えたことを祝う象徴として用いられた。女児の初潮を迎える時期に行われる腰巻き祝や結髪、厚化粧と同様の、祭事として扱われる通過儀礼である。この儀式で、近親縁者を招き、宴席を設けるところもあった。

 褌は母方の伯母、叔母か、いない場合、父方の伯母、叔母から贈られることを基本としている。父方の伯母、叔母もいない場合は、母親か姉妹と、血族の女性から贈るものとされ、「オバクレフンドシ」と呼ばれていた。

 成年に達した男児は、布1反と米か、或いは、餅か酒を女性宅に持参し、その1反の布を女性が褌(六尺褌)に仕立てて、男児を裸にし、褌の締め方や使い方を教え伝えて、祝の杯を交わす儀式であると言われる。一部の地方では、この褌祝の祭事は、子に性技の作法を伝える、性教育の儀式でもあったと言われる。

 母系家族の代表である母親が、男児が成長し、生殖能力を備えたことを祝い、その幸福と成功を祝う儀式として、母方の家系の姉妹が男児の最初の性行為、初交、童貞喪失の相手として選ばれた。それ以前では、母親が直接の相方となっていたようだが、近親相姦のタブーが広まったことから、母方の姉妹、血族以外の女性と変遷したようだ。

 また女性にも、平安時代から安土桃山時代にかけて「裳着(もぎ)」と呼ばれる元服に相当する儀式がありました。これは成人した女子に初めて裳を着せるもので、概ね12?16歳だったそうです。この儀式は、「一人前の女性である=結婚させることが出来る」という親の意思表示という意味合いが強かったようです。故に年齢も、戦国時代においては政略結婚に備えて8?10歳に繰り上がったのだそうです。

 今も昔も、元服・成人式が、一人前の大人になったことを周囲に示し、祝福して貰う儀式である、ということに変わりはありません。しかし、古来の元服には、「性・婚姻」といった要素も含めて「一人前」と見なされていたことが分かります。
               (インターネット記事「未来への歩み」引用)



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