博多祇園山笠 2011:07:15:07:23:01
昨夜、早く寝たので(10時過ぎ)今朝早く(4時30分頃)目が覚めなんとなくテレビをつけてみるとBS3で、博多祇園山笠の生中継をやっていました。5時59分が最初の山笠の出発でした。その迫力に見入ってしまいました。親子孫3代の男達が誇らしそうに画面に映っていました。福岡では「博多どんたく」と共に大きなお祭りだそうです。一度は観に行きたいと思いました。
テレビ画面を写真に撮りました。
山笠と舁き手(かきて)
博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)
福岡県福岡市の博多区で毎年7月1日から7月15日にかけて開催される700年以上の伝統のある祭である。櫛田神社にまつられる素戔嗚尊に対して奉納される祇園祭のひとつ。正式には櫛田神社祇園例大祭。博多どんたくとともに、博多を代表する祭りである。
博多祇園山笠
福岡市博多区のおもに博多部(那珂川と御笠川(石堂川)間の区域)で7月に行われる。元来は、祇園際のひとつであったが、氏子の町内が始めた付け祭りが発展する過程で山笠と呼ばれる山車が登場する様になったため神社の祭りも含めて「博多祇園山笠」と呼ばれるようになった。参加者や福岡市民などからは「山笠」「ヤマ」とも略称される。国の重要無形民俗文化財に指定されている。山笠の掛け声「おっしょい」は1996年(平成8年)に日本の音風景100選に選ばれた。
なお地域外の者からは福岡市が主催している祭りと誤解されがちだが山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事のひとつであり、地域の住人たちが伝統的に行ってきた町内行事である。
山笠を担いで市内を回ることを山笠を「舁く」(かく)と言い、担ぐ人のことを「舁き手」(かきて)と言う。
山笠期間中は行事参加者の間ではキュウリを食べることが御法度となる。一番根強い説としては「キュウリの切り口が櫛田神社の祇園宮の神紋と似ているから」というものがある。櫛田神社や京都・八坂神社など水天神系の神紋の図柄は木瓜(ボケ)の花である。また、「夏が旬のキュウリを断ってまで祭りに懸ける」という意気込みとの説もある。また、期間中の性交も御法度になる。
博多祇園山笠は女人禁制の祭りであり、旧来の流に於いては子供山笠も含めて舁き手は男性のみである。また女性は舁き手の詰め所に入れないしきたりとなっている。かつては舁き手の詰め所の入口に「不浄の者立入るべからず」と書かれた立て札が立てられる風習になっていた。この「不浄の者」は喪中の人と女性のことを指しているが、女性差別につながるとして2003年(平成15年)に立て札の設置は中止された。
舁き手
舁き山舁き手の集団は流ごとに伝統的な縦社会で形成されている。小学生以下は基本的に先走りを務める。中学生から後押し、高校生位でようやく山を舁く様になる。成人して一人前と認められるとステータスシンボルといえる赤手拭(てのごい)が交付される。舁き山に上がる者は「台上がり」と呼ばれ、舁き山の全体指揮を取る。台上がりは通常前側に3名、後ろ側に3名の計6名で前側中央に座る舁き手は流の実質的なリーダーである。
山笠に参加する舁き手たちのスタイルは水法被に締め込みという姿で貫かれ、足元は地下足袋と脚絆である。江戸時代までは締め込み一丁であった。1898年(明治31年)に裸体同然のスタイルが問題だとして県議会で山笠を廃止する案が出されたとき、博多の反対派は玄洋社の進藤喜平太から紹介された古島一雄の助力で水法被を着用することで山笠廃止を撤回させそれ以来現在まで水法被に締め込みのスタイルが続いている。締め込みの材質は大人は薄めの帆布(79A、11?9号程度)やモスリン、子供はフランネルや重ねた洋服地(シーチング等)、色は千代・東・西・大黒流では白、生成以外は禁止だが中洲・恵比須・土居流では黒・紺が多く子供用は白が多いが黒や赤が使われる場合がある。締め込み以外の褌(六尺、越中、等)の着用は認められてない。さらしの腹巻きをする場合があるが、必ず締め込みとは別々になる。水法被は白地に流(千代、東、中洲)や町(大黒、恵比須、土居、西)の名を意匠化したデザインであり、町内によっては当番法被に似た久留米絣の水法被もある。
山笠を舁いていない平時には当番法被(長法被、久留米絣)を着用する(この時は締め込みではなく半タコ、又は股引になる。但し、締め込み+水法被の上に羽織る場合もある)。この当番法被姿は6月1日から山笠終了まで背広と同等の正装とされ、結婚式など公式の場でもドレスコードとして着用が許されている。
この他、舁き手は階級を表す手拭(てのごい)、役割を表す襷(ねじねじ)を装着、舁き縄を携帯(使わない時は締め込みに挟んでおく)、台上がりは指揮棒(てっぽう)を持つ。鍵、財布、携帯電話、等は必要に応じて信玄袋に入れておく。言わば当番法被=タキシード、水法被=ユニフォーム、てのごい=階級章、ねじねじ=腕章、てっぽう=指揮棒に該当する。これらの衣服、物品は流、又は町内毎に決められており流、又は町内のロゴが入った当番法被、水法被、てのごいは厳重に管理されており一般に市販されることは有り得ずインターネットオークション等で外部の者に譲渡することは認められていない。
一般の人には「博多」のロゴ、又は木瓜紋が入った当番法被、水法被、ねじねじ、てっぽう(ロゴ以外は上記と全く同じ)が土産物として販売されている他、締め込み、舁き縄、等は舁き手と同じものが一般にも発売されている。但し、成人はこれらを着用しての祭りへの参加は出来ない。
掛け声
山笠の掛け声「おっしょい」は1996年(平成8年)に日本の音風景100選[1]に、青森の「ねぶた祭り」の掛け声とともに選ばれた。
この掛け声はゆっくり走行するとき、かき手が集団で移動するときは「おっしょい」と発声しているが早く走行するときには「おいさ、おいさ」と発声する。お汐井取りのときに「おしおい、おしおい」と言いながら取りにいった掛け声が訛って「おっしょい」となったという説がある。
7月15日:追い山、鎮めの能
博多祇園山笠のクライマックスにあたる行事(タイムトライアル)。午前4時59分に一番山笠が山留めをスタート、博多の総鎮守櫛田神社境内の清道を回って奉納する。その後、二番山笠から八番山笠「走る飾り山」までが5分おきに出発し多数の男たちが交代を繰り返しながら博多の町を舁き回り、須崎町の廻り止めまで約5kmのコースを駆ける(八番山笠は別コース)。
山笠が清道を回り終えると、櫛田神社境内にて喜多流の能楽師により紋付き袴の姿で「鎮めの能」が舞われる。
スタート時刻が午前4時59分と言う中途半端な時刻なのは一番山笠のみ櫛田神社境内で祝い歌「博多祝いめでた」を歌う1分間が与えられており、5分おきと言う山笠の出発間隔を調整するためである。
各流では追い山が終わると直ちに飾り山・舁き山などを解体し、その年の行事を終える。しかしその時点で、すぐに次の年の行事に向けての動きを始める。
(フリー百科辞典 ウィキペディア 引用)
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