誕生日 2011:09:03:08:29:00
今日(9月3日)は、65歳の誕生日です。1946年(昭和21年)9月3日火曜日3時15分PMに誕生しました。
同じ日の誕生日に「ドラえもん」がいます。ドラえもんは、2112年9月3日に生まれたという設定だそうです。同い年には「サザエさん」がいます。1946年4月22日福岡生まれだそうです。
ドラえもんの歌は中学2年生が作詞をしたそうです。先に「ドラえもんの絵描き歌」を作詞しその後「ドラえもんの歌」を作詞したそうです。
中学生が歌詞を書いた 「ドラえもんのうた」
今日、9月3日はドラえもんの誕生日です。2112年からやってきた猫型ロボット。「こんなこといいな/できたらいいな」と始まるテレビアニメの主題歌「ドラえもんのうた」は、1979年のアニメ放送開始から26年間歌われました。
「昔のことなので覚えていないんですよ」。作詞した楠部工さん(47)は開口一番、そう言いました。「ドラえもんのうた」と「ドラえもん・えかきうた」を工さんが作詞したのは中学2年生の時でした。きっかけは父の故・大吉郎さんに「(詩を)書いてみるか?」と言われたことです。
大吉郎さんはテレビアニメ草創期に活躍したアニメーターで、「ドラえもん」を製作する「シンエイ動画」の経営者でした。主題歌の歌詞を公募した折、ついでに息子に声をかけたらしいのです。工さんはもちろん原作漫画を読んでいました。「なんで僕に声をかけたのか、わからない。ただ、オヤジはよく家に仕事関係の漫画をたくさん持ってきていてね。仕事の参考にしたのかな? 3人の子どもたちに漫画を読ませて感想を聞いていました」
最初に作詞したのは「ドラえもん・えかきうた」の方でした。風呂に入ったとき、湯気で曇ったガラス窓に絵を描きながら作りました。当時の状況はうろ覚えだが、職人肌で怖かった父が「いいな」と褒めてくれた記憶があるといいます。「たぶん、それでうれしくなって『ドラえもんのうた』も作ったんだろうけど。いつ、どこで書いたのか、何にも覚えてません」
素直な気持ちを書いたことだけは覚えているそうです。工さんは体格は良かったけれど、気立てが優しい「ジャイアンとのび太を合体させたような子ども」。友人からよくからかわれたそうです。「だからかな? のび太が困っていると、助けてくれるドラえもんがうらやましくて。『いいな』『僕もドラえもんがいたらな』と思ったことをそのまま書いた。上手に書こうとか面白く書こうとか、全くなかった」。放送で流れた歌詞は「ほとんど直されていなかったと思う」。
高校時代は漫画を描くのに夢中で出版社から声がかかったこともあったそうです。美大に進学し、東京芸大の大学院ではシルクスクリーンを学びました。シンエイ動画に入社しドラえもんの脚本を書きました。今は出版関係のライターをしています。
(続きは9月3日付け朝刊の別刷り「be」をお読みください。)
(インターネット「歌の旅人」引用)
ドラえもん えかきうた
丸書いて ちょん 丸書いて ちょん
お豆に芽が出て 植木鉢 植木鉢
6月6日にUFOが
あっちいって こっちいって おっこちて
お池が二つ出来ました
お池にお船を浮かべたら
お空に三日月昇ってた
ヒゲをつけたら
ドラえもん
ドラえドラえもんの歌
作詞 楠部工 作曲はばすすむ
こんなこといいな できたらいいな
あんなゆめ こんなゆめ いっぱいあるけど
みんなみんなみんな かなえてくれる
ふしぎなポッケで かなえてくれる
そらをじゆうに とびたいな
「ハイ!タケコプター」
アンアンアン とってもだいすき ドラえもん
しゅくだいとうばん しけんにおつかい
あんなこと こんなこと たいへんだけど
みんなみんなみんな たすけてくれる
べんりなどうぐで たすけてくれる
おもちゃの へいたいだ
「ソレ!とつげき」
アンアンアン とってもだいすき ドラえもん
あんなとこいいな いけたらいいな
このくに あのしま たくさんあるけど
みんなみんなみんな いかせてくれる
みらいのきかいで かなえてくれる
せかいりょこうに いきたいな
「ウフフフ!どこでもドアー」
アンアンアン とってもだいすき ドラえもん
アンアンアン とってもだいすき ドラえもんもん
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