日本三大菜 2010:12:09:06:16:06
広島菜漬けがおいしい季節となりました。あの歯ごたえと、辛みというか苦味というか、何とも言えない触感がたまりません。広島菜の起源は定説はないようですが、江戸時代に京都から持って帰ったのが一般的に起源と言われているようです。また、「広島菜」「高菜」「野沢菜」と日本の三大菜漬けと言われています。調べてみました。
広島菜の歴史
起源についての定説は無いが、約390年前(慶長年間に安芸国藩主が参勤交代の時、同行した観音村(現広島市西区観音町)の住人が江戸から帰る途中に京都本願寺へ参詣し、種子を持ち帰ったのが最初とされる。明治に入り川内村(現広島市安佐南区川内)の木原才次が改良を重ね、現在の広島菜の原型をつくりあげたとされている。他にも説があるが、どの説も京都から伝えられた事は共通しており、「京菜(きょうな)」と呼ばれ、またその形状から「平茎(ひらぐき)」とも呼ばれていた。明治初期に瀬戸内海を経て海路にて京阪地方へ出荷されるようになり関西でも知られるようになった。
「農事調査第四報(広島県農会・明治38年)」によると、明治32年にはすでに広島菜の主産地として、安芸郡川内・三川・緑井村(現広島市安佐南区川内・安古市・緑井)、及び御調郡向島西村(現尾道市向島町)などを挙げている。現在と異なるのは、向島でかなりの広島菜を生産していたことで、当時は瀬戸内海を航行する船舶のの需要、及び京阪地方への船便出荷が盛んであったと推察される。 その頃の広島菜漬の生産は栽培農家の漬け込みによって行われ、自ら市場へ出荷販売するか、仲買人を経て販売されていた。専門の漬物製造業者による本格的な広島菜漬の製造販売は大正時代に入ってからで、上田兼一等によって始められたようである。 県内業者が全国向けの特産品として名称を統一したのは昭和初期のことであり、名称が一般化したのは、昭和8年に広島市猿楽町(現広島市中区大手町)の広島県産業奨励館(現原爆ドーム)で命名展示されてからといわれる。
(ウィキペディア参照)
日本三大菜漬け
●広島菜漬け
日本三大菜漬の一つ広島菜漬は主に広島市の周辺で栽培されており、生産量は少ないのですが大尸うまい漬物です。野沢菜が高さ1mにもなる細長い葉茎なのに対して白菜状の平茎というやや茎の硬い幅広い漬菜です。普通、8月播き11月収穫の作型で収穫後水洗し塩漬にします。さらに2度漬工程を経て塩度3?4%程度に漬上げます。
広島菜漬は冷凍保存が利くために、漬あがった菜に調味液を加えて密封しこれをマイナス30度で冷凍しています。野沢菜漬の産地移動、4回の冷却工程の代わりに広島菜漬は冷凍で美しい緑色を保つのです。広島菜漬の持つ弱い辛味が絶妙で日本一の菜漬といわれています。美味しい食べ方としては食物繊維が2.7%と野沢菜漬の2.2%より高く硬いので2?に切って食べると広島菜の持ち味がでます。
●野沢菜漬け
日本三大菜漬の中で最もポピュラーで約5万t程度の出荷量があるといわれております
産地は全国に広がっており、長野で10月、11月と収穫したあと12月、1月は徳島、2月は静岡、3、4、5月は山梨、長野のトンネル栽培、6月は茨城、7、8、9月は長野の八ヶ岳中腹、戸隠など経度と高さを利用した産地移動をするのです。野沢菜漬は2.2%という少ない食物繊維による軟らかい水持ちの良い茎をたのしむため長さ4?に切って食べます。叩くように細刻すると持ち味がなくなります。野沢菜漬の食塩は約2%程度で野沢菜の持つおとなしい風味と混ざりあった茎の中の液を口の中で楽しむことが出来ます。
●高菜漬け
日本三大菜漬の1つ高菜漬は明治年間に中国から奈良農試に種子が入り、その後福岡県瀬高町、和歌山県新宮市、山形県内陸部等で主に栽培されています。広島菜漬と同様にふくろ詰めして冷凍された新高菜漬の人気が上がっていますが、量的に多いのはべっ甲色になり特有のかおりを持った古高菜漬です。山形では青菜(セイサイ)と呼ばれ9月上旬播きの11月中旬収穫になっています。瀬高では10月上旬苗床播き、12月上旬定植、4月上旬収穫の春型栽培です。古高菜漬は瀬高で主としてつくられて青菜に紫高菜の血の入った優秀種の三池高菜を使っています。高菜漬は食物繊維が4%あり、古高菜漬は刻んで御飯のおかずにしたり、ラーメンの具、また油炒めにして惣菜売場に並ぶなど利用方法があります。
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