万歳!!アジア杯優勝 2011:01:30:07:53:28

2011年1月30日

 日本、激闘制し4度目の優勝=延長後半、李が決める―アジア杯サッカー
 【ドーハ時事】サッカーのアジア・カップ最終日は29日、当地で決勝が行われ、日本がオーストラリアを延長戦の末に1―0で破り、2大会ぶり単独最多となる4度目の優勝を遂げた。日本は延長後半4分、途中出場の李忠成(広島)が決勝ゴールを挙げた。
 日本は前半は相手の高さを生かした攻めと堅い守備に苦しみ、0―0で折り返した。後半は布陣を変えて攻勢に転じたが、双方譲らなかった。延長戦も激しく攻め合い、日本はその後半4分、長友佑都(チェゼーナ)の折り返しをゴール前から李が決めた。
 日本はザッケローニ監督就任後、初のタイトル獲得。豪州は初優勝を逃した。 
                    (インターネット スポーツナビ)引用

 万歳!!やりました。それもサンフレッチェ広島の李選手の決勝ゴールです。

 延長後半4分、長友の左クロスを美しい左足ボレーでゴールネットを揺らしました。
 「最高です。ずっと試合に出られなかった。待ち続けた結果、点を取れた。ヒーローになる、ヒーローになると言い聞かせていた。このピッチに立てて幸せ」と興奮冷めやらぬ表情で決勝弾の喜びを口にしました。

李忠成(サンフレッチェ広島)
 大韓民国国籍の在日韓国人4世として生まれ、2007年に日本国籍を取得して帰化した。通名は大山忠成、韓国語名はイ・チュンソンであった。

 実家は西東京市田無で焼肉店を経営。経営者である李の父親も、元・実業団横浜トライスターSC所属のサッカー選手という経歴を持つ。

 「大舞台で得点し、世界に在日韓国人の可能性をアピールしたい」と日本代表入りを希望して、2006年9月22日に日本への帰化を申請し、2007年2月9日に帰化が認められた。日本に帰化をしようとしたら親戚から猛反対され帰化を迷っていたが、母親から「親戚中から縁を切られても私たちはいいから自分の思うようにしなさい」と言われたことで帰化を決意した。その他にも日本に帰化した理由として、「五輪がなければ国籍変更していない。人生を変える大きな決断だった」と語っている。その一方で君が代を斉唱したときの気分を聞かれて「最高の気分ですね」と語っている。

                         (ウキペディア引用)



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