木遣り 2011:03:25:08:15:50

2011年3月25日

 昨日(3月24日)大塚下町内会のまちづくり協議会が有りその中で「木遣り同好会」が発表をされました。木遣りについて調べてみました。

木遣り(木遣り唄)

1、木遣り(きやり)とは
 字のごとく木を遣ることで、遣るとは他の場所に移すとか送るという意味。木き曳ひき(木こ挽びきではない)と同意語です。
 現在は木遣りと称して木遣り唄の意味となっているようです。そして木遣りは大きくて重い木や石などを大勢で運ぶときに全員の力を集結するために用いられ、作業で号令の役目を果たしたものと言われているようです。
 当然、木遣りは労働歌の意味合いが強かった訳ですが、寺社などの建築に関わるものだけに慶事(祝い唄)の意味を込めて唄われるようになったと思われます。

2、木遣りの起源
 京都に住んでいた禅僧栄西が、中国(宋)で見聞した寺院の建設作業を京都に持ち帰り、建仁寺新築で応用したものと「近代世時談」にあります。
 その後、戦国時代を経て多くの城や寺社が全国で建設する中で盛んになったものと思われます。そしてその多くは伊勢木遣り(伊勢音頭は伊勢木遣りから変化したもの)を伊勢参りの者達が全国に持ち帰ったと言われているようです。その結果、各地で伊勢音頭が唄われるようになりましたが、地域により、また伝えた人により独自に変化した木遣りとして伝えられるようになったと考えられます。しかし多くの変化しながら継承されたものも全て本物の伊勢音頭として認められているようです。
江戸に入り木遣り唄(江戸木遣り)は鳶職人に継承されていますが、土木関係にあった鳶職と火消し職人の本芸となったようです。

3、囃子詞(はやしことば)
 この囃子詞は地域により違いがあるようで、その幾つかを紹介します。
1) 伊勢
ソーリャ ヤートコセーエエ ヨーイヤナ アレワイセ コレワイセー ソリャヨーイトセ

2) 広島市(長束神社)
イヤー 秋の宮島 トコセ ハリセ まわれば七里、ありゃ浦は七浦 わんせ、七えびす ソリャ ヤットコセー ヨーイヤナ アレワイセ コレワイセェ サア ナンデモセ

3)山口県光市
祝いえーめでたの ヨイヨーイ 若松様よ アーヨイヨイ 枝が栄えて アーコリャコリャ お庭が暗い ソリャヨーイ ヨーイ ヨーイヤナ アレワイサ コレワイサー ヤーアトセ

4) 大竹市
光市のアレワイサ コレワイサーがアレワイナ コレワイナ

5)河原町
トコセ ハリセ ソーリャア ヤートコセーエエ ヨーイヤナ アレワイセ コレワイセエ サーア ナンデーエモセー(サーア ノンデーエモセー)

6)空鞘クラブ
河原町とほぼ同じだが最後がアレモイセ コレモイセ サーア ナンデモイセに変わる。

7) 観音
 河原町は観音で習ったようですが、誰に教えていただいたかは不明。
 毎年地蔵尊の夏季大祭で盆踊りの太鼓をたたいていただくグループも専門は木遣りで代表は観音町。定期的に練習をしているようで、そこの生徒に空鞘クラブの油井さんがおられます。ここの代表に聞くと一時己斐の木遣りを習ったことがあるいっていました。
アレワイセ コレワイセ サーア ナンデモ オイセ

4、囃子詞の意味
伊勢木遣り(伊勢音頭)のお囃子詞は伊勢神宮ご鎮座の起源を伝えたものといわれています。皇女倭姫命が天照大御神の安住の地を求め伊勢の地にお決めになった際の「悦びのお詞」がご鎮座の唄として囃子詞になったと伝えられているようです。

彌長久(ヤートコセ)  ますます行く末長く栄えて欲しい
世怡彌成(ヨーイヤナ)  世の中に歓喜が広く行きわたるっている
是者伊勢(コレワイセ)  そこは伊勢である
善所伊勢(ヨイトコイセ)  伊勢は良い所である

※ 結論としては、様々に変化しても地域に根付く文化として継承されるものは全て正しいものと考えられる。違う言い方をすればその土地の文化はその土地特有のものであり他の地域からの異論は挟めない。
※ 河原町は戦後に秋祭りを復活させた時に観音町の木遣りを習い、それを現在まで継承しているものですが、今後は河原町木遣りとして後世に残すべきと思います。しかし、どのような経緯を経て現在の形になったかは知っておく必要があると思える。
            (野村由和氏 神崎学区河原町町内会長のホームページ引用)



コメントをどうぞ