お盆 2011:08:13:07:29:08

2011年8月13日

 今日から盆に入ります。役所は盆休みは有りませんが、夏休みを各自、時期を変えてとっているようです。盆の由来については古くからありますが仏教的な要素が強いようです。

お盆の概要

正式名称は「盂蘭盆会(読み:うらぼんえ)」。

 先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、子孫が、報恩や追善の供養をする期間を「お盆」と呼ぶ。特に、人が亡くなって49日法要が終わってから最初に迎えるお盆を初盆(はつぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、家の門口や、お墓に白一色の提灯を立て、初盆以外のお墓には白と赤の色が入った提灯を立てるなど、特に厚く供養する風習がある。現在は、関西では8月の13日から16日までの4日間を指すことが多い(関東の一部などでは7月13日から16日までの4日間を指す場合もある)。

1、13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎える。
2、期間中には僧侶を招きお経や飲食の供養をする。
3、16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまに帰ってもらう。

お盆の行事は釈迦の弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来している。
 目連尊者はある時、神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知った。 そこで、どうしたら母親を救えるのか釈迦に相談したところ、「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と言われたと伝えられている。そこで、目連尊者が釈迦の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたという。それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となった。

 盂蘭盆会という言葉は梵語(サンスクリット語)で、インドから中央アジアで呼ばれていたとれている。日本では推古天皇の606年に始まり、日本書記から平安・鎌倉時代には定着していたことが分かる。江戸時代に入ると民間の行事として盛んになり、「盆礼」といって親族や知人の家を訪ねて進物の贈答をすることが行われ、関西では「素麺」関東では「麦粉や米」などを持参したそうだ。その盆礼を中元ともいい、今日の「お中元」に繋がっている。

 広島地方では盆にはお墓に「盆灯篭」を立てる風習が有ります。(安芸門徒)

      灯篭.jpg

概要
 浄土真宗本願寺派の安芸門徒の信徒が広めた風習とされる。城下町広島では江戸時代以来庶民に定着してきたため、広島市周辺では他の宗派でも盆燈籠を認めている寺院もあるが、日蓮宗などのようにほとんど認めていない寺院もある。

 機能としては卒塔婆に相当するもので、盆の時期に墓参りを行う者がその墓の周囲に立てる。親族がそれぞれ持ち寄るため、1基の墓の周囲に何本も立てられることも多いので、燈籠の1面に「上 ○○」のように寄進者の名を記すことも一般的である(「上」は「献上する」の意)。盆の時期が過ぎると寺院側で撤去され、焼却される。

由来
 由来は明確ではありませんが、「江戸時代、広島城下・紙屋町の紙屋の夫婦が、娘が亡くなったのを悲しんで墓に手作りの燈籠(または花)を供えた。」とする古い言い伝えが残っているようです。

 なお、浄土真宗本願寺派安芸教区教務所発行の「仏事あれこれ小百科」では、「江戸時代の広島城下、娘を亡くした父親の話に由来するようです。亡くなった娘のために石灯籠を立ててやりたいと思っても、そのお金がなく、それで竹をそいで紙を貼り、それを灯籠として供えたことにはじまり、今では安芸地方の夏の風物詩となっています。」とされている。

           (フリー百科事典 ウキペディア引用)



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