傾き者(かぶきもの) 2010:12:10:06:41:54
近頃、歌舞伎の「市川海老蔵」さんのニュースがテレビの集中していますが、歌舞伎は元々「傾き(かぶき)」という言葉が語源ではないかと言われています。傾きとは、変り者とか世の中をまっすぐ見て生きていない人とか言われています。【傾き者は傾き通せ】と傾き者の一人者「前田慶次郎」が言っています。やったことは、大変非常識な行動を取りましたがあまり騒ぐことは無いと思います。
語源
歌舞伎という名称の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれている。戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。
そうした「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な「かぶき踊り」で、慶長年間(1596年 - 1615年)に京・江戸で一世を風靡したのが出雲阿国である。その後阿国を模倣したさまざまな踊りが世に出たが、その多くが「かぶき踊り」の範疇で受け取られた。これが今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっている。
この「かぶき」に「歌い舞う芸妓」の意から「歌舞妓」と当て字したのはその後のことだった。寛永年間(1624年 - 1643年)に遊女歌舞伎が禁止されると、芸妓に連なる「妓」の字に代わって伎楽に連なる「伎」の字を用いた「歌舞伎」の表記が見られるようになるが、江戸時代を通じてこの「歌舞妓」と「歌舞伎」は混用されていた。これが現在のように「歌舞伎」に落ち着いたのは明治になってからのことである。
(ウディペキア参照)
花の慶次で人気者になった前田慶次
花の慶次とは、人気漫画『北斗の拳』の作者・原哲夫が書き週刊少年ジャンプで連載されていた漫画です。主人公は前田慶次で、傾奇者であった慶次をユーモラスに書かれた作品はそのまま北斗の拳の世代の人々に火が付き、知名度が上がった武将と言えよう。
傾奇御免・前田慶次とは?
織田信長の武将・滝川一益の子で、加賀百万石の前田利家の甥にあたり慶次が養子になり前田姓をなのるようになったと言われている。傾奇者とは傾き者とも呼ばれ、要は姿形が異風であり慶次は好んでその様な格好をしていた。慶次の名前は利益、利太、利卓、利治、利貞といくつもあり定まっていなかったようだ。
長谷堂城合戦では殿軍(しんがり)を勤め、無事に撤退できたのも前田慶次の活躍があったからのようだ。その長谷堂城合戦後に、ここ堂森へ無苦庵(むくあん)で余生を過ごし慶長17年6月4日に70才で生涯を閉じたらしい。諸芸道が達者で無苦庵道中記や亀岡文殊では和歌を残すなど、山形には前田慶次の面影が残っている
(ホームページ山形参照)
傾く(かぶく)
「かぶく」の「かぶ」は「頭」の古称といわれ、「頭を傾ける」が本来の意味であったが、頭を傾けるような行動という意味から「常識外れ」や「異様な風体」を表すようになった。
かぶくとは、どっちかに偏って真っすぐではないさまをいい、そこから転じて、人生を斜(しゃ)に構えたような人、身形(みなり)や言動の風変わりな人、アウトロー的な人などを「かぶきもの」と呼んだ。
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