ホーチミン市 2011:07:14:08:18:10

2011年7月14日

 ホーチミン市はフランス領で「サイゴン」と呼ばれていました。しかし、ベトナム戦争の終結である、南ベトナム陥落後の1975年5月1日、現在の共産主義政府がその指導者の別名であるホー・チ・ミンに因んで当市を改名しました。公式な名前は、現在ではThành pho Ho Chí Minhであり、TPHCMと省略されることも多い。なお "thành pho" (略 TP)は漢語「城舗」で、「市、都市」を意味する。英語ではHo Chi Minh Cityと訳されている。今でもSài GònまたはSaigonという旧名はベトナム人によって広く使われていて、企業名や本の題名、ベトナムの有名なビール商品名である『Bia Saigon』もあり、ベトナム統一鉄道のターミナル駅は『サイゴン駅』のままであり、航空機の到着ボード(タンソンニャット国際空港のコードは SGN である)にも見られる。

 人口は700万人を超え7,162,864 人(2009年)となっています。
教育制度

初等教育
 5年制の義務教育(小学校)です。修了試験があります。
中等教育
 前期4年制(中学校) 後期3年制(高校)で、いずれも修了試験があります。
高等教育
 短大 3年 大学 学士課程  4年  但し工学部は5年、医学部は6年
 大学院   修士課程 3年   
 博士課程  3年  修士未取得者は4年
 となっていますが、都会と田舎の格差は大きく田舎の子供たちは初等教育しか受けられず、外国語が話せないので、外資系の企業に勤められないので仕事に就けず収入が少なく貧困で格差が広がる一方だそうです。ベトナムでは中学校を出ると外国語(選択制)が一か国しゃべれるようになるそうです。高校を出ると2か国、大学を出ると4か国の言葉をしゃべれるようになるそうです。入るのは誰でも入れますが、卒業試験が厳しく7割程度しか卒業出来ないそうです。ちょうど卒業試験の時期に行ったので大学の周りは保護者や支援者で溢れ返っていました。(皆さんが応援に駆け付けるのが定番となっているようです)日本では大学を出ても外国語をしゃべれない人がほとんどです。(私を含めて)考えさせられます。

 通りはバイクで溢れ返っていました。国民の半分はバイクを持っており(約300万台)ほとんど歩かないでバイクで移動をするそうです。また、二人乗りは当たり前で3人乗り4人乗りをよく見かけました。一番多いのは6人乗りを見かけました。そのバイクは日本製のものがほとんどでした。車も30万台を超え交通渋滞があちこちで起こっていました。車も日本製がほとんどでした。

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 総じて日本に対しては友好的でガイドのクワンさんに「日本のOECDでベトナムの繁栄は成り立っている」と感謝されました。ホーチミンの日本総領事館を訪問し、総領事と話をする機会を得ました。その話の中で「日本の企業の中国からベトナムへのシフトが始まっています。広島からもぜひ直行便を飛ばしていただき、製造業を中心として進出して欲しい」と話しておられました。是非これからの活動の中でこの事を提案をしていきたいと思いました。

追伸

 やったぞ、なでしこジャパン

 なでしこジャパンがやりました。先日、ドイツに勝ち、今朝ベスト4でスエーデンと戦い3ー1で勝ちました。決勝はアメリカです。東京オリンピック当時の日紡貝塚を中心とした、バレーボール日本代表を思い出しました。男子には出来ないことを女子がやってしまう。歴史を感じました。

頑張れ!!なでしこジャパン!!!



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