子ども手当 2010:12:12:06:59:30
昨日(12月11日)11時AMよりANAクラウンホテル広島で衆議院議員「岸田文雄」を激励する会が開催されました。
来賓に「石原伸晃」自由民主党幹事長が出席され挨拶をされました。印象に残ったのは子ども手当で、民主党は「社会で子供を育てる」と言っているが過去の歴史の中でこの政策を行ったのは、ルーマニアの悪名高き独裁者、チャウシェスクだと言っておられました。
私も子ども手当という名で現金を国民に配るのはよくないと思っています。現金をばらまく政策は、国民を堕落させると思っています。それよりも家庭を守れる政策を行うべきだと思っています。親が子供を育てることは動物の本能です。これを捨てたならば家庭は崩壊します。社会の一番基礎となる家庭という組織を守る政策を行って欲しいものです。
高等学校授業料無償化も愚策だと思います。高等学校は義務教育ではありません。勉強をしたくない子供も沢山見てきました。全員高等学校は入ったならば、高校教育のレベルは下がるばかりです。それよりも、勉強したくても貧乏で勉強できない向学心に燃えている子供に、高等学校・大学へ行けるよう返済しなくてよい「奨学金制度」を作るべきだと思います。
大変興味ある記事を見つけました。 『日本のグランドデザイン』(三橋貴明著 講談社)という本の一説です。参考に添付しておきます。
ロシア革命で政権を握ったレーニンは、ソ連において様々な「伝統を壊す社会実験」を行った。そのひとつが、女性を家事や育児から「解放」し、子供を「国家」が育てるという「家族解体政策」だったわけだ。
子供とは、通常(というより人類の伝統上)親が育てるものだ。子供の養育費を出すのも、もちろん親である。ところが、ソ連式社会実験では「子供の養育費を出すのは、国家(すなわちソ連式『子ども手当』)」という発想に基づいた施策が実施された。
子供を育てるのに、親がお金を出す必要がなくなり、食事なども共同の食堂でとるようになった。われわれが日常と感じる「母親が子供の食事の支度をする」光景が、ソ連の国中から消え失せてしまったのである。
一連の政策により、当時のソ連では親子関係が見事なまでに崩壊した。子供のほうが、自分を育てるのに「お金を出していない」「食事も作らない」両親を、まったく尊敬しなくなり、同時に感謝もしなくなってしまったのである。家族の基本である親子関係が崩れ去った結果、「家族の絆」までもが解きほぐされてしまった。
レーニンの「実験」は、家族の絆という伝統を破壊し、親子の関係を希薄化させることを目的とした、まさしく家族解体政策だったわけだ。その結果は、無残なものに終わった。親の愛情を知らないまま育った男の子が愚連隊化し、毎晩、国中で大勢の少女が輪姦される、地獄のような光景が出現したのである。
さらに、離婚が奨励され、夫婦関係も非常に淡白なものとなり、少子化が一気に進行した。子供たちが不良少年化しようが、少女が何人レイプされようが、ソ連共産党は気にも留めないだろう。だが、この「少子化」には、たいへん困ってしまった。
何しろ、共産党は「自分たちを護る」ための軍隊を持つ習慣がある。中国人民解放軍は、中国共産党を護るために存在しているのであって、中国人民のための軍隊ではないのだ。少子化が進行すると、この「共産党を護るための軍隊」の兵士が足りなくなってしまうわけだ。
「自分たちを護る兵士」が減少することを恐れ、レーニンの死後に権力を握ったスターリンは、この「家族解体政策」に代表される社会実験を、全否定せざるを得ない羽目に陥った。1936年に制定されたスターリン憲法では、今度は伝統や家族の絆こそが国力の源泉であると謳われた。プラウダ(ソ連共産党の機関紙)も、いきなり離婚を批判し始め(それまでは離婚を賛美していた)、夫婦や家族の価値を絶賛し始めたのである。
最近、日本国内で家族の絆を解体しようとする動きがあるが、これは1920年代のソ連の「実験」の影響を、強く受けていると思われる。一度、ソ連で大失敗した政策を、今度は日本国内で推進しようとしているわけだ。時代錯誤的である以前に、正気とは思えない。
( 『日本のグランドデザイン』(三橋貴明著 講談社) 民主党は 子どもは国家・社会が面倒をみるというが。 参照)
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