長崎原爆の日 2010:08:11:07:11:15
一昨日(8月9日)は、65回目の長崎原爆の日でした。
長崎市は「被爆65周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」を同市の平和公園で営み、参列者が原爆投下時刻の午前11時2分に黙とうしました。
田上富久市長は、核保有国の英仏両政府代表が初めて出席した会場で「長崎平和宣言」を読み上げ、5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で核軍縮への期限を定めた議長案を退けた核保有5カ国(米、ロ、英、仏、中)について「核保有国が核軍縮に誠実に取り組まなければ、それに反発して新たな核保有国が現れ、世界は核拡散の危機に直面する」と厳しく批判し、核兵器禁止条約支持を表明しました。
宣言文を掲載しておきます。クリックして下さい。 nagasaki.pdf
長崎市の「平和宣言」は、20人程度の「長崎市平和宣言文起草委員会」を作り5月から3回の委員会を開いて最終的に市長が決定します。
長崎市は被爆3年目の1948年8月9日、初めて公式に主催者となり松山町で「文化祭」を開きました。その時、市民代表として溝上太郎長崎市議会副議長が最初の平和宣言を朗読しました。1954年からは長崎市が主催する原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で市長が平和宣言を行うようになり、1974年になると、諸谷義武市長のもとに「平和宣言起草委員会」が初めて設置されました。当初は、委員長を事務担当助役とする長崎市の内部組織でしたが、1980年の本島市長の時、市長を委員長とする「長崎市平和宣言文起草委員会」が設けられました。
以後委員の数も増え、現在は市長をはじめ有識者、大学の研究者、被爆者など20人の委員で構成されています。起草委員会は3回の会議で宣言文を検討し、小委員会での字句や構成の調整を経て、市長が最終決定します。
2006年10月開催の第3回地球市民集会の開会あいさつで、伊藤一長前市長は「私は、毎年行っております長崎平和宣言は皆様方の知恵を結集したものであり、長崎の平和運動の原点であると思います」と述べています。
広島市は内部組織で検討をし、市長が決定します。(市長一人の思いが強くなる)その辺りに長崎市と広島市の平和宣言の違いがあるのではないでしょうか。
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