国難 2011:04:15:07:00:58
3月11日の東北関東大震災で、地震・津波・原発事故と三重苦に合っている日本です。戦後最大の国難と言える状況ではないでしょうか。日本国民がこぞってこの国難に立ち向かっていかなければならないと思います。自粛ムードは有りますが、元気な西日本が元気を東日本に送らなければならないと思います。応援ムードを出さなくてはなりません。自粛ムードに流されて個人消費まで落ち込んでは日本の没落につながります。今こそ、西日本では心に痛みを持ちつつ平生通りの消費活動をすることが必要だと思います。「宴会を援会」に変えて頑張りましょう。
共同通信が「フランシス フクヤマ氏」からの手紙を掲載していました。非常に参考になる内容だったので転用しておきます。
被災者の苦しみに報いよ
著書「歴史の終わり」で知られる日系の米政治学者フランシス・フクヤマさんが、日本は東日本大震災の被害との取り組みを通じ、政治の再生を図れと訴える一文を寄せた。政治再生を実現することこそ、被災者の苦しみに報いる道だという。
新たな政治生まれ出よ 危機通じ国家目標意識を
巨大地震の直後の大津波、さらに福島第1原発での危機的事故。米市民すべてが、恐怖心だけでなく、同情の思いを持って、事態の展開を見守っている。信じられないような破壊の光景だ。被災者らの忍耐強さ、彼らを助ける人々の英雄的行動。信じられないようなニュースが伝えられている。
これから先、さらに遺体が回収されれば、もっと悲しい物語が出てくるだろう。市民のためにとてつもない献身的犠牲を払う人々の物語も生まれるだろう。特に原発でそうしたことが起きそうな気がする。
大変な状況なのにもかかわらず、日本人は気高い精神を持ち、実に冷静にこの悲劇に立ち向かっている。こんな風に悲劇を受け止めることのできる社会は他にないだろうと思う。
今回の大地震と津波は自然の猛威を思い起こさせただけでない。先進技術社会がいかに複雑なシステムに頼っているかも教えてくれた。携帯電話やインターネットだけでなく、電気や水など基本的なものが使えなくなると、人はいかに無力になるかも分かった。
日本人がすさまじいまでの苦しみ、心の痛手を負うのは初めてではない。1923年の関東大震災や第2次世界大戦での敗戦の時も、同様であった。しかし、ある意味で、日本人はつまずいたり、苦難に出会ったりした時にこそ、最高の資質を発揮してきた。国家再生のためにいかにして結束するかを理解し、「共通善」に向かって喜んで自己犠牲の精神で取り組んできた。
今回の国家的悲劇が新たな日本政治の契機となることを、私は期待する。近年の日本は、ライバル相手に目先の得点稼ぎばかりに専念する政治家たちの内輪争いに困らされてきた。政治家たちは真剣に力を合わせ、深刻な長期的な課題を解決しようとしてこなかった。そうした点では、米国の政治家と行動が似通っていた。米国の政治家も党派対立ばかりで、国家の長期的問題への取り組みをおろそかにしてきた。
日本は人口減と高齢化、それにともなう経済・財政課題の全てに直面する最初の先進国家である。日本に必要で欠けているのは、つまらない抗争などにかまけず、国家経済の長期的な健全化を図るために必要な自己犠牲へと国民を引っ張っていける政治指導だ。
いつも通りやっていればなんとかなるという慢心から人を目覚めさせるには、時として厳しい精神的苦痛が必要となる。それが人間の性だというのは残念ながら事実である。大津波被害への短期的な取り組みで人々の粘り強さが試される。そこを通じ、しっかりとした国家目標意識が生まれ、その意識が当面の危機を越えて続いていくことになるかもしれない。そうなれば、この大災害の被災者らの苦しみも、いくぶんかは報われることになろう。
(共同通信)インターネット記事転用
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