忙中閑有り 2011:01:22:08:22:54

2011年1月22日

 今日は久しぶりに行事のない日となりました。「忙中、閑有り」の心境です。この言葉を調べていると色んな事が解りました。戦中戦後の日本に大きな影響を与えた「安岡正篤」という方が「六中観」という言葉を残しておられます。

安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年(明治31年)2月13日-1983年(昭和58年)12月13日)は陽明学者・思想家。

・昭和20年8月15日の終戦の詔書(玉音放送)の草案に対して、加筆し原稿を完成させたとされる。
・戦時中からすでに政治家や右翼活動家に影響力があったため、GHQより戦犯容疑がかかったが、中華民国の蒋介石が「ヤスオカほどの人物を戦犯にするのは間違いだ」とGHQを説得し逮捕されなかった。
・岸信介以降の歴代首相(田中角栄・三木武夫を除く)に施政方針演説の推敲を依頼されていたと言われる。
・池田勇人の派閥研究会「宏池会」の命名者である。
・佐藤栄作の首相就任前の訪米時に応対辞令の極意を授け、このときのケネディ大統領との会談がケネディに沖縄返還交渉開始を決断させたと言われる。
・GHQによる「3S政策」の存在の可能性を著書『運命を創る―人生訓―』(プレジデント社・1985年)中で唱えている。
・晩年陽明学に傾倒した三島由紀夫は、自決の数年前に安岡に長文の手紙を書いている。安岡の著作を読み、その思想に共感を抱いていたといわれる。
・生前、「いつか昭和が終わったら次は平成というのはどうだろう?平和が成り立つのいう意味だ」と平成の元号を考案したと言われている。
・戦後の歴代総理に「日本の黒幕はだれか?」と聞けばほとんどの首相が安岡正篤の名前を挙げたという。安岡本人は「自分はただの教育者にすぎない」と考えていたため、「黒幕」と言われるのを嫌がった。しかし、自分自身が直接権力を持たない反面、権力者に対して絶大な発言力を持っていた。名のある大物ほど安岡の教えに心酔し、意見や講演を求め、本人の意思に反して各界に影響力を拡大していったためである。


安岡正篤氏が言った【六中観】

死中、活有り。
 身を捨ててこそ浮かぶ瀬があるというもの。

苦中、楽有り。
 苦しいときにこそ楽しさを見つけ出すことの大切さです。

忙中、閑有り。 
 忙しいとは心が滅ぶと書きます。忙しいときにこそ、冷静になって心に余裕がなければならにということ。

壺中、天有り。
 どんな境遇にあっても、必ず自分の世界を作らなければならないということです。壷の中にいても天だけはいつでも見ることが出来るという意味で、周りが見えなくても、天を仰いでいればおのずから道が開けるということです。

意中、人有り。
 心の中に尊敬するべき人を持てという意味。尊敬する人が生きている人であれ、歴史上の人物であれ、目標にもなり尊敬の出来る人を持たなければならないということです。

腹中、書有り。
 書物を読んで頭に入れるのではなく、行動できる学問を身に付ける必要があるということ。学問は単に知識や教養を身に付けるだけでなく、心が磨かれるものとならなければならないということです。 

 いろんな解釈が有ります。

「六中観」

 忙中閑有り  忙中に掴んだものこそ本物の閑である

 苦中楽有り  苦中に掴んだ楽こそ本物の楽である

 死中活有り  身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあれ

 壺中天有り  どんな境遇でも自分だけの内面世界は作れる

 腹中人有り  身心を養い、経綸に役立つ学問をする

  意中人有り   心の中に尊敬するべき人を持てという意味       

         (フリー百科事典 ウキペディア参照)

 



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