風評被害2 2011:05:31:07:01:31

2011年5月31日

 5月23日の「広島東洋カープの石井琢朗選手」のブログに風評被害についての記述がありました。

【家族揃ってカープファンという福島在住の方がいて

マツダスタジアムでの観戦を希望しているんだとか。

しかも、なんと広島まで車で来たいと言っているらしい。

さて、ここからが問題なんです。

福島と言えば、

今現在、原発問題で大変なことになっていますが

その方は、福島から来たというだけで

心ない人から、飲食やコンビニへの入店さえも断られるという

辛い思いをしているというのです。

そんなことから、県外に出るのが怖いと。

けど、カープのゲームは見たい。

楽しみにしてる子供にも

夏休みを使って実現させたいというのです。

ちなみに、この家族は昨年も来てるらしいんですが

今年も是非。

ただ『果たして、福島ナンバーの車を広島の人々が

受け入れてくれるのだろうか』

ということで悩んでいるらしいのです。

それよりも、

原発の問題で、福島の人たちが

こんな風評被害にさらされているということに

ビックリというか、残念でなりません。】

【石井琢朗選手ブログ一部引用】

 私の母は、祇園町で被爆し、教員だったので本川小学校へ、毎日、被爆した人の看護に出かけたそうです。体全部にやけどをした人の、傷口に赤チンキを何人もの人へ塗ったそうです。また、体にウジがわいてる人もたくさんいて、そのウジをピンセットで取っていたそうです。グランドでは亡くなった人を運び、山と積んで火葬をしていたそうです。そのような看護の仕事をしてるうちに、母は、目が充血してきてついには、全く見えなくなったそうです。その時母、はああこれで全盲の暮らしをしなければいけないのかと覚悟したそうです。その事で、看護の仕事から解放されて自宅療養をしました。医者もいなく、薬もない状況でした。目を洗っては寝ていたら、少しづつ見え始めたそうです。放射能を直接受けたせいの症状だと思います。

 その母は、今年90歳です。まだ生きています。私はその母の乳を飲んで育ちました。土壌汚染された田んぼの米・畑で採れた野菜を食べて育ちました。私の周りのは被爆した人、2世が沢山います。全てではありませんが、みんな少々ぐあいが悪いところはあるものの生きています。あまりにも、先日書きましたがマスコミの扱いはセンセーショナルすぎると思います。風評被害を先導しているようにも思えます。

 先日、インドから昔通訳をしてくれた人がご夫婦で広島に来ました。インドを出るときこんな時に日本に行くなんてどうかしていると言われたそうです。その彼に広島は被爆の次の年から「キョウチクトウ」は咲きました。被爆者も我々も生きています。という話をしたら広島に来てよかった、色々な思いが解消しましたと言って帰りました。

 風評被害に対して「広島・長崎」が声を上げる時が来ているのではないでしょうか。



 



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