焙烙鍋と行平鍋 2010:04:23:07:35:38
昨日(4月22日)、焙烙鍋(ほうろくなべ)と行平鍋(ゆきひらなべ)の話となり大変盛り上がりました。我が家では子どもの頃から焙烙はあり、海水浴へ行く日には母が焼き結びを焼いていた思い出があります。また、行平鍋はお腹を壊した時おかゆを作ってもらった懐かしい思い出があります。現在も焙烙鍋は、はぶそう茶を煎るのに使っています。
【焙烙鍋】
焙烙(ほうろく)は、素焼きの800度から900度で低温焼成されたうす赤茶のあたたかい色調の日用雑器で土鍋の一種です。形は平たく、炒鍋(いりなべ)ともいう。
茶葉、塩、米、豆、銀杏などを炒ったり蒸したりするのに用いる。特に「焙烙蒸し」とよばれるときもある。茶器としても用いられ、土鍋ともいう。
かつて戦国時代、瀬戸内海を中心として勢力を誇った村上水軍は焙烙に火薬を詰めた「焙烙玉」を武器として無類の強さを発揮した。
また、お盆の期間には焙烙はお寺ではおがらを焚いて火を灯し先祖を迎えるお供物としても使います。
中国地方の焙烙は讃岐の岡本地方特有の酸化鉄を多く含む粘土を原料として作られたものと言われています。農家の副業として明治初期から大正時代にかけ全盛期を迎え、四国・九州・中国地方まで行商人によって売り歩かれました。
焙烙は使い方によって大きく漢字が変わるのだそうです。
・焙烙,炮烙と書くときは物を炒るとき。
・宝楽と書くときは鯛や海老を蒸す器として
・法烙と書くときは仏寺で使うときなんだそうです。
【行平鍋】
「雪平鍋」とも書く。「行平」と「雪平」。つまり、ここには二重の由来があるようです。単純な由来は、在原業平の兄行平(ゆきひら)が、海女に海水から潮を汲ませて塩を焼いた故事にあると言われています。
そして、もう一つの由来が、その時用いた鍋には、白い塩が現れてきて、それが雪のようで有ったからと言われています。
また、いつの昔からか、粥用鍋を「行平鍋」とか「雪平鍋」と表すようになりました。ではなぜ、陶器の粥用鍋が、「雪平鍋」になるのか。恐らくは、塩が雪のように現れてくるように、米粒が雪のように変化していくからといわれています。
お粥用
ゴマ炒り用(ゴマがはねても良い)
お茶煎り用
また、現代にはアルミ製の行平鍋もあります。アルミ鍋は軽く、熱伝導がよく、価格が安い。現在でも家庭から業務用まで多く使われています。
日本料理は、元来西洋料理のようにコトコト時間をかけて煮込む料理というより、素材をいかした、さっと火を通したり、ゆでたりの工程が多い料理と思います。ですので軽く、熱伝導のよいアルミは、大変向いているともいえます。アルミの雪平鍋はそうした、日本料理などの為の小回りの利く、汎用性のある便利な道具です。ただアルミは柔らかく、あまり強度がありません。そこで鍋の表面を打ち出し、強度を付けることで、アルミの欠点を補いました。
また打ち出すことが表面積すなわち加熱する面積を増加させ、熱の伝導性をさらに高めます。この打ち出しの模様が「雪のようだ」ということで「雪平」の名前がついたとも言われています。
アルミ製の行平鍋
(インターネット記事参照)
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