20歳(成人式) 2012:01:16:07:04:06
昨日(1月15日)は、従来の成人式の日でした。今年は1月9日(月)でした。3連休だったので8日・9日と全国で行われました。
成人になった人が今までの成人と少し変わってきたようです。特に、東日本被災地の成人の言葉には今までの成人の様なふらついた言葉は有りませんでした。「亡き友の分まで古里の復興のため力を尽くす」「保育士になって地元へ帰りたい」「命の大事さが解ったので地元で消防士になる」
全国の主要都市がほとんど廃虚となった昭和20年の敗戦。日本国民は食べるものもこと欠く悲惨の中で懸命に働きました。アメリカを中心とする国際市場経済の中での復興を図り、戦後日本は高度成長を遂げました。1960年代後半、日本のGNP(国民総生産)は西欧諸国を次々と抜き去り、廃虚の中で二度と望み得ないと思っていた、欧米並みの生活水準に近づきました。驚くべき日本国民の再生バネだと思います。
自らはエネルギー資源も強兵も持たない戦後日本が経済的に成功し得たのは、国際的な自由貿易体制があったればこそと思います。それだけに73年の石油危機は、ふくらみかけた戦後日本の夢を打ち砕く衝撃でした。
この挫折の中で、日本はまたも官民共同で再生バネを利かせて躍進しました。街のネオンがすべて消えるほどに、日本国民はエネルギー節減に協力しました。この国難にあって真のヒーローは民間企業でした。技術革新を加速しました。品質、デザインともに優れた家電製品や燃費効率のよいエンジンを持つ小型自動車で世界をリードしました。80年代の日本は米欧を凌駕(りょうが)する世界一のものづくり国家に浮上しました。
豊かになるすべを手にした日本でしたが、手にした富を何に用いるかについての知恵は足りませんでした。さらなる富をむさぼるバブル経済にふけり、90年代に入ってバブルがはじけるとともに「失われた10年」の不況に、さらに「失われた20年」の低迷に落ち込みました。その挙げ句の果てに、昨年、東日本大震災という未曽有の大災害に襲われました。少子高齢化の下での衰退宿命論もあり、日本は死命を制せられたと見る者も少なくありません。
その20年前に生まれた人達が20歳です。今年の成人式は全国、いつもの年のように荒れた成人式は一部有ったものの少し違っていたような気がします。「家族のために生きる」「友と共に生きる」「地域の未来を創る」「地域の保育士となって生きる」等、被災地の成人だけでなく全国的に、前向きな声が非常に多く語られました。
今年成人になった人たちが日本を変えるリダーになるのではないかと感じました。今まで、恥ずかしがったり、ものを斜めから見た発言でした。今年の成人は真正面から胸を張って堂々と言っていました。全て「0」にならなければ人間(日本人)の再生DNAがOFFからONに切り替わらないのかと思いました。
大震災の悲惨のさなかに示された日本人と日本社会の立派さ、世界に感銘を与えた被災者の振る舞い、「津波が来ます。高台に逃げてください」と呼びかけ続けて殉職した24歳の女性職員・遠藤さん、約20人の中国人研修生を高台に導き、自らはさらに人々を救おうと山を下りて犠牲になった佐藤さん。日本社会の本来の力を示す時が来たような気がします。特の今年の成人式の成人の言葉を聞いて感じました。
コメントをどうぞ